絶縁の考察/距離/フチ子

21歳にもなって、友達との縁を自分からバッサリと切ってしまうとは思わなかった。

「もうこの子とは仲良く遊んだりできない、この子と一緒にいてもエネルギーだけ吸い取られて死んでしまう」と思ったら、即私の側から排除したくなって、どういうところが無理だと思ったかを冷静に並べたあとに、今までありがとう!という言葉で締めてお別れした。高校の友達の中で今でも会う子は、時が経つごとに自然と減ってきたが、今回は意識的にまた1人、減ってしまった。

その行動に踏み切ったきっかけは2人で旅行いったことにある。旅行の期間中、その友達が複数の男性と色々あって、LINEに夢中になりすぎていたことが、私にとって思ってもみないストレスだったのだ。今、楽しい場所に苦労(日程調整・長時間の移動・交通費)して来ているのに、一緒に来た友達は目の前の私ではなく、遠くの画面の人を優先している姿に孤独感を感じたし、この子の友達として隣にいる人は私でなくても良いのだろうと悟ってしまった。もちろん旅行前にもイラっとする部分はあって、それも思い出して、この友達と私は合わないんだなと思った。

本音を全て言った後逃げ切りのようにお別れをして、清々とした気持ちと、友達1人失った喪失感の狭間で、よくわからない気持ちになった。たかが同性の友達1人に対しても、自分の行動はどの時点で間違ってたのか、あの別れ方は良かったのかずっと考え込んでしまって、焦りを感じた。

このあらましを他の友達に話したら、「それは友達というよりも彼氏彼女みたいな別れ方だよね」と言われてしまってなおさら気持ち悪くなった。私は、何人もいる友達の中の1人を、まるで彼氏のように近く感じてしまって、その誤った認識のまま「価値観が合わない」という決断を下してしまったのではないか。もっと私がその子について適当に、適切な距離感を持って接していればそういった勘違いは生まれなかったし、ここまでイライラしなかったのではないか。あぁ、友達に対しても重く考えすぎなのかな、と自己嫌悪に陥った。

しかしそもそも、高校の友達は自分と相手が「会いたい」と思わない限り会う必要がなくて、そこにはお互いの「自由意志」が必要になる。特に部活が一緒とかじゃなければ自然と集まる機会なんてなくて、「自分も会いたい、相手もきっと自分に会いたいだろう」という確信と希望がないと同じコミュニティにはいない友情は続かない。

その性質は付き合っても別れても良い彼氏彼女と同じようなもので、自分の確かな気持ちと、相手の不確かな想像上の気持ちに向き合わなければならない。相手とどんなに仲良くしてたとしても、本当の気持ちなどわからず、だからこそ予想と期待をして自分の行動を変えていくのだけど、この期待値があまりにも低く絶望を感じると、自分へのストレスが多くなって、その人から離れたくなる。

これは恋愛感情とか友情とか以前に人と人とのコミュニケーションの根本的な性質であるから、私が今回こうなってしまったのは仕方がなかったのだ、と自己防衛をしたら、少しどうでもよくなって、とりあえずクロマニヨンズの曲でも聞いて寝ようという気分になった。

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「絶縁の考察/距離/フチ子」への1件のフィードバック

  1. つくづく、距離は測りづらいものだと感じました。一人の友人にどれだけの距離感を求めるかというのはとても難しい問題です。自分にとってその友達は、「何人もいる友人のうちの一人」ですが、その友達自身はフチ子さんと同様、一人の人間なので。だからこそ大切にしたい気持ちもわかりますし、でも、適切な距離が取れないと、ひとは感情を制御できなくなってしまうかもしれない。
    「仕方なかった」と合理化しながらも、わだかまりはどうしても残ってしまう。そのもやもやした部分の表現が上手でした。

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