隠匿/棘/五目いなり

   真白い薔薇の手触りを、殺す様にペンキを塗る。
   絹の様に滑らかだった白い花弁は途端にぬめる赤色に埋め尽くされ、ぼたりと垂れた赤いペンキが、傷だらけの掌に広がった。手の上に花が咲いた様だねと、閉ざされた塔で眠っている彼の姫なら言っただろうか。僕は小麦菓子の様な形をした雲の浮く空を眺め、土とペンキで汚れたズボンで手を拭いた。強く手を擦り過ぎて、荊で傷ついた両の手がひりりと痛む。
   見渡す限りの荊の森は、誰一人として侵入者を許さない。ハートの女王がそう決めたからだと知っているのは、僕と、荊に咲く白薔薇だけで、後は城の前で猫や兎や燭台が、不思議がって首を傾げるだけなのだ。閉じ込められた姫でさえも、何も知らずに百年間の眠りに身を任せている。
『荊の森に咲く白薔薇を、全て赤く染めるのならば、姫の眠りを覚ましてやろう』
   僕はハートの女王のその言葉を信じて、白い薔薇をペンキで染める。今日も、昨日も、百年前も。もしかしたら、百年後も僕はこの真綿の様に無害な白を殺して回っているのかもしれない。何せ僕はこの城の庭師だから、この薔薇を枯らす訳にはいかないのだ。
   ペンキの刷毛を持つ右の手が、エメラルドグリーンの空に滲む。目の前に咲く白い薔薇の花はいつの間にかになめしたばかりの動物の皮の様な光沢のある赤色になっていて、あれ、と思って手を伸ばすと、指先がぷつんと弾けた。小さな血の玉が指に乗り、痛みを感じて驚く前に、空の色が青くなり、額から滝のような汗が流れた。
「どうしたの、グリーン・サム」
   背後から掛けられた声にはっと後ろを振り向けば、そこには真白いワンピースに身を包んだ屋敷の娘が立っていた。それが僕の知るお嬢様であり、また、ぼんやりとした夢の中に現れた彼の姫だということは、考えるまでもない。
   彼女は僕の怪我した手を覗きこみ、「薔薇で怪我をするなんて、あなたらしくないじゃない」と、心配そうに手を添える。ワンピースに指先の血が乗って、じんわりと染み込む様は、酷く罪深いものを見ている様な気分になった。
「お召しものが汚れますよ、お嬢様。私は庭師ですから、怪我くらいなんてことないのです」
「でも、グリーン・サム、貴方ほどの庭師が怪我をするなんて、よっぽど何かがあったとしか思えないわ」
   労わる様に指を撫でられ、僕はその手を拒むことも出来ずに甘んじる。太陽がてっぺんに輝く青空に、流れる汗は止まらない。噤んだ口は、彼女の手が頬を撫でても、開くことなど出来なかった。
「私には、何があったか教えてくれないのね」と問う彼女に、僕は
「おかしな夢を見ていただけですから」としか、言うことは出来ない。
   遠くから屋敷の執事がお嬢様を呼ぶ声がして、僕は彼女を促した。
「ほら、お嬢様、執事が呼んでおりますよ。また見合いの席を台無しになんてしたら、また屋敷に閉じ込められてしまいます」
「いいのよ、それでも」
「よくなんてありませんって」
   僕は庭の、さっきまで白かった様な気がしている、以前から真っ赤な薔薇を摘み取って、彼女に差し出した。彼女はその薔薇を両の手で握りしめる。あ、と驚き手を伸ばすと、彼女は傷だらけになった掌を、僕の眼前に広げた。血の玉の浮く指先の隙間から覗くのは、満面の笑みだ。
「こんなに綺麗な薔薇を育てられる人の傍から、私、離れるつもりなんてないのにね」
   それだけ言うと、声を張り上げ彼女を探す執事に向かって「今行くわ」と返事をした。
ワンピースを翻しながら走り去る彼女の後姿を眺めながら、この薔薇は、僕の命そのものなんだと思い知る。僕にとって枯らすわけにはいかない命の庭が、彼女にとっては眠りに誘う荊の城なのだと気が付くと、僕は自分が、なんて醜い獣の様な心を持っているのだろうと、思わずにはいられなかった。

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「隠匿/棘/五目いなり」への3件のフィードバック

  1. 色の使い方が綺麗ですね。童話のような世界観で、それでもどこか哀愁漂うようなこの雰囲気はじんわりきます。
    二人の対比がもっとはっきりとでると良くなるかもしれません。
    まぁ、それもナンセンスなのかもしれませんが。

  2. 色の表現、言葉のひとつひとつが美しいと感じました。ただ、夢かうつつかよく分からない感じがもどかしいと思う気持ちもあり、ただ、それも良さなのかなと思いました。

  3. もう私はどうすればいいか分からないので、君にラブレターを送る気持ちで書きますね。
    完璧すぎるのでしょうか。平均が高い水準にあるのです。でも、だから、あとひとっ飛びなのです。このお話で、君が何を、どこを大切だと思っていたのか、私には分からなかったのです…!

    私と君の文章の書き方は本当に正反対だなあと思います。私は感情先行です。過剰なまでに。欠点は目に見えています。キャラクターと適切な距離が取れず、同化してしまいます。からっぽの器に魂を吹き込むのが圧倒的に下手です。
    努力のしようはあります。たぶん、もうどうしようもないところもあります。それでも、欠点があるからこそ引っかかりを残せることがあります。そうやって、許してもらおうとしてる図太いやつです。

    君は、きっと文章が先にあるのですね。君は、文章を切り貼りして感情を造りだそうとしている感じです。透明人間の文章、ペンギンの文章には君を見つけたと私は思ったのです。でも、私はこのお話に君はいるのかなって思ったのです。君がたったひとつだと思うものがあると嬉しいんです。たぶんお話を読むのは、自分と同じ誰かを見つけたくてじゃないかと思うのです。

    もうこれはスタイルの違いですね。でも私は君の内臓があるといいなと思いながらお話を待ってます。足しでて2で割ったら丁度いいかもしれないけど、それだと普通になってしまうので、たくさん、たくさんお話を書きましょう。ありがとうございました!!(?

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