誰も知らない/曲/温帯魚

もちろん、これは失恋の歌だ。
いや確かに歌詞という不安定な表現に対して、状況がこれだと決めつけるというのもよくない。特にスガシカオという無類の作詞家に対して「この曲は失恋の曲でしかない」と型にはめるのもなかなか愚かである。投げやりな言葉の断片から、どこか渇いた曲調から、演奏の端々でキメてくる電子楽器から。この曲が別れの歌だということはぼんやりとわかる。わかるのだけれど、しかし失恋だと決めつけるのは早計なのだろう。音楽は自分の好きなように感じるべきだ。きっと思ってはいけない感情など無いのだ。
だからそう、私は私が思ったままに、皆様にこの曲を紹介しよう。
この曲は、童貞を捨てた男の感情の曲である。童貞を捨てた男の現実への寂寥感としかし何かを得たという心が歌われている。私はそう思った。今も思っている。

もちろん、これは失恋の歌だ。もちろん。

メルヘンである。これは私の頭がということだし、童貞がということでもある。
私はあまり人と接することが得意ではない。会話とは神経を使うものであり、二人あるいは多人数の努力によってコミュニケーションは成り立つ。しかしその努力するという観念がほぼない私にとって、普段の会話とは非常に難しいことだ。そう、私にとってコミュニケ―ションは難しいという尺度で測るべきものである。この的外れな尺度こそが、私が無知だということであり、つまりメルヘンなのだ。
童貞もそうだ。童貞ということは経験がないということである。人との接し方がわからない。異性との近づいた経験がない。人とのコンタクトが不快であってよい時間はとっくのとうに過ぎ去り、見えるのはそういうコミュニケーションがない荒れ果てた荒野のような未来である。それでもなめられたくはない。ならば。人に笑われるぐらいならば「触らないでよ関係ないじゃない」と私は考えるのだろう。

だから、メルヘンである。そうやって私の首は締まっていく。

だからこそこの曲は私にとって童貞を捨てたという曲なのである。人が変わるには何かが起こらなければならない。まして世間が変わったと思えるならば、それは当人にとって巨大な出来事だろう。もしも正しい、間違いのない人との距離感が分かったなら。僕はこんなに面倒じゃなく、もっと幸福で、童貞じゃなかったのだろう。

しかし、そんな距離は誰も知らない。

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「誰も知らない/曲/温帯魚」への1件のフィードバック

  1. 独自の観点から一曲を解釈する試み、とても良いと思う。友人と曲を共有していたら解釈がまるで違うということはわりかし多々あるが、まっすぐな解釈を理解した上で意図的に自己解釈をやって魅せる姿勢が、捻くれながらも尊いのではないかと思う。
    この文章を読んでから歌詞を見てみると、成る程そんな解釈も確かに出来るなと納得した。解釈には納得できるし、綺麗にまとまっているなとは思うのだけれど、この文章をどんな意図を持って書いたのかということはいまいちわからない。もう少しヒントとなる言葉が欲しい、あるいは「いや読者なんかいらない」というようなロックな姿勢を見せてもいいかなと思う 。

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