ぼくらの80年間戦争/身体/ゆがみ

私は普段何も考えずに歩いているから、ちょっとした出っ張りによく足を取られる。しょっちゅうのことなのですっかり慣れてしまっており、体も身軽であるから転んで地面に体を打ち付けることはない。けれども、歳を取って体が弱ってからも本当に転ばずに済むのだろうかとよく考える。しかし、私には衰えた身体を経験したことがないので想像がつかない。衰えた自分の姿が想像できず恐れているのは私だけではないだろう。

現在、ネットなどでお年寄りをけなす言葉として老害という言葉が簡単に使われる。お年寄りの中で老いたくて老いたという人はまずいないのだが、人は無自覚のうちに老いていて、体力はもちろんのこと、経験の増加に伴わず頭の回転までも悪くなっている。実際、今でも多数の番組の司会を務めている明石家さんまさんが何かの番組で「何年か前のテレビ番組を見て自分の受け答えを振り返ると思ったとおりである。しかし、最近の番組を振り返るともっと良い返しが思い浮かぶ」と言っていた。このような年配者の事情も分からずに「老害」という言葉一つで切り捨ててしまうのは、あまりにも暴力的なのではないか。

一方、中高年が若者について嘆くのもよくある話である。こちらは古代ギリシア時代にもすでに言われていたと聞いたことがある。若者が中高年を経験したことがないのとは違い、若者時代を経験しているのにである。逆にこれは歳をとるにつれて得た知識により、無知だった若いころの記憶を呼び戻せなくなっているのだろう。

このように、人生というものはずっとつながっているようでありながらも離れた地点では全くの別物になっている。そしてそれは今までも言ってきたように相互に理解されない場合が多い。古代ギリシアの大人が若者を心配し、その若者が大人になったときにまた若者を心配し、と今まで2000年以上、あるいはもっと昔から続いてきたことだから、そう簡単に変わるものでもないだろう。

そして、未知のものとの対峙は争いをもたらす。戦争といえば日本では太平洋戦争以降起こっていないため実感がわかないかもしれないが、老若、男女の違いによるいざこざは日常茶飯事である。それらの解決には一方的な考えだけでなく、相互に距離を狭めようとする努力が必要だ。老若理解の問題はこのようなことにまでつながってくるのだから、思っている以上に深く考えなければならないのかもしれない。

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「ぼくらの80年間戦争/身体/ゆがみ」への2件のフィードバック

  1. 「人生というものはずっとつながっているようでありながらも離れた地点では全くの別物になっている。」ここがとても良かった。一文一文が誠実で、何処かにより過ぎないし中立、嘆くだけでなく見通しも導き出されてて、要するに非の打ち所がない教科書のような文章。それはそれで、表面が滑らかすぎて、人は過剰なものが好きだから、心に引っ掛けるのがまた大変なんだけど、でもここまでやるのって実際大変なはず。

  2. 身体の話はどこいったの?と思ってしまいました。導入として身体の話をするのだったら最後にまた身体に戻ってくれば文章としてきれいなものになると思います。

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