きっとあなたも、誰かの筋肉/夏/エーオー

申し訳ありません。締め切りを過ぎているので無理にコメントをつけなくて大丈夫です。いちおう、元気の出る話を書いたつもりですのでお暇な時にでも。

憧れのAさん(仮)にフラれてから、約六時間が経過した。
自室にて、顔を上げる。長年連れ添ってきた相棒(※ダンベル)がこっちを見つめてきた。
なに、分かっていたさエリオット(※ダンベル)。深呼吸し、胸に深く刻む。
そう。
信じられるのは己の筋肉だけだと。

日曜日。ランニングを終えて、息を整えながら公園に入る。
今日は調子がいい。上腕二頭筋から肩回り、腹直筋まですべての筋肉が流れるように連携していた。とめどない汗は彼らの感動の涙だろうか。ありがとう、すべての筋組織よありがとう。俺は乳酸の軋みの拍手に迎えられながら、いつものベンチに向かった。
先客がいた。
なにっ。朝とは言えど夏の公園、俺のように強靭な者意外、皆干物になることを恐れて近寄らないはず。
好敵手の予感である。俺は全身のミトコンドリアに出動命令を出す気持ちで近づいた。
近づいた。
「……」
装てんされたエネルギー。しかし発揮されることなく、沈下。
この公園で一番涼しい場所。日陰のベンチの上には、数式の書かれた紙を握りしめた男が座っていた。

「……なんですか」
眼鏡の隙間からうろんげな眼光がのぞく。目の下には深い隈があった。
「……いえ、すみません」
くたびれたシャツとズボン、不健康なほどに痩せた体躯をしている。おそらく、俺と同じ下宿生だろう。どうやら筋肉で話が通じそうな相手ではない。残念なようなほっとしたような気持ちだ。ひとつベンチを開けることにした。
ベンチの脚に足の甲を引っ掻けて仰向けになる。脚はおにぎり型に固定された。よし、ずれない。準備完了。さあいこう。
呼吸を練り上体を起こす。すると横からひしゃげた悲鳴が上がった。
「どうしました?」
「は? な、なにやってるんですか?」
男は白い顔をさらに青白くしていた。腹筋です。答えながらも姿勢をキープする。俺は筋肉教信者だ。逆境でこそ、筋肉は輝く。
男はしばらくこちらをねめつけていたが、青汁を飲みくだしたような顔で数式に戻っていった。時おりちらちらと見てきたが、俺はそのまま腹筋を続ける。どうやらここを離れる気はないようだ。
俺も、譲る気はない。
上体を起こす。鉛筆の音が聞こえる。俺が上体を起こす。また鉛筆の音。
ふっ、シャッ。ふんっ、シャッ。ほんっ、カリカリカリ。
ええい、往生際の悪い奴め! 俺は躍起になって筋肉の声に集中しようとした。毛穴が開き汗が吹き出す。動き続ける鉛筆が視界の隅に入った。
勝負はそのまま、第二ラウンドの背筋にもつれこんだ。

それから毎週、俺とその男は戦いを繰り広げた。
勝敗は、よく分からない。当たり前だ。しかし負けたくない。俺の身体に乳酸がたまるたび、男のノートに数式が増えていく。俺の体脂肪率は一桁台に突入し、奴のノートの冊数は二ケタにのぼった。まさしく、筋肉VS頭脳。ジハードである。
上々だ。俺は信じるもののために戦った。筋肉は一日にして成らず。日々の戦いは糧になり、いつか相手を倒すための力となるだろう!
俺はさらに過酷なメニュー票を作った。その壮絶さに身体中の筋繊維が歓喜で震えた。

さて、ある朝のこと。俺はベンチにへたり込んでいた。
「……どうした、不戦敗か」
相変わらず青白い顔で男が尋ねてくる。俺は平常を示そうとしたが、身体を起こしたとたん全身に痛みがはしりうめき声を上げた。
ああ無念。完敗だ。原因は昨日のビーチバレー大会である。
「お前でも筋肉痛になるんだな」
「実践と、筋トレは、違うからな」
木っ端みじんのプライドが、それでも往生際悪く言い訳じみたことを吐き出した
やはり使い慣れない筋肉というものはある。
なに、落ち込むことはない。更なる開拓地を見つけただけの話。そう、神は試練を与えさらなる高みへ俺を導く。ならばむしろこの痛みは祝福! 分かった。潔くこの敗北を認めよう。再び筋肉と真摯に対話するために。
ところが、ヤツもヤツでなにやら試合放棄の様相だ。
いつもは数式のプリントにそそがれる視線も、今は空気中に拡散している。鞄からは紙が数枚はみ出していて、付箋が大量に張られ大きなバツや二重線が引かれていた。
鉛筆も握らずその腕はだらんと投げ出されている。
のんきな入道雲が出来上がりつつあった。お前らはオレに関係ないよ、という顔をしていた。
筋肉は、嘘をつかない。俺はそのことを信じられる。
だって目に見える。触れる。明らかに俺の身体に表れる。運動センスは才能だしどうしようもないのと違って、筋トレはやった分だけ帰ってくるから平等だ。筋肉は一日にして成らず。筋肉痛は進化の兆し。ぼろぼろの筋繊維は、再び結合するとさらに強い筋肉となる。それが、みんなに分かる。たぶん、装置や数値でそれは見られる。
じゃあ、
俺たちが黙ると、蝉の合唱で空間が満ちた。熱気はじわじわと気力を削り、眼の周りの筋肉の弛緩に拍車がかかる。
頭って心って、どうだ。見えにくい。頭蓋骨の下でなにが起こってるか見当はつかないし、その痛みは本当に筋肉痛と同じだと分かる日はくるだろうか。
汗がひとつ、プリントに染みを作った。

その日は平日だが授業が休講だった。せっかくだから公園へと向かった。
驚くことに、奴もベンチにいた。抜け駆けは失敗のようだ。そんな熱血が嫌ではなくて、でもそんなそぶりを見せないようスムーズに筋トレの姿勢に入る。
俺はいつものように腹筋を始めた。集中して呼吸を練り、痛めつけるべき筋肉を隅々まで意識してやる。
鉛筆の音は、聞こえない。いつになっても聞こえない。
「どうした、不戦敗か」
男は遠くを見て答えなかった。濃淡のない、気の抜けたエリンギみたいな顔だ。いやな予感がした。
「なんかあった?」
「……まあ」
「何?」
「……ゼミの発表を、サボっている」
ゼミの発表。
重要である。おそらく、普段サボりにサボりを重ねる学生でもそれだけはちゃんとやることだろう。ましてやこいつは見た目的にガリ勉の部類に入りそうだし、ちょっと待て、じゃあ連日の数式はこの日のためだったのか?
「え、やばいんじゃないの」
「まあ、やばい」
「え、もう間に合わないの」
「わからん。もう、無理だ」
俺は思わず腹筋を止めていた。この真夏に奴は固く膝を抱えていた。
「いや、なんだかもう何が正しいのかわからなくてな。最初はピンと来てたんだが、やればやるほどこれに意味があるのかが分からなくなってきて。俺でさえ迷走してるのに、ましてや発表してもみんな分からないだろうし、そんな、かんじだ」
奴の言っていることはもちろん分からなかった。生ぬるい風が頬をなでた。
立ち上がる。屈伸、アキレス腱伸ばし、手首足首を捻って準備をした。散らばったプリントをとりあえず全部鞄にブチ込んで胸倉に押し付けた。
「お前、行けよ。逃げんなよ」
たとえ分からなくとも、俺の腹筋を止めさせた罪は重い。

走っていた。俺は炎天下のなか大学までの地獄のような坂道を爆走していた。
ただの爆走ではない。二宮金次郎式・爆走である。もっとも、勉学に励んでいるのは背中に乗った男だ。
あの後まだ計算が終わっていないと奴がごねたため、俺はじゃあ背中に乗ってる間にやれよとキレた。汗みどろの背中で鞄を机にして、奴はようやくスパートをかけたようだ。
筋肉は嘘をつかない。筋肉は一日にして成らず。
ならば見えずとも一日にして成らぬものは、全て筋肉という形を与えよ。
俺は奴のやっていることが意味のあることかどうかは分からない。しかし積み重ねられたものを見ていた。壊れてまた結んできたのを知っているから、つまり俺は、奴の筋繊維であり筋肉である。
そう、筋肉は嘘をつかない。だから俺を信じればいい。
ついに校門へ突入した。この後は階段という最大の難関が待っている。後ろの鉛筆は正確なビートを刻んでいた。いけるか、俺の筋肉たち。答えるように彼らは震えた。
そして天啓が降り注ぐ。
ああ、孤独を武器に鍛えた筋肉も、誰かと繋がる力に成り得るのだと。
蝉の拍手は鳴りやまない。息を制御して、階段を足の裏で蹴る。そこに生まれたエネルギーがすべて身体に伝わっていくのを感じていた。

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「きっとあなたも、誰かの筋肉/夏/エーオー」への1件のフィードバック

  1. 徐々に変わっていく距離感を描くためには、ある程度の物語的時間とそれに合わせたエピソードが必要ですが、その分ショートショートにしては文量が増えてしまうので、どちらを取るか悩ましいところです。
    ストーリーテリングは見事で、キャラの濃さに最初は面食らいましたが無事脳筋に頭を乗っ取られました。
    むかし、「人を笑わせるのは、泣かせることよりもずっと難しい」という台詞を聞きました。ここでの笑いは、嘲笑でもなく冷笑でもなく、胸の奥にすとんと落ちるような暖かい気持ちにさせるものでした。君にはきっとそれを実現できる才能があると勝手に思っています。トレーニング、頑張ってください。

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