その日、日本中の人々の財布の中から銅が消滅した。前触れも異変も何もなかった。ただ突然の事件だった。
財布だけではなく銀行やATM、ぶたの貯金箱の中身からも銅は消滅していた。銅線などの硬貨以外の銅が消滅しなかったのは不幸中の幸いなのかもしれなかった。
銅が消滅してなくなったのは十円玉だけだったのか。
そうではない。
五円玉、五十円玉、百円玉、五百円玉でさえ銅が半分以上含まれている。財布の中に残されていたのは一円玉と元が何だったのかもわからないような鉄くずだけだった。新しい硬貨が作られても次の瞬間にそれは消滅した。それは超スピードや催眠術によるものではなかった。
それから日本の社会は混乱した。なにせ通貨が一円玉と千円札、五千円札、一万円札しかなくなったのだ。おっと二千円札のことを忘れていた。もちろん二千円札も存在していた……はずだ。
おつりはない。むしろ払いたくても払えない。世は大デフレ時代へと突入するかと思われた。
しかし、ここで日の目を浴びたのが電子マネーである。日本はここで国内通貨を全て電子マネーに統一することにした。結果、幸運にも大デフレ時代への突入は免れた。
銅が消滅した原因は不明だった。宇宙人の仕業という説もあれば銅原子の寿命がきたのだと言う説もあった。一番有力だったのは銅の最大輸出国が銅を食べる細菌を開発したという説だった。当然どれも眉唾な説である。
その年の流行語大賞が「銅がなくなるなんてどうなの?」になった。発表時にその場にいた人全ての目が死んでいた。拍手はまばらだった。
ここで一つの大ニュースが発表された。なんと海外にいた日本人の財布の中身は無事だったのである。そしてなんとその人はギザ十を持っていたのだ!
以前は財布にあればラッキーであったり、少し普通の十円玉よりも高かったりするだけのアイテムだったはずのギザ十には島が買えるほどの大金がつけられた。ギザ十を巡って血で血を洗う闘いも繰り広げられた。
世はギザ十を持つものが支配する地獄へと変貌したのである。
しかし、ここでそれに否を唱える者たちが現れた。穴がズレた五十円玉を持つ者たちである。彼らはギザ十よりも価値ある者としてそれらを掲げた。革命が起きたのだ。
そして硬貨戦争は勃発した。
その裏にプリントミスのある千円札を持つ者たちの暗躍があったことはまちがいない事実だろう。
出典:「いかにして貨幣戦争が起きたのか~銅がなくなるなんてどうなの?~」
著 ギザ山 十郎
なんともくだらないというか、絶妙に気が抜ける文章というか。ところどころ鼻で笑ってしまいました。銅に目をつけるとは。
それにしても、くだらない(悪い意味ではない)、で終わってしまいました。それ以外の感想があまり湧いてこないというか。穴がずれた五十円玉の部分は正直蛇足だったと思います。目の付け所が斬新で面白かったです。
この文の出典が本ならば、出だしからそれに統一してもよかったのではないでしょうか。内容が内容なだけに、オチとして出典あるんかい、とかこんなのが原本なの、というのは成り立たないでしょう。モノローグのように始まられた突飛な話ならば、それに見合った話の展開をしたほうが纏まりがつくのではないでしょうか。
話の内容自体はB級SF映画のような雰囲気があって好きでした。
どんな経緯でこの文章を書こうと思ったのかが気になりました。
出典がある設定にしたのは、自分にはない発想で参考になりました。
文章自体は、ちょっと起伏が多くて疲れるという印象です。もう少し休息所的に息を抜ける部分があるといいかと。