今日はきっといい日であるのだ!/明るい話

1.薫

 

できたての青空を赤ん坊の笑い声が破った。

妻の喜子が、さらさらと筆をはしらせて“お告げ”を書きとめる。そして、半紙をぴんと伸ばして駐車場中のみんなに見えるようにした。私は声を張り上げる。

「本日の新しい朝は――“オブラートに包んだような朝”です!!」

拍手があがった。じじばば各位、主婦や小学生。老若男女入り乱れる体操を終えた面々は口々に互いをたたえ合う。これにて、本日のラジオ体操は解散だ。娘のあおがスタンプカードの列を整理し始めた。

 

「――だから、オブラートの朝って絶対よくない意味だよね?」

ラジオ体操屋の朝はめまぐるしい。今日も一軒のクレーム処理から始まった。駐車場のスタンプの列を窓から横目に見て、私はすかさず「まあまあ」と相手をなだめにかかる。

「まずオブラートに包まれてるもんって考えてみ? にっがい薬とか言いにくい本音とかでしょ? ぜったい良くない。今日一日最悪だよ」

言い合いを尻目に、顔が枯れたひまわりでできた男の子が横からレジにラムネを差し出す。これで去ってくれるかと期待したが、会計を終えてもクレーマーは居座った。

「そうはいっても早見さん。人生、不幸があれば次は幸が来ますよ。その逆もまたしかりですから、今は幸せがくるのを今か今かとワクワクしながら待ちましょうや」

「だいたいさあ、最近微妙な朝多すぎるんだよ! 昨日は“何か忘れているようで思い出せないような朝”だし一昨日はさあ――」

棘のある言葉を受ければ気分はささくれだつ。ささくれ立った心はまた棘の言葉を返す。ならばせめて自分からはやわらかい言葉を返してみよう。そう決めてから約30年。私は今日も立派な「まあまあ戦士」として生きている。

かつて私がサラリーマンだったころ。契約先ともめる上司に「まあまあ」と繰り返した。なにぶん双方ぶつかり合うので、私はひたすら「やわらか翻訳機」に徹した。あいつはわかっとらん→かくかくしかじかな仕組みですので、我々が最良だと考えたプランはこちらになります! センスが悪い→数あるサンプルから現在の流行を検出しますと、この方向性に改善すればさらによくなりますかと!

すると不思議に化学反応。最後にあれだけ険悪だった彼らは自主的に相手に握手を求めるまでに意気投合だ。今日は飲もうぜお祝いだ! と肩組みあって居酒屋へ向かう。

こちらにわき目もふらずに。

そう、そうなのだ。たいていのドラマで「まあまあ」係は脇役である。こっちの苦労も考えてくれよとひとりごちても詮無いことだ。いい結果になったからいいじゃないかと納得しようとしてみても、自分には誰かとぶつかるほどの信念もないのだとまた新しい憂鬱が生まれてみせた。

その繰り返しの人生である。

 

大きく深呼吸をした。ようやく早見さんの対応を終える。言われた通り、最近は歯切れの悪い“朝”のお告げばかりでクレームも多い。こればっかりはどうしようもないが、なんとか運が向いてきてはくれないだろうか。明日も悪かったら修羅場だなと、降りかかる棘言葉を思ってため息。いかん、しあわせが逃げてしまう。

「おつかれさま」

そのとき後ろから喜子に声をかけられた。彼女は小型のラジオを片手に、小さな乳酸飲料をよこしてくれた。

ふむ。まあ、この流れは毎日恒例であるが、それでもこんな日々は悪くないと思う。

 

本当に大変申し訳ありません。とても長いので、ここまででコメントをつけていただいても構いません。今回は他に提出できるものもないので、申し訳ありませんがこちらを挙げさせていただきます。今後はこのようなスタジオを私物化するような真似はしないようにします。本当に申し訳ありませんでした。

 

2.喜子

 

一番に起きて、まずわたしは駐車場に出て電波の位置を探します。このラジ夫はひときわ気難しく、これしかないという位置に正確に置かれることを所望しています。

しかし、わたしには完璧にそれができるのです。しかも、一発で。

一階に“ラジオ体操屋”と看板のついた、小さな戸建ての家がありますが、むしろあちらはおまけです。ラジオ体操はたくさんの人数で広いところに出てやるのですから。メインはこの駐車場です。

さて。目を閉じて耳を澄まします。数十キロメートル離れた海で、タツノオトシゴをさらう波の音。おやおや、西町の家の方から誰かの怒りと悲しみの波が伝わってきます。

おっといけない。集中集中。今わたしがいちばん必要としているのは、ラジ夫のための最強の電波です。他の波には気を取られずに! どうやら今日は西の方角が吉のようです。わたしは車の置き石をまたいで移動しました。

 

そう、わたしは何故かあらゆる“波”を受けとってしまう性質があるようなのです。

幼いころからそうだったようで、わたしはいつもいろいろな波に囲まれていました。電波、音波、海の波はもちろん、他にもたくさん。ときどきものすごく遠くの波が、きらきらと耳に降りてきたこともあります。

しかし、ある日のことです。そのころ家の近くのどこかから、黒い黒い苛立ちのような怨念のような波を頻繁に受け取っていました。学校にいる間は他のことに気を取られて忘れているのですが、帰宅すればふとそれは忍び寄ってきます。家に帰るのが怖くなってきたくらいのとき、理由は判明しました。

「お隣さん、離婚しちゃったんですって」

玄関で母が近所の人に話すのを聞きました。つまり、わたしが受け取っていたのは、隣の夫婦の気持ちの波だったのです。

気付いたとき、おそろしくなりました。波は良いものだけではないのです。そしてある考えが私に浮かびました。わたしは気づいていたのだから、こうなる前に何かしてあげられたのではないかということ。

 

そこからは苦しいことの方が多かったように思います。友達としゃべって笑っていても、ふと遠くの波を受信してしまい、どうすればいいのか分からなくなりました。ひとり泣いている赤ん坊の悲痛、どこかでおこった大きな津波。休める氷を失ってしまった、シロクマの最後の咆哮。そのひとつずつの悲しみは、わたしにはどうすることもできないという、新たな悲しみをぽこぽこと生みます。

雪だるま式に膨らむ波に、わたしは対応できなくなっていました。

 

「あきらめていいよ」

その言葉が、虹色の波だったのをわたしは覚えています。

薫さんはすこし頼りない人でした。立ち姿もなんとなくひょろひょろして、全体的にしだれ柳のようです。なにを言われてもいつもへらへらと笑っていて、見ているとこちらの気持ちがぺこりとへこんでしまう人でした。

でも、あの日泣いているわたしに声をかけてくれたのは彼でした。

どうしようもない悲しみをどうすればいいかと話したとき、彼はうんうん唸ってこう答えました。

「じゃあさ、手が届く範囲のことはなんとかしよう。それ以外は、もういいよ」

わたしは顔を上げて薫さんを見ました。でも、本当にそれでいいのと言いました。

「うーん、じゃあもしだめだったら、言い出しっぺの僕にも責任があるわけだしさ、だから、喜子さんはもうあきらめていいよ。本当はだめでも、いいよ」

うん、いいよ。と薫さんは呟き続けました。私が喋れるようになるまで困ったように、ずっといいよと言っていてくれました。

 

さて、今朝も無事ラジ夫からは軽快なメロディが流れてきました。みんなそれに合わせて身体を揺らします。アンテナの角度は我ながら完璧です。

ふと、向こうの方から娘のあおが何かまくしたてる声が聞こえてきました。なんだか面倒くさそうなので、聞こえないふりをして放置です。さて、目の前の早見さんからは、何やら最近さびしげな波が伝わってきていました。少し声をかけてみようかと、わたしはやることリストを更新します。

手の届く範囲に、定期的にみなさんを集めれば、少しはなんとかできそうですので。

 

3.あお

あ~~もう、分かってない。みんな全っ然、分かってない!!

母がセットしたラジ夫からは、毎度おなじみのラジオ体操の歌が流れている。みんながそれに合わせて動くのを私はしばらく後ろから見ていたのだけど。

だけど。

「ヘイ、たなべくん! 君はもっと膝を曲げればさらなる高みへと近づけるよ!」

つい耐え切れなくなって声をかけてしまった。彼はひまわりの頭を持った少年で、そして、新入りだ。教育のし甲斐があるじゃあないか! 教えていると、今度は斜め前の柿崎さんの腕の角度に目が行ってしまった。あっちの早見さんは変に強張ってるし、う、だめだめだめ。父には口うるさく言うのはやめろと釘を刺されているけど、でも、気になる!

分かってる。分かってるんだよ。ラジオ体操とは、『日本人の体格向上のため国(以下略)「多少趣味的な」体操』を目指して開発されたものだって。そう、「多少趣味的な」。

まあね、キツすぎて続けられなかったら意味ないもんね。気軽な社会参加の場としようと考えている父は、

だけど、だけどな。私は胸の中の武道館でラジオ体操への熱い思いを叫ぶ。

ヘイ、ユーは知ってるかい? 第一体操No.11の「両腕で跳ぶ運動」。あれはね、一番最後の「ひらいて」「とじて」の、「とじて」で閉じちゃもったいない。

正確に言うと脚は閉じていい。でも手を開いたままにすると、なんと、アメージング! No.12の「腕を振って脚を曲げ伸ばす運動」に自然とつなぐことができるんだぜ!

おっと、父がこっちを見ている気がする。うっ、わかりましたよ。スパルタなんかじゃありませんよ私は。

でもさあ、最近なんだかビミョーなお告げが続いてるでしょ? ひょっとしたらそれはみんなのユルユルすぎる体操に、ラジオ体操の神さまがお怒りになったんじゃないかと思うのよ。だから、しばらくは心を鬼にして指導に回るキャンペーンも必要じゃないかと思うわけ。

今日の家族会議でその話題を出そうと私は決めた。スタンプカードのフリースペースに各自の美点と改善点を記録して渡したらどうだろう。ここにいる全員の名前もポテンシャルも大体把握してるし。そして、周りを見回して気付く。

あっ、今日も健人がいない!

 

 

4.健人

 

俺はいつものように駐車場を抜け出した。いくら家業でもだるすぎる。中学生にもなってラジオ体操なんてやってられない。

だいたい、おかしいのは家族のほうだ。父親は脱サラして“ラジオ体操屋”なんてトチ狂ったもの開業するし、母親はそれを止めなかったわけだし。生徒会長の姉貴に至っては、自分の高校の不良を更生させるために「毎朝ラジオ体操制度」を導入した(結果は上々らしい。世の中狂ってる)。赤ん坊までまきこみやがって。むしろ俺の考えのほうが一般的じゃないか?

早朝の道は誰もいない。俺は人目をはばからずに思う存分あくびをした。時間がくるまでベンチで寝ようかと考えながら公園に入った。

すると既に先客がいた。ガキだ。男。こんな時間にひとりで小石を蹴って遊んでいる。

当然無視しようとしたが、首から下げたスタンプカードが目に入ってしまった。ゲッ、商売相手かよ。体操に参加することを契約に入れているから、下手すると信用問題に関わる。俺はしぶしぶ声をかけた。

「おいガキ、なにしてんだ」

小学生か? 振り返って、何を考えてるのか分からない目でこっちをじっと見てくる。

固まったまま数秒が過ぎた。あっ、これめんどくさいタイプのやつだ。信じられねえことに、ガキって意外とアニメみたいに喋らない。やりにくいな。

「ラジオ体操、いかねえの」

「……いかない」

「じゃあなんでここにいんの」

「……ママが行けっていうから」

俺はガキのスタンプカードを盗み見た。最初の二、三日以降長い間スタンプは押されていない。

ははん、つまりはあれだ。母親に行ってないのがバレて怒られたけど、今さら体操に参加するわけにもいかず、公園で暇つぶしして偽装工作ってわけだ。なんでそんなに推理が早いのかって? そこは想像にお任せしたい。

まあ、なんだ。目の前のガキは怒られると思ったのかフリーズしたままだ。あれだよ、なんでも一回サボると戻りにくいんだよな。部活とかさ。戻った時には基礎練のメニュー変わってたりして、周りは「なんでできないの」って目で見てきたりするしな。

俺は早起きで疲労した肉体に鞭打って、しゃがんで目線を合わせてやった。

「途中からでも入れんぞ」

「……」

仕方ねえ。出血大サービス。俺はポケットからスタンプを取り出した。

ガキはちょっと驚いたような顔をした。三個くらいだけど、日付はランダムに出席スタンプを押してやった。逆に信憑性あんだろ、こっちのが。

そう、ラジオ体操屋の最高権限と言える出席スタンプ、権限はなんと俺にある。まあだから、どんなにだるくても最後はあそこに戻らなきゃならない。

ガキの、すーすーうるさい鼻呼吸が聞こえてくる。

「ほら、いくぞ」

俺はほそっこい手首をつかんで、もと来た道を急いだ。

 

 

5.朝

 

体操も第二に差し掛かった処である。余は視界の端に兄上の健人が戻ってきたのを捉えた。兄上は怠け癖があり、ラジオ体操へもはや崇拝と呼べるほどの執念を持つ姉上とは正反対である。いつか姉弟というものは、生存の可能性を高めるためにそれぞれ全く異なった性格になると母上から聞いたことがあった。なるほど、なかなか有り得そうである。

「あら、朝くん。随分ふてぶてしい顔してるわね~」

「ほんとね、疲れちゃったかな?」

不覚。余は即座におうおうと不明瞭な音を二、三ほど発した。むちりとした両腕も上下に振ってみせる。駄目押しにきゃっきゃと笑って見せれば、その様子を見てご婦人は大喜びである。ふむ。どうもいかんな。実年齢、一歳半に見合った振る舞いというのも難しい。

さて、体操も最高潮に達しはじめた。みな随分身体がほぐれてきたようである。しかし、今日の“新しい朝”はどうであろう。余は目を瞑り耳をすます。風の流れや湿度など五感のすべてを持ってして、近づく“朝”を見極めようとした。

ふむ。あまり芳しくない。最近はどうもぱっとしない“朝”が多い。こればかりは運であるが、商売であれば不満もわく。責められる父上の姿を想像し、如何ともしがたい気分となった。

その時、檸檬の様な結晶が煌めいた。

見れば新参の少年とたなべ少年が邂逅を果たしていた。傍では兄上がその様子を見守っており、どうやら連れてきたらしい。そして萎びた向日葵頭のたなべ少年は、新参の少年に体操の仕方を教授している。ふむ。なにやら、すこぶる良い傾向。

そう、そして正に。その一つの些細な出来事が、ここ最近の悪い流れを変革し始めた。

一面の稲穂の朝露を弾くような風、赤い鉄を打った時に飛び散った破片でできた星座。体操する面々の振幅や談笑が、一緒くたにこの駐車場に集まっている。それらは入り乱れては響き合い、まだ見ぬ“新しい朝”を形成し始めた。

余は不思議な気持ちでもってそれを眺めていた。ふむ。どうも物事は、人生は、些細なきっかけからなにか大きなものがまるきり変わることがある様だ。

最後のピアノの一音が鳴り終わる。余は乳母車越しに母上の目を見た。安心してください、今日こそいい“お告げ”を皆さんに伝えることができます。彼女はしかと頷いた。

余は乳母車の上でえいと気張った。そして、不明瞭ゆえ取りこぼしのない発音でもって“新しい朝”の名を告げた。

 

 

 

参考

ラジオ体操の歴史

http://www.jp-life.japanpost.jp/aboutus/csr/radio/abt_csr_rdo_history.html

 

 

 

 

 

 

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