私のアリア/嘘/フチ子

「わたしの家族はみんな音楽が好きで、休日はみんなで合奏するの」

「幼稚園からの幼なじみがいて、すごく仲がいいんだ。付き合うとかではないと思っていたんだけど最近わからなくなってきて」

「友達がバンドのボーカルを探していて、無理やり歌わされたらたまたまよく歌えて、ライブハウスで週一で歌うことになったんだ」

こうだったらいいな、という理想は1人で歩いているとポンポン思い浮かぶ。イヤフォンをして、聴きたい曲を聴いて、「この曲はわたしのためのものな気がしてきた」と思い始めたらその妄想は止まらない。普段人と一緒にいるときは1ミリも考えなかったような欲が流れてくる。わたしはこんなにも現実とかけ離れた理想を持っていて、知らず知らずのうちに諦めていたんだと唖然とする。

長い距離を歩くとき、その妄想も長編化する。ストーリーがもう少し細かくなっていき、悲しい現実や辛いトラウマが設定に入り込んでいく。

「お母さんが病気になって、ボロボロになってしまっているときに幼なじみが助けてくれる、それなのにその優しさに八つ当たりしてしまって幼なじみを傷つけてしまった」

「彼氏に暴力を振るわれることに悩んでいたら、彼女がいるけどずっとタイプだった男友だちに優しくされて無謀にも好きになってしまい苦しむ」

といった具合だ。ここでは一番好きだったり信用していたり感謝している人の設定が悪い方向に向く。大好きな人が死んでしまったり、悪役になったりして、私が傷ついている。傷ついている自分は幸せな自分よりも想像が膨らんでいき、止めることができない。

そんなことを妄想していると、自分がその辛い状況下に置かれているかのような錯覚に陥って、顔に出る。不幸に立ち向かおうとするけど弱々しい顔(わたしが想像した顔に実際になっているとは思えないのだか)になってみることを試みる。可哀想な状況下設定の自分に酔ってしまう。

この状態で人と会うと少し気を張らないとまずいことになる。この妄想、この可哀想なか弱い女の子設定の自分を、人に実際に認められたくなってしまうのだ。心配してもらいたい、悲劇のヒロインになってみたい、そんなどうしようもない欲が溢れて、大きな嘘を言ってしまいたくなる。そのとき、強い欲求と、言ったらまずいと急ブレーキをとめる力が拮抗して精神がキリキリとすり減る。

森絵都著の『アーモンド入りチョコレートのワルツ』に収録されている、『彼女のアリア』には、嘘をポンポン言って好きな男の子を翻弄する女の子が描かれている。わたしも小さいときは言いたい欲が勝ってしまってしょうもない嘘を並べて後悔したことが何度もある。最近は嘘ついた後のめんどくささを、さすがにわかっているので踏みとどまることができるが、それでも精一杯踏みとどまっている状態だ。嘘の誘惑は強力で、虚言癖に私は今でもなり得るのだということを忘れない。妄想がひと段落ついたら、強制的にイヤフォンを取り、妄想をストップさせ現実に戻って来なければならないのだ。

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「私のアリア/嘘/フチ子」への2件のフィードバック

  1. 街で時折見かける、まるで世界全体を敵に回したかのような顔をしている女性はこんな妄想をしていることもあるんですね。感情とその経過の描写が読者に対して親切で、勉強になります。ただ、全体を覆っているはずの音楽の存在感が最初と最後だけにしか感じられませんでした。思考に沈んでいることは理解できますが、音楽にきっかけ以外の何か役割を与えられるとなお良くなるように感じます。

  2. ああ、わかるな〜と共感できる部分が多かったです。最初と最後がヘッドホンできれいにまとめられているので、途中にもその閉塞感や具体的な曲名があるともう少し存在感が出て良いのではないでしょうか?

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