ラブレター/明るい話

わたしの母親は少々世間知らずのアホである。

小さいときから、ミミズのことをミミズク、ミミズクのことをミミズと教えられたわたしは、今でもミミズを見てそれがミミズクでないことに不安を覚えるようになってしまった。

鳩の鳴き声を、「これ、フクロウの鳴き声だよ、ハリーポッターの」と無責任に教えられたせいで、世の中にはフクロウが目には見えないけど沢山いるんだなあ、という感覚が抜けない。

この間なんて、わたしが初めて陶芸体験をした湯飲みからチリンチリンと音がする!と慌てて連絡が来た。一緒にその湯飲みに張り付いて音を聞いていたのだけど、全然しなかったからおそらく聞き間違いなのに、それを認めない。

彼女の適当な知識のせいでわたしの世界観は歪められてしまっているような気がする。『赤毛のアン』と『長靴下のピッピ』が好きで、『セサミストリート』のクッキーモンスターと『モンスターズインク』のサリーが好き。赤のボワっとした女の子と、青のでっかいモンスターの物語や映画を小さいときから偏って見せられたせいで、私にとってもそれが特別なもののように見えてしまう。これらを見たとき、無意識的に反応しなければならない感覚が走るのだ。

そんな母だけど、柔和で、闘争心がなく、自己犠牲をする姿は母親の鏡であって、わたしにとって大切で、原点で、大好きな存在である。母とは、苦しい話も辛い話もできてしまうから、ついついそんな時を支えてくれた、涙なしでは語れない存在のように昇華しがちだけれど、一緒に生きた21年間、圧倒的にしょうもない話をしている時間の方が長い。

わたしが不自由なく、そこそこ幸せに過ごすことは、わたし以上に母が喜ぶことだと小さいときから気づいていた。自暴自棄になったとき、なりきれないのは、母の話を聞いてほしいときにする、ニタニタしたいたずらっ子のような笑みを思い出してしまうからだ。もう還暦も近くなってきているのに、たまにだけど可愛い、と素直に思ってしまうことがある。老いていくこと、自分がおばさんになったときを想像して絶望するとき、わたしも一瞬だけ可愛く見えるようなおばさんになりたいと思い直して立て直す。負の感情に引きずり込まれたとき、チャーミングに拾い上げて気を晴らしてくれるのが、母だ。

「うちは代々晴れ女晴れ男の家系だからね」と、幼いときからわたしは晴れ女に仕立て上げられた。ここぞという人生の分岐点で必ず晴れになる、そう思い込んでいるからか、わたしは本当に晴れ女な気がする。雲一つない空を見たとき、今日はやっぱりわたしにとって大事な1日になるはずの日だ、と母の教えを思い返し、気合を入れて、楽しもうと覚悟を決めるのだ。

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