この支配からの/曲/五目いなり

窓ガラスを割ったりはしなかった。盗んだバイクで走ったことも、もちろんない。……いやまあ、夜の校舎窓ガラスを壊して周ろうとしたことが少しもない、と言えば嘘になるが、誰かの歌に影響されて非行に走るなんてナンセンスだ。俺だって、格好いいこととそうでないことの区別はつくし、嘗ての俺もそうだった。特に好きな歌手の好きな歌だ、真意を見抜かず真似られるなんて、きっと本人も望んじゃいない。

押し入れから出てきた古いラジオのアンテナを伸ばしてみる。押し込むには硬すぎるボタンを押して、電源を入れる。ノイズ交じりの懐かしいメロディ。埃のたまったスピーカーから流れてきたのは、若かりしあの日、カセットテープが擦り切れるまで何度も聞いた思い出の曲だった。

不良たちがこぞって聞いたカリスマの歌。街角のレコード店で偶然耳にしたその曲の、一体何が良かったのかは今となっては分からない。たぶん、何もかもが思うように行かない人生を否定しないでいてくれる、耳触りのいい言葉が心地よかっただけだろう。けれどもその時、俺は確かに真実の言葉に触れたのだ。

開け放たれた六畳一間の部屋の窓から覗く、青い空。何でも掴めると信じていたあの日の空と同じ色をしているけれど、空を覆う電線が邪魔をして手なんかちっとも届きやしない。窓から眺める景色はあの頃のものとは違っていて、ビルの立ち並ぶ都会の風景に、空が遠く、狭くなったような気さえする。

俺も大人になったのか。信じられないと歌われた、あの大人に。

叩かれた頬がひりひりと痛む。窓から吹き込む生温い風では、熱なんか碌に冷めやしなかった。生きるためだと自由を押し殺した大人同士の争いも、子供の頃の喧嘩と同じくらいの痛みを伴うのだと知ったのは、冷えたあの手が頬をぴしゃりと打ったときで、気が付けばその後ろ姿は青い空に吸い込まれるように消えていた。

シェリー、俺は正しい大人になれたかい。
愛することよりも、生きる為にすることを優先する様な、大人に。

古びたラジオの電源は、いつの間にかに切れていた。電池切れだろうか、叩いても揺すっても、ウンともスンとも言わないでいる。けれども頭の中には思い出のあの歌のフレーズが未だにぐるぐる回っていて、無性ににあの笑顔を見たくなった。

誰もが笑った愛の言葉と理想の愛。教えてくれたのは、この歌でも、若くして死んだあの歌手でもない。真っ直ぐに人を愛する強さを教えてくれたのは。

シェリー、こんなものを信じていたいだなんて、俺はまだ子供なのか。
俺は信じられない大人になんか、本当はなりたくないんだ。
俺は馬鹿と呼ばれても構わないから、もう一度子供に戻りたい。
俺は、シェリー、俺は

壊れたラジオは返事をしない。愛するおまえも出て行ったっきり戻ってこない。

きっとこのまま追いかけずにいたならば、おまえは何処かへ行ってしまうのだろう。シェリー、おまえは俺と違って上手く笑うことが出来るのだから。
もしかしたらその方がおまえだって幸せなのかもしれない。下らない喧嘩をしなくて済むようになるかもしれない。お互いに大人になって、違う道を歩むのも悪くない。

けれど、シェリー、俺は、俺たちは
全てを終わらせることがこんなに簡単だなんて、信じたくはないじゃないか。

音を失ったラジオを部屋の隅に投げ捨てる。かしゃん、と小気味の良い音がして、部屋が無音に包まれる。頭の中には、まだあのメロディが響いている。

もう、何を言われても構わない。畳の上に投げ出されたジャケットを引っ掴んで、部屋を出る。どうせおまえは言うのだろう、シェリー、馬鹿だねと。それでもいいさと言ったら、シェリー、おまえは笑ってくれるかい。

バイクに跨り、ヘルメットのベルトを締める。盗んだバイクではないが、吹く風はどれも一緒だ。
15の夜にはかけられなかったエンジンをかける。言葉足らずで言えなかった本当の気持ちは、歌に乗せたっていいだろう。

シェリー、なりたくもない大人になってしまった馬鹿な俺の、本当の声を聞いてくれるかい。

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「この支配からの/曲/五目いなり」への1件のフィードバック

  1. 曲というより、作曲者の世界を感じる文章だった。大人の男性の哀愁が感じられて、一人語りの文章がうまく機能していように感じました。

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