コピーの繰り返し/模倣文/どみの

フォルダに入っている写真をコピー、貼り付け、切り取り、貼り付け、コピー、貼り付け。そうしているうちにデータは見えない範囲で少しずつ劣化していく。移動させた時点で、もうオリジナルには戻れない。

 

 

オリジナルという言葉に強く憧れを持っている人は多い。原作、本家、オリジナルは時として強い権力を放つ。だからこそ、唯一無二の存在になりたいと誰しもが一度は考えたことがあるだろう。しかし一方で、我々は誰一人同じ人はいないと言われ続けてきた。なぜ、自分自身がオンリーワンであると言われているのに、その存在に憧れを持つのだろうか。オリジナルという確信よりも自身が複製品かもしれないという恐怖の方が大きいからなのかもしれないし、そうではないかもしれない。

母親の真似をしたがる子供のように、自分という存在は、時として何かをコピーし続けて形成されたものだとも言えるだろう。全て純正のもので「私」が成り立っているのかと言われれば、答えは否だ。流行に乗ることも、映画を見ることも、日常生活の部分を切り取ると、どれも私だけが行っているオリジナルの行動ではない。

コピー品は、偽物である。ゆえに悪であるという一般的な公式。しかし本当にそうだろうか。

オマージュ、パロディ、ものまね、〇〇風、モチーフ。

世の中にはコピーという言葉を言い換えたいくつもの言葉が溢れている。もちろん全てオリジナルがなければ、発生しないものたちだが、権力関係は必ずしもオリジナルが勝つわけではないことを私たちは知っている。

 

 

こうやって文章を書くにも頭の中にあるものを文字として起こす。メモからワードへ、ワードからネット上の投稿編集ページへ。写す際に少しずつ形を変えて、完成へと向かう、はずなのだが、本当にこの移動作業は良い方向へと推敲されているのだろうか。コピー、貼り付け、を繰り返し行ったことで、劣化はしていないだろうか。私という文章が、純粋な思いつきによる角張った私らしい文章が、場所を転々とすることで、批判されない、一般的で面白みのない、周りに合わせた文章に本当になっていないだろうか。

 

オリジナルもコピーと疑い、コピーもそれ自体が許せない。こうやって雁字搦めにされつつも、今日も私は私”らしい”と思う文章を推敲し書き続けなければいけないのだ。

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「コピーの繰り返し/模倣文/どみの」への3件のフィードバック

  1. テーマの単語自体をストイックに追求する文章が、特徴をよくとらえていると感じた。最後、レポートのように適当にまとめてしまっているのは、こんな感じだったっけ?と少し疑問だった。

  2. オリジナルとは本当に偉大な力を持つ。オリジナルはいつまで経っても色褪せることなく、この世に存在し続ける、と私個人も思う。そして、個性などの話にしていくと、さて、私らしいとは何か?という問題に通過点あるいは到達点として訪れる。ひょっとしたら、コピーを続けたものこそが、私らしいものなのかもしれない。オリジナル=私と簡単に考えられるわけではないと思うと、非常に難しい問題だ。
    それにしても最後の一文、なぜかぞっとした。

  3. オンリーワンであるのに唯一無二でないのは、成果の有無であって模倣品云々ではないと反射的に思った。コピー=悪という一般認識に疑問を呈しながらも最後までコピー=劣化という立場が揺らがないことが、むしろ疑問。

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