陰影/身体/ノルニル

     きらきら光って透き通る、五月の木漏れ日はきっと淡いみどりいろ。

     幼いころ、影がどうしてまっ黒じゃないのか不思議だった。ぼくの体で光が遮られるのなら、影のついたところは暗く色が変わるだけじゃなくて、何も見えなくなるはずなのに。プラスチックのお道具箱を透かしてみた光と同じように、ひょっとしてぼくの体は半分透明なんじゃないか。

 

     今になって考えてみれば、じつに他愛のないことだ。実のところ、可視光線は人間の身体でほぼ確実に反射、吸収される。そのほとんどは透過しないため、ぼくの体が半分透明だなんてことはあり得ない。もちろん、ごくわずかに透過はするが。懐中電灯やケータイのライトを指のはらに直接当てて透かすと、爪が真っ赤に光るのを想像してもらえればわかるだろう。

     なぜ影がついたところがまっ黒でないのか、という疑問については光の反射で説明できる。太陽光は限りなく並行に近い形で地球に降り注いでいるため、人間の身体などという矮小な一点で遮られた部分の明度は、地面や壁、その他さまざまな点からの反射光でじゅうぶん補うことができるのだ。
     逆に言えば、太陽光を完全にシャットアウトしたうえ光源を一つのみにした暗室で、人間の身体によって遮られた光の影は、完全な闇に限りなく近い。ここから、他の点からの反射光がいかに視界に影響を与えているか、ということがよくわかる。

 

     さて、このように可視光線は人の身体とともに影を形作る。それは電磁波の一種である可視光線の波長が、人体によって反射・吸収されるからだ。
     しかし、X線をはじめとした、可視光線と波長の異なる電磁波には、確かに人体を透過・貫通するものがある。X線はその性質ゆえに人体の骨格や内臓を映し出すが、ニュートリノなどの宇宙線は人間の身体など意に介さず通り抜けていく。この性質を利用した、宇宙線を用いたピラミッド内部の透視実験が先日NHKで取り上げられていた。

     また、身体を貫通するものとして、ある意味では言葉も挙げられる。太陽光のように、並行かつ幅広く向けられた言葉は受け止めやすいが、一対一の指向性、強烈なベクトルを持った言葉は反射ができず、結果として受け止めきれない。そうして取りこぼした言葉が、自分の身体ですこし吸収されながら通り抜けてはじめて、その重みがわかる。

 

     五月の淡い木漏れ日は、その頭上に生い繁る葉っぱの緑を間接的に想像させる。「陰影」という言葉が「光と影が作り出した表情」を指すように、元来、光と影は同義だ。つまり、影は光のあかし。
     くらく滲んだ光の跡も、原爆で焼きついた人間の輪郭も。ひとは自身の影を見て、視覚的に自分の身体が存在していることを実感するのかもしれない。

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「陰影/身体/ノルニル」への2件のフィードバック

  1. 言葉が身体を貫通するという考えは面白い。ただ、この路線で考えるのであれば貫通というよりは吸収されるという表現の方がしっくりくる気がする。人は人の言葉を受け止めているのだからそれは貫通とは少し異なるのではないか。

  2. 冒頭の幼い頃と次の段の切り替えがもう少しはっきりすると良いと思います。結構戸惑いました。また、原爆と言葉の例はどちらも面白いのですが、どちらかに絞ってあると落ち着きます。

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