嫌よ嫌よは嫌だよ/距離/θn

その4.3キロメートルが世の中で一番嫌いだ。

中学高校と過ごしていく中で、どうしても避けがたい試練がある。
運動部の人間からすればきっとなんてことはない2kmという距離。
それがいかに文化部の、特にある一定の種の人間からすれば苦痛かなんてきっと彼らからすれば特にどうだっていいのだろう。

「持久走」に関して少し話そうと思う。

私は簡単に言ってしまえば運動全般ができない。どの位できないかといえば、学年でちょっと浮くぐらいにはできない。
何でそんなんなのかはさっぱりわからないが、多分もともとの体力の無さに加えて経験のなさだとか、嫌いと苦手の負の連鎖はずっと前から起きている。

球技もマット運動もダンスも短距離走もできないわけだけど、その中でも特出してできない競技、それが「持久走」だった。

「持久走」の嫌いなところその一。
皆一斉に走り始めて、ノルマを達成した人から抜けていくところ。
タイムが遅い人間からすれば死にそうになってる姿をその他全員に晒さなきゃいけないはめになる。タイムが速い人間からしても、そいつらが走り終わるまで授業が終わらないんだからいいことなしだ。すいませんねほんと。ちょっと卑屈にもなる。

「持久走」の嫌いなところその二。
多くの人間が苦手だと思っているところ。
私のような最下層の人間はともかくとして、中位ぐらいの子から「私持久走苦手なんだよね〜」と言い出す傾向にある競技第一位なのだ。これのせいで「ねえ次の時間一緒に走らない?」→「ごめん、先行くね!」現象が起きるのである。ホント笑い事じゃなかった。人間不信になるかと思った。なんならなった。

「持久走」の嫌いなところその三。
ラストに待ち構えるマラソン大会。
授業で走るのは基本的に女子が2km、男子が2.5kmだった。なのに持久走のまとめと位置づけられたマラソン大会は性別問わず4.3kmなのである。最初聞いたときはちょっとよくわからなかった。そういう男女平等みたいな精神はフェミニズムの目指していた到達点とは違うんじゃないかとかとっても冷静な気持ちになったあと絶望した。

まあ結局毎年サボる勇気もなくて走ったんですけども。
苦しいしお腹も頭も痛いし、精神的にも肉体的にもボロボロになる。
冬も人間も自分も嫌いになりそうだった。

一朝一夕でどうにかなるわけじゃないと言い訳して努力しなかったのは私である。うーん。「私が今ここで走ってて、突然死んだら社会的に問題になって持久走という文化自体が問い直されて、英雄になるんじゃ」とか、そんなしょうもないこと考える前に体力づくりでもすりゃよかったのだろうか。

ただあのつらい経験も振り返ってみれば今につながっているんじゃないかと。あの寒い中確かに一人で走っていたけれど、皆が毎回応援してくれていて、その度に元気をもらっていたことも間違いないわけで。やっぱりあの試練こそがここにいる私を形成していると思う。

……んなわけねーだろ。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。