八月の光/夏/三水

夏の陽射しに透かした時だけ、それは綺麗に見えるのです。

 

うちは共働き家庭の一人っ子。

なので、夏休みはだいたい祖父母の家に預けられた。

片道一時間。往復千円。

おまけの千円はもしものためと、お昼に皆で何かをと、母に言い含められたおあしだ。

 

電車とバスを乗り継いだら、ブロックごとにきれいに並んだ家々の隙間を縫って、炎天下の道を歩く。

どちらをむいても似たような生なりの壁で、気を抜くとすぐ迷子になってしまう。

だからいつも同じ道を行くのだけれど。

 

公園の脇を通って、アスファルトを駆ける白線を踏んで、その先にぱっと現れるのは、小さな木立だ。

入り口と出口のど真ん中に車避けがあって、そこだけぽっかり、木陰に沈んだオアシスみたいになっている。

 

一つの区画ごとにあるその小道。

道行く人たちが一息つけるようにと、季節ごと花が植えられ枝が刈られ、大事に手入れされている。

しかし十そこらの小娘にとっては、まるで怪獣の口の中だった。

 

ミンミンとどこからか響くだけだったあいつの声が、木立に入るとぐっと重みを増して、覆いかぶさるように私を包む。

左右にどちらに寄りすぎても、足元を見なくてもダメだ。

 

前方の道端に、白い腹が見える。

注意深く、なるべく足音を立てないように足早に、そいつを迂回して通る。

通り過ぎる頃にはもう小走りだ。

だって、ほら。

 

やつが、飛び出してくる。

 

もっと小さい時は、全くもって平気だった。平気のへいざ、だ。

祖父の釣竿と股引きを組み合わせた私専用の網片手に、

やつの脱け殻を探しては、両手いっぱいにして、スーパーの薄いビニールにぱんぱんに詰めて持ち帰ったものだ。

 

でも今となっては。

ジジジ、と特有の薄い、硬い音をたてて、それが一直線に、愚直に飛び込んでくる。

それを想像するだけで、毛が逆立つようにすら感じる。鳥肌というより、おぞけたつ、って感じ。

 

なんでか、長じるにつれてますますダメになっていくようだ。

代わりに苦みや辛みには強くなった(鈍くなった?)し、成長、といえば成長なのだろうか。

 

しかしそれは、あくまで私にとってのスパンである。

 

「あ」

祖母のお伴の帰り、買ってもらったアイスを片手に、つながれた反対の手がひかれる。

例によってあの木立の中だ。

早く抜けたいと焦れる私に気づかず、祖母はそのまま、買い物袋をぶら下げた手を木に伸ばした。

振り返った彼女の片手には、対の黒目。

 

「好きでしょう、ほら」

 

今にもジジジと鳴きそうなやつを前に、私は思わず後ずさった。

 

結局受け渡しはやんわり拒否したものの、祖母のもてなしは終わらない。

家に入るなり何やらがたごとと、奥から取り出してきたのは、細みの鳥籠のようなもの。

きらきらと黄金色の、ただ吊りさげるだけで素敵なインテリアになっただろう。

で、そんな優美な、マグカップぐらいのごく小さなそれ、けれどさすがにやつには大きかったらしく、中にぐるりと、網戸の切れっ端を敷いて、と。

なんともちぐはぐな、即席の虫籠を見張る、いや観察する、そんな命を受けて、私は縁側に放り出された。もちろん、傍らにはやつがいる。

散々な午後だ。

暑いし、こわいし、でもなんか、断るのもわるい気がして。

(そのくらいにはオトナだった)

怖いもの見たさの、好奇心ももちろんあって。

 

観念して、そして誘惑にまけて、おっかなびっくり、近寄ってみる。

網戸にしがみついた、四角くて、変に黒くて、硬そうなそいつ。

 

祖母に置かれたままの、陽向に身を焦がすそいつは、夏の白い光の中では不思議と、薄緑に透けて見えた。

羽は思ったより薄くて、こげ茶というより、もっと朱っぽい。母のお気に入りの、あのべっこうを模した髪留めのようだ。

 

鳴かない蝉は、こわくはなかった。

なんだか生きている感じがしなくて、でもちょっと綺麗で、そっと指先で、籠を揺らしてみる。

 

かたん、

 

次の瞬間、網の隙を縫って一直線に、あいつは空に飛んでいった。

 

庭で一番高い桃の木に目もくれずに、あっという間に彼方に消えて、見えなくなる。人の髪をかすめて。

ジジッ、と乾いた音が、いつまでも鼓膜に残っていた。

 

それから十あまりたった今、私は未だにやつを許していないし、反対に祖母にははっきりと、要望を口にできるようになった。

成長、とは呼べないだろう。

 

でももし、またもう一度、例えば虫取り網片手に、焼ける地面をものともせずに踞る夏の子どもがいたら、

その隣でしばらく、光を眺めてみるのもいいかもしれない。

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