けふも昔に/夕方/露子

夕方は切ない。
春の夕方は、昼間の暖かさを俄に冷たさに塗り替えていって切ない。夏の夕方は、淡く橙色に染まった空に遠くから微かに聞こえる祭囃子が響いて切ない。秋の夕方は、夕焼けが景色を真っ赤に染める様が切ない。冬の夕方は、気づく間も無く終わっていて切ない。

夕方はなぜ切ないのだろう。
個人的な懐かしい思い出が想起されるからだろうか、夜が来るのが怖いのだろうか、、、
何か個人を越えた、大きな作用がこの切なさには働いている気が私にはする。

奈良時代の万葉集にも夕方の切なさを謳ったものがあるように、人々は表現を獲得した初期からこの切なさを表現しようと試みていた。大昔から人間たちは夕方に、切なさを感じていたのだろう。
「夕方に切なさを感じる」、この現象は人類がその歴史を紡いでいくうちに無意識的に獲得し、遺伝子にプログラミングされていったものなのではないだろうか。

1日は、地球が一回転する分の時間の単位である。その間に太陽が現れてあたりを照らし、そして去って闇に代わっていく。照明技術の発達していない昔の夜闇は、夜でもどこかしらで明かりの灯っている現代に生きる私たちにはなかなか体験できないような、ザ・真っ暗だろう。そんな真っ暗闇の中では何も見えない。視覚によってあたりの状況を把握できないということは、人間にとてつもなく不安を抱かせる。もし迷ったりでもしたら…突然何かに襲われたら……命の危険がどこに潜んでいるかわからない。そんな中では、安全なところで寝るということが最も欲望され優先されるだろう。
つまり、夜には何もできない。そうとなると明るくて目の利く日中の活動に重きが置かれる。「時間」が発明される前から、夜になることは1日の終わり、ひと続きの営みの終わりを意味していたのだ。

夕方はこの、日中と夜の境目である。真っ暗な、危険な夜へのカウントダウンが始まっていることを人間に強く感じさせ、今日一日の営みを振り返り翌日に想いを馳せる時間が夕方であった。もし明日、日が登らなかったら?もし明日、日を見る前に自分が死んだら?そんなことを考えていた人間もいただろう。しかし日はまた昇り、営みは続いていく。

小林一茶の句に「夕ざくら けふも昔に 成にけり」というのがある。小林一茶も、夕方に一日の終わりを見ていた。
この句の切なさは「けふも昔に」の「けふ“も”」という部分にあると思う。「今日」は昔になったこれまでのたくさんの時間のうちの、たった一日にすぎない。そしてこれからも、経過した時、「今」は昔に成り続ける。あたりが光の中から闇の中に移ろい行く夕方は、こういった“諸行無常のあはれ”を人々の心に染み込ませ続けてきたのだろう。

地球は休むことなく回り続け、時は限りなく流れていくが、自身は有限の存在である。そんなことを人間に気づかせるから、夕方は切ない。

 

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「けふも昔に/夕方/露子」への4件のフィードバック

  1. 万葉集と一茶を持ち出すのであれば、「プログラミング」「ザ・真っ暗」などという言葉は雰囲気を損なうので「遺伝子に刻み込まれる」「文字通りの暗闇」としてもいいかも。
    とはいえ、時の移ろいという、ある種重くなりがちなテーマをここまでライトに書けるのには下地となる文章力の高さを感じます。
    夕方は逢魔時とも呼ばれますが、かつて心霊現象が起こるのは丑三つ時ではなくこちらでした。「死」というものを強く意識させる意味でも、夕方は切ない、儚い時間帯になり得るのでしょうか。

  2. 古典の引用も用いつつ夕方という時について細かく考察されていて、興味深くまた勉強になりました。

  3. 冒頭の文体が枕草子(春はあけぼののくだり)をもじったような軽やかさで読んでいて楽しだったです。
    ただ夜の怖さと時の流れに置いていかれる恐怖というのがどうしても文の流れの中で結びつけづらかったので、タイトル通り後者に重点を置くのであれば、一茶の句をむしろ最初の方に持ってきてもいいのかなあと思いました。

  4. 文章の軽さが軽すぎず重すぎず、知に足がついていて読みやすかったです。
    最後の文章からみると結論としては有限な人間という存在の儚さを感じさせるということなのでしょうか。それがちょっと勿体無いし、文章の流れがその結論に持って行ききれていないように感じます。
    このスタイルだったら一個に絞らないで、切なさには色々な要因があることを示せればいいのではないでしょうか。それぞれの具体例に対して夕焼けが切ない要因1、2…と結論をつけてあげて、こんなのが全部集まって、夕焼けの切なさが醸し出されてる〜的な感じで、まとめきらなくても良いのかなと思います。

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