/距離/ちきん

私と妹は正反対だ。いろいろな人や映画などにすぐ影響されて、ころころ進路を変えては人を振り回し、東南アジアをふらふらして音信不通になる妹は、それでもつかまえられる、と母は言う。私は、親からの連絡に一つ一つきちんと返信するし、妹より多く両親と過ごす時間を作っているし、帰省するときにはいつも律儀におみやげを買って帰る、それなのに、あなたは確かに目の前にいるのに、いつもそこにいるフリだけしているみたいで、掴めない、と言われる。でも、実際にそうなのかも知れない。だって、私はつかまえられたくないから。

母は、私と妹が進学のために家を出てから、清々して毎日楽しいわ、と言う。私は浪人時代、同じ寮に住んでいた可愛い女の子がホームシックになって、毎日母親と電話を繋げたまま寝落ちしている、なんて話を聞きながら、なんだか申し訳なくなってしまったくらい、一人暮らしを始めてから一度も寂しいと思ったことがない。あんなに家族仲良しで、親に頼り切って生活していたのに、よくうまくいったなと今でも思う。しかし、それでもまだ、親子を隔てているのはあくまで物理的な距離だけであって、ずっと逃れられない縛りをがあると感じている。

思い返せば、小さなときから、習い事や自宅学習、休日の遠出など、あまりに親の言いなりのままに過ごしていて、小学校高学年のときの担任の先生はとても厳しく、正義を貫かないと何時間も怒鳴りつけられたから、子ども同士で自由に遊んでいるだけではできないようなことも体験させてはもらえたけど、小学生の分際で、いま生きていて楽しいかな?って素で考えてしまうような、息苦しさもあった。その時間のせいで、中学校ではただの優等生でしかいられなかったし、今でも、私もピザの宅配を頼んでもいいんだとか、遠距離の恋人に自分から会いに行っていいんだとか、自分で履歴書を書いて提出するんだとか、ごく簡単なアンロックが、いちいち考えないとできなかったり、必要以上に強く自分を律してしまったりすることがある。

母は、私にはどう頑張っても真似できないほど、とことん人のために働く。ときどき私の家に遊びにきても、どこにも出掛けずにひたすら家事をしているし、年齢のわりに情報収集能力が半端でないので、あらゆる場面で役に立つ。だから今でもつい、頼りにしてしまう。そこまで人のために自分の時間や労力、気持ちを犠牲にできることが、「母」ということなのだろうか。

「娘が、何か苦しいことや問題を抱えていたら、それを見守って支える立場にいるより、すべて代わって背負いたいと思っちゃう。そっちの方が圧倒的に楽だからね」だから、私が苦しんでいる姿がただ見えないところに移ったから、母も解放されたのか。でも、この距離がどんな風に変わっても、生きていて少しだけ落ち込んでしまうようなできごとがたまに目立つだけで、私は昔から、なんだか日常的に苦しいよ。でも、みんなが抱えているし、どうにか自分のやり方で処理していくことができる。いつまでも代わってもらっていたら生きていけないし、私だってもう、あわよくば愛する人の苦しみは全部取り除けますようにと願うほど、自分でしっかり立てるようになったよ。

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「/距離/ちきん」への1件のフィードバック

  1. 「自分が辛いから」という理由でひとに尽くしてしまう時点でむしろ自立から遠ざかっているのではないかと感じますが、同時にもうそんなこと気にしなくていいんじゃないかと思わされます。周りに対して一歩引いた立場にいるようで、深く考えているのが印象的でした。
    割と踏み込んだ話をしているのに、あまりエグく感じないのはどうしてなのか気になりました。もちろん書き方にもよるのでしょうが、もしかするとそれも距離感のなせる業なのかもしれません。

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