見たな。/妄想/三水

例えば、シャワーを浴びているとき。
寝坊して、身支度もそこそこに家を飛び出たとき。
あられもない格好で、寝っころがったり、くつろいでいるとき。
ちょっと人目を憚るような、サイトや本を捲っているとき。

ふいに、そいつは訪れる。

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【Case.1 羽虫の目】

唐突に悪寒がして振り返る。
背面の扉はきっちり締まり、横の窓には分厚いカーテンが掛かっている。
何度確かめようと同じ、文字通り一分の隙もない景色がそこにあった。

自室は三階にあるし、二つある窓からはそれぞれ、私道を挟んだ背の高い建物(正確には室内墓地。当然人はあまり来ない)と隣家の壁しか見えない。
もうずっとそうだし、これからもそうだろうと漠然と思っている。
墓地ほど永久を感じるものはないし、揃いで建てられた隣家が取り壊される時には、きっとこの部屋もないだろう。

それなのに、いつからか、触れるほど確かに、何かの視線を感じている時がある。

部屋だけではなかった。
ふとした瞬間、リビングの窓から、風呂の換気扇から、時にはカーテンのわずかな隙間からさえも、なんとも言えない不気味な存在感を覚えることがある。

自意識過剰、それはわかっている。
そう笑い飛ばしてもらうために招いた友人は目の前の建物を指して
「ホントになんかいるんじゃない?」
と言った。
かわいらしいことだ。死して後あれだけの手間と費用をかけてもらっておいてなお、こんな小娘にちょっかいをかけるとは思えない。

現代のピラミッドに見守られながら、玄関のポーチの、半ば野生化したローズマリーを適当に間引きする。日毎蒸し暑くなる今時分には、放っておくと見る間に伸びて、そのうち隣家を侵食したり、何かと手がつけられなくなってしまう。
花鋏なんて洒落たものはないから、使い古して、赤錆びて、もはや本来の用途では使えなくなった裁ち鋏でざくざくと、容赦なく作業する。
そんなときは、背後からも、どこからも、あの不快な視線は感じない。

けれど家の内側に踏み込んだ瞬間、扉を閉めるその隙間に突き刺さるように、そいつの目はじっと、こちらをねめつけてくるのだ。

幽霊とか、そういう形而上的な怖さは微塵も感じていなかった。
もっと物質的な、生理的な、グロテスクな、
何を思ってるかも知れない、それ自体が堪らなく恐ろしかった。

いくら気のせいと思っても、日に日に質量を増していくソレにとうとう耐えきれずに、ある日思いきってカーテンを開けた。
抑え込まれていた光が一斉に目を刺して、思わず顔を背ける。
薄目で見た向こうには当然、のっぺりとした、いつもの風景がある。
墓石そのもののような、コンクリート色の四角い建物。
生き物の視界を遮ってくれる優しい無機物に勇気をもらって、数年ぶりに窓を開け、首だけを表にそうっと出してみる。

と、唐突に一点の黒い小さな塊が、頬を掠めて飛んできた。

何も考える間もなくその場に突っ伏す。頭上で支えのなくなったカーテンが、派手な音をたてて落ち切って、後ろ髪を浮かした。
 
それきり部屋は、普段の暗さと静けさを取り戻す。

小さく何かの音が響いて、上げかけた頭をまた抱えた。
不愉快な音。まるで羽虫のような。
時折かつかつと、堅い何かがぶつかるような音もする。ますますもって、羽虫のようだ。
あのいやらしい、気味の悪い、得たいの知れない小さな生き物。

風がカーテンを膨らませて、その隙間から光がもれる。

これではいけないと、踞ったままにじり寄って、指だけで窓を閉めようとする。と、一際大きく、外の景色が膨らんだ。

その中に私は、ようやく、自分を脅かしていたものの顔を見た。
はっきりと、形を取って…… それはヒトの形をしていたが…… とても人の道理が通じるものとは思えなかった。

音が立つほど思いきり窓を閉めて、鍵をかけ、一目散に部屋の奥へと逃げ込む。
今まで妄想だ、幻覚だと言い聞かせてきた悪夢が、現実になってしまった。

もう何も見たくない、聞きたくない、見られたくない。
なるべく体を小さくして、呼吸の続く限りごめんなさいと、何に何を謝っているかも定かでないまま呟き続ける。

このまま夢落ちや気絶なんかで状況が変わってくれればよかったのだけど、現実は現実だった。

牧歌的なチャイムの音が、空気を通して部屋に押し入ってくる。

背筋の凍るような、まさにそれ以外いいようもない感覚の中で、頭の中だけは別の生き物のように回り始めた。

相手の正体や思惑など既にどうでもよく、ただひたすら、どうすれば、この状況を打破できるのか、
それだけを考えて、考えて、考えて。

二度目のチャイムが聞こえた時、答えはもう出ていた。

「あ、どうもーーー」

今ここで終わらせなくては、私は一生、この理不尽に脅かされることになる。
ありふれた裁縫鋏をかざして、私は真っ先に、総ての元凶たるその両眼を

『ーー神奈川県横浜市の女子大生が、自宅で訪問販売員を刺したという事件でーー』

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やつらはふいに、そこに現れる。
確かに存在して、日常の隙間から、じっと、こちらを見つめているのだ。

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「見たな。/妄想/三水」への1件のフィードバック

  1. 最近観たからだろうか、妄想というよりもシャッターアイランドの精神病患者というか精神異常者のようなイメージの方が勝っていた。精神病の幻想と妄想の違いは何だろうかと考えてみると、妄想は自発的に考えるものであって、幻想は無意識にそれが事実であるということを認識するという違いがあるのではないだろうか。

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