じじいのひのいりのびょうよみ/夕方/ほのほ

郵便が届いた。差出人不明の茶封筒。

ふしだらなオレンジが煮詰まってコバルトが沈着する、ちょうどその境に、薄く紫の帯が渡る。じじいが現れるのは決まってそんな夕方だった。顔が埋もれるほどたっぷりのひげに苔色の作業着、そしてつばの擦り切れたキャップ。そんなずんぐりむっくりが、神出鬼没、いつの間にか街のどこかに腰掛けているのである。

じじいにもお気に入りの場所というのはいくつかあるようで、公園の土管の上に腰掛けていたときなどは、奇怪そのものであったが、少なくともたぬきのロボットなどよりは似つかわしく思われた。幼い頃に何度か見た、虹の上で足を投げ出していた人影も、母は幻だと言ったが、きっとじじいだったに違いない。

じじいの行動はどこでも決まっている。日の入りの直前、左ポケットから懐中時計を取り出し、それは開くとぼんやり光る。しばらくそれを見つめて、あたりがすっかり暗くなったら、すごすご帰っていく。とはいえじじいが帰る先を見た者はいないから、帰るという表現の是非は定かではない。

じじいがいつから現れたのか、それは誰にもわからないという。ここ数年のことだと言う人もいれば、大昔からだという人もいる。しかし、そんな不可思議を街の人たちは驚くほどすんなり受け入れていて、じじいは暇なホームレスか、妻を亡くして気が狂ったやもめで、とにかく近づかない方がいいというのが暗黙の了解であった。

どうして私がこんなにもじじいに詳しいのかは言うまでもない。じじいを好きだったからだ。しかし今となっては彼は、世界に混じったノイズとでもいうのか、とにかく本当に触れてはいけない存在だったのだと思う。もちろんただの気狂いの戯言だった可能性はあるが、じじいとの会話はあまりにも深く私の心にかじりついている。

「おじいさん、時々ここにいるよね。何しているの?」
「知らんほうがいい」
「ねえ、いいじゃないけちけちしなくたって。なんにも話さないから、街の人たちみんな、陰ではあなたのこと馬鹿にしているのよ」
「知っとる」
「ねえ、でも私は、馬鹿にはしないよ。嘘でもいいからさあ、教えてよ、秘密にしとくからさ」
「ううむ…。お前さん小さい頃、人形遊びはしたか」
「人形遊び?好きだったよ。小さな家にうさぎとか、並 べたりしてさ」
「お前さんたちもおんなじさ」
「えっ?」
「お前さんたちも、人形なんだ。そしてそれを操る奴らがいる。俺はそいつらが、ちゃんと働いて、時間通りに空を回しているか、監視しているのさ。この懐中時計で、怠け者の奴らをな」
「あはは、おじいさん、面白いね」
「笑わせるつもりはないがな。最近は中が明るくてあまり見えんが、お前さんたちが星と呼ぶ光だって、外側から中が覗けるように、連中が空けた穴から漏れているんだぞ」
「ふうん。ぜんぜん実感わかないけど。おじいさんはその、連中?の一員なの?それって、宇宙人みたいなもの?」
「まあな。宇宙人といえばそうだが、そうでないともいえる。しかし…」
「しかし?」
「俺の、跡継ぎがいなくてなあ。それだけが心残りだな」
「跡継ぎって、その、監視役の跡継ぎ?世襲制だったのね…」
「そうさ。世襲制と言うと少し、可笑しな気もするが」
「うーん、跡継ぎかあ…。じゃあ、私がその跡継ぎ、やってあげるよ」
「はは。それは頼もしいな」
「なあに、その言い方。わたし別に、ふざけているわけじゃないのよ」

ちょうどそのあと日が落ちて、じじいとは別れた。後にも先にも、じじいと話をしたのはこの一度だけ。私が引っ越してしまったからだ。けれど、たった一度だったからこそ、今でも忘れられずにいる。

封筒の中には、古びた懐中時計がひとつ入っていた。

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「じじいのひのいりのびょうよみ/夕方/ほのほ」への3件のフィードバック

  1. タイトルが明らかに「ぼくりり」のパロディだったので内容がわからず、読み始める前に少しだけ勇気が要りました。
    フタを開けてみれば、素朴な文体で描かれながらも起承転結の整った文章です。単なる「いい話」で終わらない物語だと感じます。「じじい」が気狂いだと後ろ指をさされていることもありますが、懐中時計、が重く感じてしまうのは僕だけなのでしょうか。

  2. 夕方にふさわしい王道のノスタルジーがありました。素敵。ただ、地の文が男性的なのに台詞が極端に女性的だから混乱した。あとは、じじいの発言を少しほんとかもと疑わせるような要素を描写に編み込めたら、信用できない語り手的なジャンルになっていい濁りを読者に残せるのでは。テンプレではあるけれど。

  3. 比喩表現が巧みですね、すごいと思いました。ふしだらなオレンジってどんなオレンジだろうって想像しちゃいましたもん。
    語り手がどういう人なのかがあまりわからなかった、というか語ってる時に持っていたイメージと会話してる時のイメージに差がありました。それもおもしろかったけど。

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