あの日の夕方友達/夕方/猫背脱却物語

夕方の空を写した写真が、なんとなしに携帯に溜まっている。夕映えが鮮やかだったり雲が雄大だったり、目の当たりにした夕方が素敵でついつい撮ってしまうのだ。まるで一眼レフ構えたカメラ女子みたいな動機である。

でも写真は別にSNSにあげるわけでもコンクールに応募するわけでもない。かといって「どうせ大した写真じゃない」と削除する気にもなれない。撮らない気にはもっとなれない。携帯の中で眠り続けるのは目に見えているのに、それでもいい夕方に出会うと無性に写真に収めておかなきゃいけないような気になる。

 

そもそも毎日やってくる夕方を改めて紹介するのもどこか変だし、そこから改めて夕方の魅力を感受する人もいなかろう。ある日の夕方を伝えようと写真を見せて「ほら、この前の夕方はこんなに良かったんだよ」と言っても「あら、写真撮るのがお上手で」と言われておしまいだ(それが薄々わかるから尚更人に見せないんだと思う)。それならと言葉で「弾力あるマシュマロのような雲に朱筆みたいな光が差して、表面一つ一つの毛羽立ちに暖かさと陰影を与えててね…」と語ったものなら「相変わらず比喩表現がお得意ね」となるのである。そのたび、そうじゃあないんだよお、となる。

伝える手段はどうでもよくて(そりゃ褒められたら嬉しいけど)伝えたい夕方そのものを知ってほしいのである。食レポを評価されたいんじゃなくて、レポートされてる料理を一緒に食べて、それで「おいしいね」と言い合いたいのだ。自分があの時感じた夕方を知っている人がいたら、それだけでその人の大事なところを知っているような特別な気持ちになれる。でも味わった後にしか、誰かと味わいたかったなあとは思えない。いい夕方は定食ほど毎度安定した質では提供されないから余計「あの日の夕方」を誰かと共有したくなったりする。

 

ああ、だから写真を撮りたくなるのか。

 

その日同じ夕方の空を見ていた人に出会った時、その事を一緒に思い出せるように、私は写真を残すんだろう。空に関する食べログやぐるなびみたいなものは知らないから、とりあえず私だけのレビューとして空を写真におさめておくのだ。そして写真は、その日のその夕方に居合わせ同じ気持ちになった共感者、飲み友達とかバスケ仲間とかいう類の「あの日の夕方友達」がいつか現れるのを待っているのだ。

もし彼/彼女が現れたら、子供が握ってた手のひらの中に隠した宝物をこっそり見せてくれるみたいに、そいつにだけ写真を見せたい。そして二人で顔を合わせて これだ これだ とニンマリしたい。そいつも写真を持ってたりなんてしたら。僕らあの日の夕方友達の友情は永遠となり、夕方になるまで語り合うのさ。

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「あの日の夕方友達/夕方/猫背脱却物語」への3件のフィードバック

  1. なんだかロマンチックな文章だなあ。ちょっとかゆかったです。男の人が書いたんだろうなという感じ。ちょくちょくあげられる具体例がわかりやすくて語り手の思考についていきやすかったです。
    あと、つまり、SNSにそういう写真あげる人って1人でも多くのいわゆる夕方友達を探しているんですかね?

  2. なんとなくわかるような気がしました。他の人と、同じ感覚を共有したい。という気持ちを思い起こされました。

  3. 夕方の空を見て写真を撮るとき、まあ当然なんですけど、撮った写真よりも見たときのほうが綺麗ですから、綺麗な宝物をそのままとっておきたくなります。その不足を埋めるのに思い出とは大きいものだなぁと。
    テーマ夕方の心地よい文章でした。

    でも比喩お上手ですよね。

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