よいこのうた/曲/三水

小学二年生から中学二年にかけての九年間、日曜日が大っ嫌いだった。

私の母はよく歌う。家の中でも、スーパーの帰り道も。
ほとんど生活音のごとく、私は母の声を聴きながら育った。
子守歌や童謡はもちろん、宗教曲や、どこかもわからない外国の歌も織り交ぜて、意味も知らずになんとなく歌える曲がいくつもある。
(例えばAve velm colpusとか)
共通するのは合唱曲だということ。
幼少期から歌うことが好きだった母は、その昔、地元の児童合唱団に入っていた。

「大きくなったら合唱団になる」、物心ついてからの私の夢だ。
合唱団のことを、一つの役職か何かだと思っていたらしい。
念願叶って私もまた、同じ合唱団に入ることになった。
毎週日曜、車で一時間ほどかけて。帰りは母の実家に寄って、お昼をいただく。
優しくて、いつも美味しいものをくれる祖父母は大好きだったけれど、
歌うことは、正確にいうと、知らない人たちと声を合わせることは、どうしても好きになれなかった。

団員の子たちは、よくしてくれた。おねえさんは優しかったし、一つ下の子たちも屈託なく仲間に入れてくれる。だってまだ小学生だったのだ。
それに、皆よいこだった。
先生― 団の総帥であり、母の恩師でもあるひと ―は、私を『二世』と呼んでかわいがってくれた。純粋培養ソプラノだった母と同じく、在籍していた六年間、私の席が動いたこともない。
けれどやはり、溝は埋められなかった。
よそ者だという意識は、他でもない私の中に強くあったのだ。
コミュ障の片鱗は、齢八にしてすでに見受けられる。

で、とうとう私は母に告げた。「どうしても馴染めないのでやめたい」と。
確か中学に上がる頃だから、四年になろうか。へたれというなら言えばいい。
母は凛然としていた。そして聞いた。
「あなたはそうする努力をしたの」と。

結局、その後もだらだらと通い続け、歌い続けることになった。
歌はうまくならなかったし、未だに楽譜一つ読めない。上達したのはズル休みの仕方くらいである。
三姉妹の長姉らしく、優等生でリーダーでしっかりものの、母とは大違いだ。

中二でやめたのは受験のためもあるが、何より彼の恩師が急逝したことによる。

二度目のお伺いにあっさり許可を出した母は、結局、『先生』が大好きなだけだった。努力なんて方便、そんなことはわかりきっていた。
そんで私は、やっぱり母が大好きなだけだった。
いつまでも先生のよいこでいたかった母の、よいこになりたかった。

母はよく、先生の好きな歌だと言って口ずさんでいた。うちの子たちは、皆これを歌うのだと。
けなげとも思わない。不憫で不毛で一途だ。

今一人の帰り道、変わらぬ合唱歌が聴こえる。
ぞっとするほど母そっくりの歌声で。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「よいこのうた/曲/三水」への4件のフィードバック

  1. 合唱には少し不気味な雰囲気がありますよね。何人もの人間が声を合わせて歌う、集団の不気味さ。
    文自体が集団であること、誰かと居たいということの歪さが表れていて、何も解決しない茫洋とした不快さがまざまざと感じられました。そのせいで母親への思慕の印象が薄いように思います。

  2. お母さんのことが好きだったということに唐突さを感じました。色々な感情がうらがえっている印象だったので、その急なストレートさに驚いたというか。

    なんというか、幼少期の形容しがたい集団への苦手意識みたいなのが書かれていて、わかるなぁと思いました。

  3. 文の要であろう、合唱団への違和感といった負の感情がもっと鮮明に書かれていると、母への思いも合わせて鮮明に描かれるのかな、と思いました。少し全てないまぜになってしまっている印象。それと、この素敵な雰囲気の文章の中で唐突にコミュ障という言葉が出てくると少し違和感を感じてしまいます。

  4. 強い言い方になってしまって大変申し訳ないのですが毒親のような雰囲気がある母と合唱へのヘイトのようなものを強く感じつつも、最終的にはやっぱり母が好きという複雑な感情が文によくあらわれていますね。関係ない話なのですが、うちの母は超音痴なので、音楽番組とか見てて口ずさまれると家族に笑いが生まれます。ついでに僕もかなりの音痴です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。