優柔不断/どうなの?/五目いなり

「右の手には指輪の入った小さな箱、左の手には悪名高きパンドラの箱。なあ、お前ならどっちを選ぶ」
   少しばかり不機嫌そうな顔をした奇妙な姿の同居人は、言葉通り両の手に小さな箱を携えて、僕の顔を覗きこんだ。「なあ、どうする」とぶっきらぼうに、けれども確かな勢いを持って迫ってくるその同居人を、僕は振り返ったりしない。絶えず鳴り響く同居人のぺたぺたという足音とぱたぱたという翼が腹を打つ音が、次第に早くなっていく。どうやら僕の返事の遅さに、痺れを切らしているようだった。
   夕食の準備をするのに忙しいからと頭の中で理由をつけて、僕は質問には答えずに彼が食べる鯵の腸を抜いてやった。包丁を使うときは危ないから邪魔をしないでくれ、という同居開始当初からの約束を、彼は律儀に守っているようだ。足元からぺたぺた、ぱたぱた、と可愛らしい音が聞こえるが、いつもの様にズボンの裾を引いたりはしてこない。光の無い瞳を持つ鰯の腹に包丁を滑らせても、同居人は彼なりの静かさを持って、ただこちらを見上げている。
勝ったな。僕はそう思って、僕の腰までの背丈しかない同居人に、声をかけた。
「今日の夕飯は、鯵だよ。下らないこと言ってないで、皿でも持ってきてほしいんだけど」
「下らなくなんかないだろう。それに今、俺の両手は塞がっている」
「置けばいいだろ、そんなの。お前が触ったせいで、折り紙の箱がびしょびしょだ」
   黒くつるんとした両手……ではなく、翼を持つその同居人は、両の翼の上にある折り紙の箱を見つめてから、不満そうに威嚇の形に口を開けた。黄色いふちどりの中に広がる大きな赤色の穴が、ぽっかりと開いている。
僕はすかさず、その開いた口に先程抜いた鯵の腸を投げ入れた。するり、赤黒い魚の臓物が彼の喉を通っていく。僕が笑うと、同居人はバツが悪そうに「条件反射だ」と黒い翼でくちばしを拭った。

   ペンギンの姿をした同居人は、一旦は謎かけまがいのプロポーズを諦めた様で、湿った翼のせいでくしゃくしゃになった折り紙の箱を投げ出してからテーブルに着いた。可愛らしイラストの描かれた背の高い子供用の椅子によじ登り、礼儀正しく膝の上にナプキンを広げると、同居人は僕の運んだ食事にゆっくりと箸を伸ばした。彼の端が掴んだのは、先程僕が捌いた鯵の刺身だった。
   ペンギンが鯵の刺身に醤油をつけて食べる姿は滑稽にも見えるかもしれないが、僕にとっては今更気にすることでもない。本人いわく「魚は丸呑みするよりも、小骨の無い刺身を食った方が上手い」らしく、また「人間社会で魚を丸のみするのはスマートではない」そうで、僕は彼の希望に沿って出来るだけ捌いた魚を食べさせる様にしている。
   『お互いの食文化を尊重する』―――これが、僕と同居人の間に在る幾つかの取りきめの内の、一つだ。
   僕も鯵の刺身を一切れつまみ、口に運ぶ。あの魚の死骸がこんな味になるのかと思うと、どうにも不思議でならなかった。僕はこのペンギンの姿の同居人と暮らすまで魚というものを口にしたことがなかったが、今ではこの潮の匂いも、少し青い生臭さも、冷たい血の温度も、どれももう気にならない。それどころか、彼と食物を共有する、という行為は、どこか嬉しく温かいものさえ感じられた。
「ところでさっきの話だが……お前は指輪の箱と、パンドラの箱、結局どっちを選ぶんだ」
   喉の奥を鯵の刺身の切れ端が、ずるりと滑る。同居人の手元にはまたいつの間にかに折り紙の箱が握られていて、僕は思わず噎せてしまった。ごほごほと幾つか咳を繰り返し、落ち着いたところで彼を見ると、同居人は真剣な表情で僕を見ているのが目に映る。
   指輪の箱も、パンドラの箱も、結局ただの折り紙の箱には違いない。けれども、僕にはどちらとも選べなかった。選べないのだ。
「……そう言うあんたは、どうなのさ」
   僕が問うと、同居人はグラスでくちばしの端を湿らして、「どう思う」と問い返した。つぶらな瞳がぱちくりと瞬いて、星が飛ぶような思いがする。
「俺はこの質問が進んでいるのか、それとも逃げているのか、知ることすらできないんだ」
   同居人は諦めたように正方形の箱を二つころんとテーブルの上に転がすと、再び鯵の刺身に端を伸ばした。同じ形をした箱が二つ、僕はどっちを取っても結果は同じような気がして、そしてその同じ結果を受け入れる覚悟なんかまだ無くて、そのどっちも二手を伸ばすことが出来なかった。
「いつか、俺はこれをお前に手渡せるようにならなきゃな」
   少なくともこのペンギンは僕よりも遠くにいくことが出来るに違いない。僕は醤油の付いた鯵の刺身を上手そうに口に入れる同居人の声を聞きながら、転がった折り紙の箱を、ただ眺めた。

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「優柔不断/どうなの?/五目いなり」への3件のフィードバック

  1. 統一された世界観、それが高い文章力で展開されていくのは読んでいて心地が良かったです。ただその状況の情報というのがほとんどなくなぜ主人公はペンギンと一緒に暮らしているのか、そもそもなぜペンギンが喋っているのかなどは最後まで理解できませんでした。少ない文字数の中で全てを説明するのは至難の業ですが読んだ後にハテナが残るのは否めません。

  2. 不思議な世界観がとても上手にかかれているように思いました。まず最初に、読み終わって感じたのは国語の教科書にでもでてきそうだな、というものです。

    だんだんと同居人の姿が明らかになっていく過程は読んでいて、あぁ。と思うところがあります。それだけに、結局何を伝えたかったのかよくわからなかった。よく言えば読む側がいろいろな解釈を持てる文章となっていたと思います。

  3. 私は文章の中である一定以上疑問が残って溜まっていってしまうとイラッとして読めなくなります。情緒がない人間なので、読者設定が私のようなタイプではないと思っているので気にしなくていいのですが、もう少し字数にあった文章の形をとったほうがいいような気がする。それか文の雰囲気を強く押し出して、半分ファッション化はしていくけど、その文を読んだだけで読書した感じを味わえるような文章も好きだから、それならいいのかな。

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