終わりの日/曲/猫背脱却物語

何かに熱中している間の心地よさは、その間に他のことを考える必要がないからっていうのは一理ある。

大学受験がすべて終わった日、家族とご飯に行ってお疲れ様会を楽しんだ。翌朝眼が覚めると、違う家にいた。ような感覚に陥った。今でも思い出すと奇妙だ。ベッドの場所も布団の枚数もティッシュの位置もそれまでと一緒。なんなら勉強机には受験地へ向かう前の日の状態のテキストも開かれていた。

唯一違う、もう受験生じゃないという事実だけが、グレゴール・ザムザばりの変身の目覚めをもたらしたのだった。その日に何をしたかははっきりと覚えていて、積んであった入間人間の本を一冊読み終えた後に、河川敷に散歩に出かけた。見たもの全てが、鮮明ではないような気がして、それ以上には何も思わなかった。

 

大学祭実行委員を引退して半年になる。厳密にはお手伝いとしての活動は今もあったりするのだが、現役活動はもうお終いである。終わりが見えた頃から、お手伝いになるという明確な引退の線引きがないままにズルズルと老害になっていくことだけを怖がっていた。終わらない祭りはない。しっかりと線引きをしなきゃ、自分のためにも後輩のためにもならない。幾分か過剰である自意識を差し引いても、ここで区切りをつけなくちゃいけないという事をずっと意識し、大学祭当日の終わりを迎えた。

翌朝眼が覚めると、違う家にいた。うん、この日は同期の友人の家でみんなで飲んだから当然だ。見れば他の奴らは全員酒がたたって深く寝ている。祝日の午後2時、何の生産性もないとわかって、やっぱり散歩に出かけた。受験の時のことを思い出し、見えた風景が同じ色をしている気がしていた。

 

ある事が終わる時ってのは、スパッとした切れ目ではない。終わるという状態は微かながらも時間の連続であり、瞬間ではない。Windowsをシャットダウンした時の、終了音が流れ画面が消えるまでのあの時間に近い。ある状態から違う状態になる切れ目なのであるが、それはペンで入れたようなものだ。細いシャーペンだとしても、芯が0.3mmなら0.3mmの幅が切れ目に存在している。

「受験生の私」「実行委員の私」が「そうでない私」に変わる間のそのわずかな幅にいる時、おそらく散歩に出かけたくなる。多分部屋に閉じこもってると、終わってしまったという現実を、何も手につかない自分を通してまざまざと感じてしまう気がする。

だからこそ外へ出たくなるんだけど、出たところで結果は変わらない。世界が全部セピア加工になってる。この日ばかりは、自分は「終わり」という事実を噛み締めて生きる他ない。いや、何をしても噛みしめるように仕組まれてさえいるのだ。時間が解決する、っていう言葉は、時間以外のすべてじゃなにも解決しないみたいだから嫌いだけど、この日だけは、仕方がない気がする。

過ぎるのを待つしかない。で、それがまんざら嫌じゃない。こんな日が一日あってもいいんじゃないかな、と思えるのは、終わるまでの日々が好きだったからなんだろう。いいこともわるいこともあったけど、もう全部お終い。それを一日かけて流れるセピア調のエンドロールに委ねて過ごしたくなる、そんな気分だ。

終わりの日に、私が何をやっても空虚にしか感じない日に、本当は感じていることを言葉に起こしたような曲があった。

もし終わりの日にこの曲を聴いたら、私は泣いていた自信がある。泣き疲れて寝てしまうくらいに、泣き喚いていた自信がある。その日がそれとなく感じさせていることを二重で聞いたら、そうなるに違いない。今聞いても泣かないけれど、その自信だけはある。後何回ああいう日が来るだろうか。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「終わりの日/曲/猫背脱却物語」への5件のフィードバック

  1. いつも思うけど比喩がうまい。しかもその比喩が情景が浮かんでくるものでとても良かった。セピア調のエンドロール、素敵。

  2. あいにく歌詞を検索しても見つかりませんで、耳コピになりますが、輝くようなセピア色、文の印象そのままの曲でした。因果逆転してるかもしれませんが。
    散歩という単語は爽やかさの伴うものに感じてしまうたちなので、終わりに対し、焦燥感?喪失感?のような感情は、最初二段落分ではあまり感じられませんでした。それでも後半のエッセイのような部分で補完されてしまうのでさほど違和感はありません。

  3. 切ないですね。すごく切ない。そしてとても共感しました。でもきっとこれからもそういうことはあるんだろうし、あってほしいなと思います。
    どちらかというと曲より文章の印象が強かったです。

  4. 何かにそこまで熱中できることも、今となっては眩しいです。
    文にない言葉を歌詞が歌ってて、それは逆なのかもしれないけれど、曲を繰り返し聞きたい文でした。答え合わせ的な。
    清田先生の受け売りですが、インパクトや結論につながるものを先にもってくると、おもしろいそうです。例えば、「あることが(個人的に好きだった)」からの文を一文目にするとか。

  5. 気持ちを整理したいわけじゃないし、する気もない。よくわからずに過ごす時間、一日ってありますよね。入間人間あんま読んだことないんでこんなこと言ったら的外れかもしれないんですけど、このよくわからない浮遊感のようなものは、僕の読んだ彼の文章に出てくる登場人物が抱えているものに近い気がしました。あと、比喩の使い方とか何だかそれっぽいかなとも思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。