数学を教える私/妄想/猫背脱却物語

ある人の夢で、私は知り合いを集め数学を教えていた、らしい。

 夢に私が出てきた。相手がどうであれ、そう言う話になるとドキッとする。「へえ、なになに?」とそのドキッを悟られないように詳しく尋ねてしまう。別に大した話ではないのに異様に食いついてしまい、結局相手もおぼろげにしか覚えていない夢の中の自分の様子を聞く。で、大抵そういう時私は大したことしていない。

 なんでドキッとするのかといえば、人の夢という、自分のあずかり知らぬ場所で自分が何かをしていた、ということが怖いのである。何せ自分の所有者である私が知らないで、周りしか知らない自分がいるという状態には違和感を感じる。「誰かの夢の中で」というお触れ書きがあったとしても「この前数学レクチャーしてましたよね?」なんて自覚ない行動を指摘されたら焦る。飲み会で記憶をすっ飛ばすほど飲むことができないのだが、多分それに近いのかもしれない。

 その感覚がそもそも「怖い」であっているのか。むしろ「自分のことは自分がよくわかってるんだよ」「みんな本当のオレのことなんて分かりっこないんだよ」みたいな、軋むベッドの上で盗んだバイクが支配から卒業しそうな反骨的な気持ちの裏返しの防衛本能としてドキッとしているのかもしれない。他人が語る私は、あたりまえだけど他人の目を通して見ている姿であって、自分が考えている自分の姿とは違う。その誤差自体にはいいか悪いかではなく、自覚している自己と周りから見た自己が「違う」或いは「どうやら違いそう」という、ズレがあること自体が個人的に認められないのだ。他でもない自分なのだから、周りの視線で定義されるのはなぁ。主人公だけど所詮作者に描かれるキャラクターに過ぎない、みたいな感じがして気味が悪い。

 数学をレクチャーするという、そこそこリアルな夢だからこんなビミョーな問題になるのだ。それならもっとイカしたぶっ飛び方をしてほしい。「メジャーリーガーになってましたよ」とか「広瀬すずと付き合ってましたよ」とか「飛行石と共に空から降ってきてなんやかんやあってバルスしてましたよ」とか誇大妄想されている分にはいい。自分の思う自分の姿と離れすぎていれば、遠すぎてズレ云々感じさえしない。フィクションのキャストを埋めるに偶々起用されただけだろうって。

 夢オチが漫画でタブー視されるように、夢は妄想の場として大いに活躍するフィールドで、なんでもありなはずだ。そもそも妄想はぶっ飛んでるからこそ妄想になるのであって「数学を教える私」のようなリアルな妄想は、妄想の意義とリアリティという点であんまり意味がないような気がする。

 それが妄想だと分かっていても楽しむことができる「妄想的な妄想」には需要がある。二十歳そこらのイケメン俳優と美人女優の出る学園ラブコメが常に映画館でやってることから、それはなんとなく分かる。現実なのにリアリティが欠如している、「妄想的な現実」にも需要がある。”幻想的〜”っていいながら、ウユニ塩湖みたいなウィンドウズのデスクトップにありそうな風景を見に行く女子大生が後を絶たないのってそういうことだろう。

 他方、「現実的な幻想」には需要はあるのかと考えると、そりゃ現実チックがいいなら実際生きてればいいだろうという話になってくる。「現実的な現実」なんて言わずもがな。でも一定数現実的な理想話ってある。ただ「安定した結婚生活がいい」「やっぱり我が家が一番」みたいな「現実的な幻想」は、結局のところ、んな容易に平和な家庭は持てないという結論に至る。現実的な幻想より現実は厳しいのだ。

 とすれば、ごくまれに見る、すげえリアルだけどリアルなだけな夢も、実は何かの妄想だったのか。私の夢を見た彼奴は、「人文に属している私が数学を教えているだって!?」ということに妄想すべき価値を見出していたのか。なんじゃそれ。

 そんなことを考えた夜見た夢も、大したことはなかった。大入り袋の柿の種をあけてばらまく夢。これも何か、大事な妄想なのか…?変な気分で起きたら、床に柿の種が散らばっていた。現実だった。

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「数学を教える私/妄想/猫背脱却物語」への3件のフィードバック

  1. 夜寝ている間に見る夢って不思議ですよね。昨日見た夢はとてもリアルだったのに、今日見た夢はぶっ飛んだファンタジー、なんてことも多々ある一方で、全く夢を見ない日もあるし…。
    ちなみに僕は一昨日、どこだかわからない真っ暗闇の夜の学校と思われるところで、黒ずくめの集団30人くらいと鬼ごっこをする夢を見ました。恐ろしくて目が覚めたら、汗だくになっていました。
    夢で見たことが現実の自分の体にも作用を引き起こす、こんな場合もあるなと文章を読んだ後に思い出しました。

  2. 相手に夢に出てきたってなった時、相手は私のことを寝る時にも思ってくれてたのか…!?なんて平安時代じゃないけど考えたりします。それが少し片思いしている人だったりするとなおさら。

    こうなると逆に何気ない日常的な夢に自分が出てきてて欲しいと思うのは私だけなのかなぁ。突拍子もないことに出てくるのはそれこそ単なるキャストであって自分でなくてもいい気がしてくるので。そういえば最近夢見てないなぁ。

  3. 自分は自分だと思うけれど、見る人は他人しかいないのだし、他人の中で生きているのだから彼らの見る自分が本物だとすると、印象やイメージが本物の自分になってしまう。生身だったら更新もされるけど、夢だったら完全に一人歩き。そこでビミョーにリアルな役柄に当てはめられたら、結局それが本物になる。おもしろい。
    せっかくおもしろい主題が、今回はすこしぼやけてしまったかも。軽妙なのに決して容易くは書けないであろう文章が楽しいからあれも美味しいしこれも美味しくて…って読んでしまうのだけど、きっと思い切って削ったら、ぺろっ、つるっ、ごちそうさまでした! っていう文章になる。
    具体的には「数学をレクチャーする」の段落に接続詞をつけるだけでも、そのあとの現実的な幻想という話題に繋がりやすくなるのではないだろうか。

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