右腕の記憶/身体/猫背脱却物語

 朝、目が覚め起き上がる拍子に感じた。右腕が痛かった。
痛みといってもとても鈍い。右腕は下にして寝てないよな。好きこのんでスポーツなんざしないもんな。それとも、ただの低血圧特有のだるさの権化かな、、、と原因を探る。

 程なく気づく。ああ、そうだ。昨日初めて音楽フェスに行ったんだった。1日かけて様々なロックバンドがライブをする野外音楽フェス。目の前でギターをかき鳴らすアーティスト、勢い良く耳に入って来るお気に入りのナンバー、一体となった会場の熱気に魅せられ、何時間もずっと曲に合わせ振り続けられた右腕は、筋肉痛にさいなまれて目覚めを迎えたのだった。

 当然のことだけど、筋肉痛は断続的についてまわる。利き腕である以上、私の右腕は筋肉痛の日とて動かざるを得ないのだった。動かすたびに痛みが伝わって来る。正確には痛みというより、ずっと圧力を加えられているような、何かをひきづるような重みにも近い。うー。。。決して活動に支障は出ないにしろ、その普段通りでない感覚は「筋肉痛です!筋肉痛なんですよ!」と常に呼びかけられているように右腕を意識させる。

 腕を振っている、フェスの当日まさにその時にはそんな事なんか気にしない。それより五感全てがフル稼動してライブを享受していて、その事に満足している。帰りの電車なんかでも、目をつぶればあの光景が…なんて寸法で思い出に浸っている。

 でも一眠りして昨日の事を思い返すと、当たり前だけど全て忠実には思い返せない。昨日見たボーカルの挙動、昨日聞いたサビの音量、全て「こんな感じだった」レベルの再現であり、リアルな感覚はそこにはあまりない。その一方で、フェスの当日、夢中になって振っている時には感じなかった腕の疲労は、翌日の丸一日かけて感じることになる。

 五感は、当日が消費期限の新鮮な記憶にしか働きかけない。それに対し痛覚だけは残業をして、体を出発点にして記憶をあらためて私に馴染ませているようだ。体は正直に、昨日の事を覚えている。思えば目覚めた時に「昨日はフェスだったなあ!今にも曲が耳に溢れて止まらないよ!」とはならなかったけれど、「ふぁー…あ?あー、、、ああ。」とはなった。筋肉痛を以ってして直感的に昨日の事を思い出した(最後の「ああ」が思い出したところだ)。筋肉痛の右腕は当日の記憶の延長線として、記憶を反芻し、長期保存ようにしてくれているようである。

 もう1日もすれば、筋肉痛は治まった。「この前フェス行ってさあ、腕振りすぎちゃって。次の日筋肉痛だったんだよ」と、体が生んだ記憶が私に馴染んでいる頃、健康な右腕はもう次の記憶のスタンバイをしているのだ。

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「右腕の記憶/身体/猫背脱却物語」への1件のフィードバック

  1. 記憶の延長線上の身体(の痛み)という発想が、納得がいくのに新しくて面白かったです。賞味期限とか残業とか、表現も近しくて、起承転結がまとまっていて読みやすかった。

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