結局人生そんなもん!/明るい話

この大学に入って、この学部に入って、スタジオとゼミに入って。そうしたら、いつの間にかジェンダーやサブカルや精神分析を学んでおりまして。
あれ?どうした、私はこんな精神を病むようなことをやりたかったのか、と自問自答することも多々ありました。でもまあここまで来てしまったし、もうあとは野となれ山となれ。後先は考えず生きるのが私のモットーでもあるので、もう知りません。今までもどうにかなってきたんだ、どうとでもなるでしょう!というお気楽思考で生きていこうと思っておるところです。

さて、そんな環境で過ごしてますと、まあほとんどの皆さんが同じ釜の飯を食う、とでもいいますか、同じ傷を抉り合うの方がいいのかな?とりあえず皆さんなら分かるでしょうが、主体とか大文字の他者とか耳にタコができるくらい聞いてるわけです。そして、自身について、あるいは周りの人間について考えるわけです。「この事例は私(他人)に当てはまるだろうか」とかなんとか。
ラカンやフロイトなんかは凄い人なんだろうし、こんなしがない大学生が同じ土俵に立とうなど100年どころか人生3回分は足りないのでしょう。でも、私なりに、自分のことについて考えると、「んなアホな」と突っ込みたくなるような論がわんさかあるんですよ。多分それは私が無知で馬鹿だからなんだろうけど。

この手の話によくあるのが「わたし」と「私」問題。これ大学受験の現代文にもえらい出てきましたよね。「わたし」は「私」とは異なって云々かんぬん……いや、知らんがなって感じですよ。私が私ですって言えばもう私は私なんじゃないんですか!?そんな、「わたし」が「私」だと認めるにはこういうプロセスが〜とか、他人が〜、自己が〜…分かんない!分かるわけがない!!なんです、私は北川景子です、と言えばウィッシュなパーフェクト男子と結婚できるというのですか!できないでしょう!知ってるわ!

でも、あれなんですよ。全部分かるわけないだろ!って言うわけでもなくて、たまーに、「ラカンあんたええこと言うやないの」と思えることもあるんですよ。夢の話とかね。だから、油断できないというかなんというか。核心つかれると人間弱いというか。認めざるを得なくなるんです。私って、人間ってそういうもんなのね、とか言ってね。
やっぱり私は、そんなに考えて生きたくない。もう面倒くさい。分からないから面倒なんじゃなくて、解明されるたびに苦しくなるんです。「自分が紐解かれていく!やめて!私はそんなに分析できるほど単純で、だからと言ってそんなに複雑な人間じゃないのよ!」と叫びたくなるんです。もっと気楽に人生送りましょう。頭を空っぽに、お花畑でもちりばめて。そうして、無知になって、馬鹿になって、生きたほうが楽じゃないですか。中途半端に何かを知ってしまうから、私は中途半端に傷つくんじゃないですか。

ね、だから、人生明るく、何にも考えず、過ごした人のほうがきっと成功するんですよ。

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