Happy Deathday!/明るい話

別段人間に恨みがある訳ではない。
確かに私は幼い頃に人間に殺されはしたのだが、まあ異端を恐れるのが人間であるというのは十分心得てはいるし、死因は湖に突き落とされた後に泳げなかったという何とも情けない溺死だから、正直言ってみれば私の死なんて事故みたいなもんである。
なのに、どうしてこうなった。
ねとねとと気持ちの悪いヘドロが全身に絡みつき、傷だらけの身体の肉は骨にへばりつきながら、どうにか人間の形を保っている。
顔の傷も生前のものよりも酷く醜く歪んでしまい、もう素顔なんて見せられたものではないから、ぼろぼろのホッケーマスクを被る他ない。
私がこの湖で溺れ死んだのは確かもう十数年、或いは数十年も昔の話だった筈なのに、どういう訳か私の身体は一般的な成人男性のそれよりも大きく成長しきっている。
湖の魚や蛙だって、私を見ると『呪いだ!呪いだ!』と騒ぎ散らして何処かへ消えるのが常で、いつの間にかに私が死に、そして死んだ私が生きてきたこの湖は、呪いの湖と言われるようになっていた。
そうだ、私は呪いなのだ。
私を殺した人間へのありもしない恨みを抱き、この湖を訪れる全ての人間に復讐する。
それが私の使命であると気がついたのは、皮肉にも、私が死んだ日と同じ、澄み切った夜空に何とも美しい月の出た夜、13日の金曜日であった。

湖のほとりに建てられた小さな小屋は、嘗ては若者たちに流行りのキャンプ場として使われていた過去がある。
私の両親はそのキャンプ場の経営者であったのだが、私が溺れ死んだショックでこの土地を離れたらしく、それ以来新しい管理人が入ったり止めたりを繰り返していて、ここ数年は無人の状態が続いている。
なんでもいじめに遭って湖で溺れ死んだ少年の霊が見えるとか、その少年の呪いがあるとかで、評判はどんどん下がり、結果的にはどの経営者も気味悪がってここから去っていくんだそうだと、安住の地を手に入れた魚達が語っているのを、いつだか聞いた覚えがある。
けれど、そんなものは全て単なる風評被害だ。
私は何もしていないのに勝手に呪いに仕立て上げるのは止めて欲しいし、こちらに経営難の原因を押し付けてこられても、正直困る。
……と、思っていたところ、新しい経営者がまたこのキャンプ場を再開したらしいと、今度は蛙が言っていたのを先日聞いた。
その証拠に最近では湖の周りではしゃぐ子供の声が時折聞こえ、また湖の上では愛を語り合う恋人たちのボートが通過するのが見えたりする。
皆が幸せならもうそれでいいじゃないか、と思ってしばらくはその様子を眺めていたのだけれども、13日の金曜日ともあれば、やはり呪いとしてこの身体を得た私は呪いを実行せねばならない。
金曜日の朝、湖の上を滑るボートを眺め、私は底に沈んだナタに手を伸ばす。
ずっしりとした重み。
『お前は呪いの存在だ』と、人を殺せ恨みを晴らせと囁いて、鋭い刃が鈍く光る。
……気乗りはしないが、それが使命ならば仕方がない。

全ての怪奇現象は、仲睦まじいカップルの死から始まる。
復讐の使命を得た私が呪いを学ぶために見たホラー映画は全てそう始まっていたから、絶対に間違いない。
……と、いうわけで、私は今、例の小屋の屋根裏に続く階段の前に立っている。
数日前から小屋に泊っている若者集団の内の二人、しかも男女がひっそりと人目を忍び、けれども桃色の雰囲気を漂わせながらこの屋根裏に、つい先ほど消えていったのを見たからだ。
13日の金曜日。
月のない夜。
屋根裏。
イチャつくカップル。
これほど復讐の殺人鬼、或いは呪いの始動に相応しい日も他にない。
呪いとしての初仕事にナタを握る手が震える、という訳でもなく、どちらかと言えば呪いの先駆けとして意味も分からないまま死ぬ人々に多少の同情すらしてしまうが、呪いの自分がそんなことでは何も始まりはしないのだ。
階段の上で床が軋む音がする。
「なあ、いいだろ?」
「だめよ、こんなこと……皆に、ばれたら」
「ばれやしないって」
「……ん、もう」
熱のこもった若い男女の声が、屋根裏の壁に吸収される。
ぎい、と床が一際大きく音を立てて、それから二人の声、私が理解できる言葉としての声の、一切が止んだ。
ああうら若き少年少女よ、申し訳ない。
ぎいぎいと軋む床の音に紛れながら、私は階段を上る。
ナタを持つ手に、力を入れる。
きみたちは、死ぬ。

「やだ、やだやだ、やだ……!」
目の前の少女が泣き喚く。
けれど、私はただの呪いだから、彼女を助けることなど出来る訳もない。
「やだあ……やだよう……!」
力の入ったままの手を、少女に伸ばす。
けれども喚き散らす少女は私の手を怖がるどころか、両の腕で抱え込んで、大声で叫んだ。
「何で私よりも先に逃げるのよ、腰抜けクソ野郎―!!!!!」

泥まみれの私の服に縋りつき、少女は泣く。
泣き喚く。
「ほんっとあり得なくない?明らかに不審者のナタもったホッケーマスクの大男を前にして彼女置き去りにして逃げるとか、馬鹿なの?なんなの?童貞なの!?不審者さん、どう思う!?」
わああん、と大声を上げながら涙を流す小さな少女を持てあまし、私は床に突き刺さって折れたナタを眺める。
先程まで少女に覆い被さっていた彼女の恋人だったらしい男の影はどこにもなく、先程まで恋人たちの秘密の園だった屋根裏部屋は、今やクズ男について延々と愚痴を吐く場末の酒場と化している。
先程彼女の元恋人に突き飛ばされた鳩尾がじりじりと痛む。
復讐の殺人鬼としての出鼻を挫かれ、私に対する恐怖よりも恋人に対する怒りが勝っている彼女を殺す気にもなれず、私はただ、泣き喚く彼女の言葉を聞いていた。
「あり得ない、あり得ない!なにがあり得ないってあのクズがあり得ないけど、そんな男を好きになってたっていう私が一番あり得ない!死にたい!!」
死にたい、死にたい、と逆上しながら涙を流していかる少女など、今まで映画でも見たことない。
「ねえ、私死んだ方が良くない?どうせまた変な男に引っ掛かって遊ばれて馬鹿だなって思うんだよ!?死んだ方が良くない!?」
そんなことを言われても。
「貴方私のこと殺しに来たんでしょ?もういっそ殺して!殺してくれないなら死んでやる!!」
彼女が床に刺さったナタの破片に手を伸ばす。
私は咄嗟にその破片を力いっぱいはじいて、死を求める彼女の手を強く掴んだ。
「止めないでよお、殺人鬼のくせに!!」
勘違いしているようだが、私はまだ誰も殺していない。
私の腕に縋りついて泣き続ける彼女の頭に、私はナタの代わりに自分の手を添えてやる。
こんな時に一言でも声が出たらいいのだが、私の喉はかつて溺れた時に事切れてしまったからか、声らしい声が出る筈もない。
キキキ、と油の切れた機械の様な音が肺の奥から洩れるだけで、彼女に意思など伝わらない。
けれども泥だらけの手で私に頭を撫でられた彼女は大声を上げて泣き喚くのを止め、「優しくしないでよう」というささやきを最後に、私の腕を掴みながら静かに涙を流し始めた。
私の腕を抱える彼女の腕は、ナタを握る私の手よりも力強い。
……私は、呪い失格だ。
私は彼女の腕を振りほどく事も出来ずに、屋根裏部屋の窓から覗く、先程まで雲に隠れていた美しい月を、ただただ眺めた。

(続きたい)

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