模倣、というよりはパロディ/模倣文/フチ子

夏が来た。夏、この季節になると人は浮かれて恋をする。私もその例に漏れることはない。毎年毎年恋をしていたら、とうとう次の彼氏は1000人目の記念すべき人になる。

西暦2245年の夏、大した戦争もなく科学は発展の一途をたどり、とうとう人は寿命と言う概念を超越した。人は産まれたいときに産まれ、死にたいときに死ぬ。全てが人の意思に委ねられた世界。

友達も今までの彼氏も、皆が皆100才を越えた辺りで死を選んだ。多分その辺りが人間の限界なのだろう。皆死ぬ前に「もう飽きた」と一言伝えて私のもとから去っていった。

飽きるってなんだろう。

私にはたった一人相手がいればそれでよかった。相手と過ごすその日々は毎日が初めての経験で、同じ経験なんて一つもなかった。私だけだったんだろうか。その日々に新鮮なものを感じていたのは。

999人目の彼氏のことを思い出す。

私は彼をスリーナインって呼んでいた。彼にはその意味は伝えなかったけど、その呼び方を喜んでくれていたと思う。彼はその時100歳だったけど、私は自分を32歳と偽っていた。私が150を越えた辺りから、実年齢を告げると男の人は寄り付かなくなってきた。見た目はティーンのままでも、やはりこれは生物の性らしい。結局男の人はいつまでも若い女の子が好きなのだ。そんな彼とも結局3か月しか続かなかった。フラれた時は気づかなかったけど、今考えてみれば当たり前だった。いくら149年下とはいえ、相手も100歳。文字通り百戦錬磨の傑物なんだ。今目の前にいる女の子がとっくのとうに女の子じゃないことくらい分かってしまう。フラれた直後にLINEで送った私なりの哲学長文を見た彼も、「飽きた」なんて一言で亡くなってしまった。

多分、もう大人の人とは付き合えない。私が趣味で始めた哲学も、もうとっくに世界中の哲学者を越えてしまった。カントだって私の敵じゃない。こんな超人類を目の前にしたら、どんな男の人だって人間でいることに飽きてしまう。

そんなことを考えつつ公演でボーッとブランコを漕いでいたら、隣に男の子が座った。多分5歳くらい。

隣のこの子を、私はきっとサウザンドって呼ぶんだ。

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「模倣、というよりはパロディ/模倣文/フチ子」への3件のフィードバック

  1. いいのかこれ。いや、たぶん「いいのかこれ」って言うこと自体が良くないからきっといいんだろう。
    初っ端からモノマネ臭がぷんぷんして、スリーナインで決壊。ひとり爆笑しました。でも、200歳を超えても恋ができるって素敵ですね。

  2. もう恋愛したくないし、私でも疲れる。こんなタフな女の人になりたいと思った。私こそ恋愛で悩む自分自身に飽きてしまって死を選びたくなる。

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