雨に語れば/明るい話

雨の日がいい。例えば、小説の中で主人公が何かを決意したときとか。解らなかった物事がスッと理解できたような気がしたときとか。あるいは、ちょっとそこのコンビニに行くときとか。

何が言いたいかって、だから、明るい話なんて糞喰らえってことだ。

 

もし、もしだ。お金が有り余るほど裕福で、しかもその使い方にもセンスがあって。大学なんて行く必要もないほど頭が良くて、人脈も世界中に張り巡らされてて、性格も顔もよくて。もしそんな人がいて、その人が「世界は明るい!」って言ったなら、その時は僕もああそうなんだなって思う。そんな人が言うのなら仕方ない。反論するよりは、賛同したほうがずっと賢い。  そこまでいかなくても、例えば仲のいい夫婦に赤ちゃんが生まれたとか。可愛い飼い犬が本当に可愛くて可愛くて仕方がないときとか。そういう人が口にする小さな時間の幸福には、思わず「おめでとう!」って言いたくなるような、普段ではどうにも抗えない力がある。と思う。そこで変なことを言うほど、僕は偏屈でいられない。って思う。

 

でもさ、そんなことってそうないよ。大抵どんな人にも、そんなに幸福って長続きするものではない。いつだって失敗したことは現在まで尾を引くし、どうやったって相性の悪い人と付き合わなきゃならない時もある。嫌いな食べ物も苦手な勉強もしないわけにはいかないし、明日や来年やその先がどうなるかは誰も解らない。考えるってことすらできないことも、どうしたってどっかにあるんだろう。もちろん、反対のこともあるんだけど。それでも、さ。

そんな僕たちがただ明るい話を書いても、そこにはリアリティがない。そりゃまあ僕は馬鹿で、気づいていないことも勘違いしていることもたくさんある。遠くにある森の中でただ仰向けになる話とか。帰り道に大声で歌を歌う話とか。膨らんでいる財布を拾う話とか。そういう話を書けばいいっていうことかもしれないけど。でも、それはどこかで空しいってつい思ってしまう。重度の人文病患者じゃないけど、そんなことして何になるの?って。君は思わない?僕は思うよ、大体一日に2時間ぐらいは。

もちろんじゃあ物語なんて読むなって話かもしれない。だから、リアリティの話だ。明るいだけの話なら、その話はもっと面白くなる余地がある。

 

だからせめて、物語には雨が降るぐらいがちょうどいい。いっそありとあらゆる物語には雨が降っていてほしい。幸福でも不幸でもない、天秤がゆらゆら揺れるような。ドラマティックじゃない話にこそ、僕たちがが書いたという価値が生まれる。僕はそう信じている。

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