幸福の星の王子さま/田辺悠希/θn

世の中には二種類の女しかいない。
ヒロインになれる女となれない女だ。

吐き気を催す強い匂いの中で、気づけば一時間も立ち尽くしていたらしい。
「ちょっと、いいですか」
邪魔になっていたのかもしれない。後ろから苛立った声が飛んできて、それと同時に真っ赤な爪が私を突きとばした。目の前のグロスを三本ほど掴んで去っていく。

私だって好きでこんなとこにいるわけじゃない。長い茶髪に向かって叫びたかったけれど、そんなことしたって何にもならないことぐらいわかってる。

校則ばかりが厳しい都立の高校だったから、今の今まで舞台メイク以外の化粧をしたことがなかった。知らなくったって困らなかったのだ。

「最低限のマナーでしょ?」

バイト先の店長の、呆れたような顔を思い出す。
いつ化粧はマナーになったのか。高校生というネームバリューが失われた女は必死に自分を取り繕う。これのどこがマナーなのか。

帰りたい。並んでいる商品は全て同じに見えて、買おうにも買えない。男と金のことしか考えていなそうな店員は、言葉が通じないと思って数十分前にきつく追い払ってしまっていた。

ザーッと波が押し寄せるような拍手と歓声。スポットライトは他でもない自分に向けられている。

「ゆうきさん、今回も素敵でした!」

舞台を降りたら我先にとファンを自称する女生徒たちが駆け寄ってきた。汗かいてるからと制す私の声なんか聞こえていないとでも言うように抱きついてくる彼女たち。女の子らしい、花みたいな香りがした。

「さすが、皆の王子様は違いますね」
「蓮見、見てないで助けてくんない?」
「いやー、ここまで人気に差があるとつらいなぁ」

一緒に男役をやった後輩はにやにやしながら横を通り抜けていく。一応この状況からの救出を頼んだけど、どうやらそれも無駄のようだった。ファンサービス、ファンサービス。

そう。私は王子様だった。

対して部活に力をいれてない高校の演劇部は、高確率で女子しかいない。そうなると優れた脚本家担当が女子のみの脚本を書くか、そんな才能がいない限り、女子が男装して男役をやらなければいけなくなる。

私が所属していた演劇部は後者だったのである。

身長は高くない。声も低いわけじゃない。運動だって得意じゃなかった。
それでも、短い黒髪と切れ長の目が、私の運命を変えてしまったらしい。
「ゆうきちゃん、男役の才能あるよ」
「今回の主役の子、男の子よりイケメンだね」
「今年の1年は、なにより田辺さんが上手いな」
はじめに言い出したのは誰だったか。まんざらでもなかったのは誰だったか。

「ただいま」
リビングのテーブルに無理矢理買った化粧品を投げ出す。
とにかく精神が疲弊していて、なんでもいいからとりあえず風呂に入ろうと思った。普段着をタンスから引っ張りだそうとしたら、化粧品売り場とは対照的な黒や青ばかりが目に入る。

父は「女らしい」ことが嫌いだった。テレビに出ている女優やアイドルをことごとく批判する。この女のしゃべり方が嫌だとか、髪型が気持ち悪いだとか、整形してるからクズだとか。そんな父が選んだ母だから、彼女も私が女らしくあることを望まなかった。髪は少しでも伸びたら切りに行かされた。幼い頃からスカートを履くっていう概念はない。学校指定の制服でさえ、買ってきたのはパンツスタイルの方だった。私以外、学年でそんな女の子いなかったけど。

「アンタのこと、生まれるまで男の子だと思ってたの。だから男の子の名前しか考えてなくて。でも良い名前だし、女の子でもいる名前でしょ?だから、悠希。」

例えば彩花とか、例えば美咲とか。女らしい名前がついていたら私という人間に求められた役割も、少しは違っていたのだろうか。

『姫、私と一緒にここから逃げましょう』

引退公演から、もう1年が経った。
大学の演劇サークルでは男女比が逆転することを知って、愕然とした。私はそこで初めて自分は王子様なんかじゃなくて、ただの女らしさの欠如したヒロイン不適合者にだったことに気づいたのだ。

「どこ座ろっか」
同期何人かと後輩の公演を見にいくことになった。見る側なんて初めてだからそわそわしてしまう。

「はじめて、自分たちで脚本書いたんで見に来てください」

ピアノの曲がかかって、登場人物全員が交代で長いセリフを吐いていく。そこに並んだ後輩たちの姿を見て違和感を感じる。誰ひとりとして男らしく振る舞おうとする人間がいなかった。自分から小さく感嘆詞が漏れたことを認識する。

結論から言えば、彼女たちが作った公演に男役は存在しなかった。
彼女たちは女として舞台に上がり、女として輝いていた。

「先輩みたいに上手く男役できなくって、だから脚本とかも自分たちで書いたんです」
「そっか」

公演が終わって、衣装のまま後輩が駆け寄ってくる。私がいた頃は私の次に男役をやってた蓮見が綺麗なドレスをたくし上げて笑った。
耐えきれなかった。答えた声は震えていただろうか。

ねえ私、私がヒロインになれないのは努力しなかったからでしょ!?

脳の中で、自分に決して浴びせちゃいけない言葉をもう一人の自分が絶叫する。

いつから王子であることにアイデンティティを見出していたのだろう。

高くない身長をごまかすために、10センチ近いシークレットブーツを履いた。低くない声をごまかすために、無理矢理喉を枯らした。人並みの運動神経は獲得しようと、慣れない筋トレや柔軟に励んだ。

私は紛れも無く女で、でも女らしくいることなんか望まれない。それでよかった、もはやそれが私でよかった。今更、女らしくなれなんて。一からの努力のし直しに耐えうる心の強さは私にはない。

社会に出たくない。いつまでも優しい物語の中にいたい。
ほら、助けてよ王子様。『姫、私と一緒にここから逃げましょう』って、そうやって声をかけてよ。

遠くに耳をすませたけれど、蹄の音は聞こえてこなかった。

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「幸福の星の王子さま/田辺悠希/θn」への1件のフィードバック

  1. とても上手く書けてるなというのが第一印象。悠希という男でも女でも通用しそうな名前をうまく物語に活用できているなと思いました。

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