僕は/たなべゆうき/やきさば

「田辺さん、今度のオーディション受けるんだって」

瞬間頭が真っ白になった。「ええ!すごいですね!よかったじゃないですか!!」と、反射的に答えたが、僕の背中は自分でもわかるくらい汗が噴き出していて、動揺を隠せていなかったと思う。

 

田辺さんが今度のオーディションにでる。
ということは僕はもう、全国大会には出れないということだ。

 

これまで、ずっと練習してきた。血のにじむような努力をしてきた。はじめは人が足りないからという理由だったけど、練習を重ねていくうちに、月に一回のオーディションを何度もパスするうちに、自分が全国大会に出るんだという覚悟を持ち始めて、何もかも犠牲にして練習してきた。毎日毎日夜遅くまでサックスを吹いた。課題だって、バイトだって放り投げてずっと練習に打ち込んできた。

 

それなのに、その努力が無駄になる。その時間が無駄になる。

僕はいままで何をしていたんだろう。こんな形で終わるなら努力なんてしなければよかった。なんで全国大会まであと二か月という寸前の時期になっていきなり出場するとか言い出すんだ。だったらもっと早く、もっと早く言ってくれよ。僕の時間かえしてくれよ。そうしたら僕はここまで傷つかなくて済んだのに。

 

田辺さんだったら、オーディションをパスするのは当たり前。去年の全国大会に出場して、優秀賞を獲得したほどの人物だ。オーディションをしたら、定員オーバーで僕が落とされることになるのは目に見えている。それに、田辺さんが出場した方が絶対に全国大会で結果を出せる。周りの期待にだって応えられる。僕じゃなくて田辺さんが出場した方が、全てがいい方向に転ぶのは周知の事実なのだ。彼は天才なのだから。

 

憎い。
あんなに努力したのに。田辺さんみたいになりたいと思って、あんなに努力したのに。わからないことは自分より上手な先輩に片っ端から聞いて、練習して、今まで人生でこんなに一つのことに打ち込んだことがないってくらい、全身全霊でサックスを吹き続けたのに。
なのに、田辺さんはその努力をあざ笑うかのように、一瞬にて僕の場所を奪っていく。僕には到底真似できない演奏をして、僕には一生かけても実現不可能なことを成し遂げていく。田辺さんが憎い。田辺さんは天才なのだから仕方ない。でも、田辺さんが憎い。

 

 

「やっぱり僕ら凡人はさ、どんなにあがいても天才には勝てないんだよなあ」

 

僕と同じように田辺さんによって夢を絶たれた先輩が言う。
膝に置いていた僕の手にはいつのまにか水滴が落ちていた。

 

「天才だから僕らに夢を見せてくれるんです。天才だからどうしようもないんです。僕は、田辺さんになりたかった」

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「僕は/たなべゆうき/やきさば」への2件のフィードバック

  1. 物語はお話の動きが大切なので、どん底の谷間よりそれに差し掛かるまでの下り坂、あるいはそこから這い上がる上り坂を切り取った方がいいという話をどこかで聞きました。曰く、絶対的な事件は描かずにその前後で匂わせながら構築したほうがいいとかなんとか。
    この文章でいくと、届かないものに対しての憧れと悲嘆に暮れている状況で、ドツボに嵌ってしまっているので、どこかに希望の光が差すとお話がより動的になるかもしれません。

  2. とある物語の一部分を切り取ったように感じました。それも強大な壁にぶつかって絶望する場面だけ。

    一話完結にするならもう少し動きがあったほうが読んでいる側としては面白く感じます。または相手にたいしての考察というか、主人公の思いをもっと細かく、生々しく書くとよいのかもしれません。

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