暴力/身体/ちきん

なぜか、意識を遠ざけるのが怖くて、明日が来るのが恐ろしくて、昨日はよく眠れなかった。呼吸が浅い。つい机に突っ伏して、顔を横にしてみると、右側に伸びた、講義棟の長い光沢のある机に、水面みたいに窓の外の緑が写っていた。いつもと違う角度から見たら綺麗なものが見えたと、そう雑に字面だけ思った。初夏の日差しと対照的に、照明の落とされた部屋の冷んやりは美しい。それにしても、この体勢ではぜったいに寝られない。みんなすごいな。体が硬いからかな、だいぶ苦しい。苦しい。

 

 

「風呂上がりの体には、あんまり触んないでよ」

ほんとうに不機嫌な顔で言うから、びっくりした。

は?なんでだよ、潔癖症かよ、部屋は汚いくせに?細かいこと気にしてんなよ、男なんだから。お前のマイルールとか、知るかよ。押し付けんな。毒づいて不貞腐れないと、愛情表現を拒まれた気持ちの矛先が片付かないし、びっくりで心が削られてしまう。ぜんぶ脳内と目つきだけで処理して、思っていてもいなくてもとりあえず不幸な顔で見上げて「ごめん」と言えたらいいのだけど、一日の汗が積もった裸で抱き締めて、ただでさえ生温い部屋で延々とあたためて、お前もまた風呂入る前に戻っちゃえばいいよ。

「ちょっとくらい、いいじゃん」

「いや、これだけは本当に嫌なんだよ」

「…ごめん」

 

 

私の妄想はいつも、自分が不幸になって悲劇のヒロインを演じることより、男と物理的に戦って勝つことだ。何か悪いことをしたやつは股間を蹴り上げるし、凶器を持った男には、顔に向かってジュースグラスを次々に投げつけて撃退する。力の強さでは勝てないけど、道具を使ったり急所を狙ったり、暴力の最中に言葉で精神的に攻撃したりすることによって、勝てる。実際には、その瞬間に立たされてみないと、自分にほんとうにひとを傷つける勇気があるのかは分からない。だけど夢の中では、男をやっつけた後は、我に返って動揺したりすることもなく、ただひたすらに満足げでいる。

 

 

「じゃあお前も、私の体、汚すなよ」

 

 

いつもの道を、胸を張って歩くのがいちばん重要だ。自分のからだが消費されることは、それを肯定的に受け容れて、可愛い自分が自信を持って街を歩くことでしか払拭できない。

矛盾している。

鏡の前でひとつひとつ、丁寧に服を脱いで、みつめる。このやわらかくて綺麗なからだがずっと失われてほしくないとおもった。誰にも見られたくない。つらい思いをしたくない、ほんとうはひとを傷つけたくない、死にたい、死にたくない。

 

矛盾している。

 

 

教室を出ると、むわっとした。この時期になると、どこからともなく塩素みたいな匂いがする。最初はこのぬるい空気が冷えた体をあたためるけど、徐々に刺してくるんだ。額に滲んだ汗が髪につかないように掻き上げるとき、自分からは見えないけど、いつも二の腕あたりに意識が集中する。

白く透きとおった肌が、光を跳ね返した。

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「暴力/身体/ちきん」への3件のフィードバック

  1. かっこいい文章だった。馬鹿みたいな感想であるが、そう思う。自分の中の矛盾は居心地の悪いものだろう。それを解消するのにはいろいろな方法があるが、自分の中でこじらせにこじらせてしまう時もある。そこに執着することなく、少なくとも見た目だけでも胸を張れるのは羨ましい。
    それだけかっこいい文章なのだから、小説風味な文章はいらなくても良い気がする。情景描写のような文など。事実でなくともエッセイ調で綴っても読み切れると思う。

  2. 風呂上がりで体を触る触らないでもめているシーンの心理描写はとても上手だと思いました。私もどちらかというと妄想の中では悲劇のヒロインというより勇敢なヒロインを演じたがるので、この主人公の気持ちがよくわかりました。ただ、なんというのでしょう、矛盾している、からの文章のリズムがなんとなく悪くて、そこからすっと読みにくくなってしまいました。それまでの描写が上手な分、非常に勿体無いなあ、と。

  3. 初めと終わりの部分と、中の部分とで全く違う次元の話が書かれていて、面白い書き方だと思った反面、つながりの希薄さも同時に感じる。
    このような書き方は文体が重層的になり奥行きが出る一方で、少し複雑な構成になるので少し読者が突き放されたような印象を受けるように思う。

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