もや/夕方/みかん

当たり前に流れる日常の中、私は非常にむしゃくしゃしていた。濃く濁った泥のように混沌としている塊、いや現象というほうが正しいか、とにかく秩序なき何かが私の心を圧迫していた。それは焦燥でもあり、不安、切迫、困惑、祈りでもあるだろう。その感情がどこから湧いているのかは分からない。何か具体的な理由があるわけではない。積りに積もった不条理と落胆が、私の脳みそと身体にエラーを起こしたからかもしれない。夏が終わり、冬の中継ぎ役のような中途半端な秋がきて、中途半端な気温と、中途半端な空気と、中途半端な天気が、中途半端な私を苛立たせているのかもしれない。とにかくはっきりとは分からない。人間の感情というものは、ゴールのない入り組んだ迷路のように複雑で不条理に満ちている。一度嵌ると、時間という波が一掃してくれるまで、出ることは出来ず、ひたすら煩悶するほかない。そして出たら出たで、確かに存在していたはずの混迷と虚脱は、新しい水に溶けきってしまい、一体私は何を路頭に迷っていたのだろうかと、綺麗さっぱり忘れてしまうのだ。まったく、本当に性質が悪い。不思議の国のアリスよろしく、私は迷路に嵌って出られなくなってしまっていた。

授業が終わり、家に帰る。重い顔をあげるのが億劫で俯きながら歩く。正門まで来ると、帰宅する学生が大勢いた。同じサークルや同じ学科で皆同じく群れている。私にとって彼ら彼女らは顔がないように見える。鬱陶しいから早く帰ろうと思い、腕時計を見ると、既に5時をまわっていた。ふと周りから空が綺麗だという声が聞こえ、重い顔をあげる。かぼちゃみたに濃いオレンジ色の空に、ちぎったパンのように可愛いらしい雲が浮かんでいた。現実の世界でないようで、なんだか私は狼狽してしまい、クラクラしてしまった。幻想的な風景で、美しい風景だと思う。しかし、むしゃくしゃしていた私にとっては、その幻想がどうしても癒しには感じられなかった。結末を知っている映画を見ているような、言葉にならない気持ちが消えていくような感覚。作為のない純粋な自然ではなく、むしろわざとらしく野暮に感じられた。ご機嫌とりのようなことはどうかしないでほしい。自分が餌を乞う醜い飼い犬のように感じ、苛立つ。更に、むしゃくしゃは、加速する。

ああ、だめだ、立ち止まっていてはだめだ。動きださなくては、走り出さなくてはだめだ。私は、とにかく走らなければ、という強迫にも似た感情に襲われた。しかし、足はずっしりと重く、動かせない。まるで自分の足ではなく、粗雑に継ぎ接ぎされたハリボテの足のようで思うように動かなかった。私は借り物のような足を無理やり引きずりながらも、なんとか地面を蹴って走り出した。

もう何がなんだか分からない。一体私に何が起こってしまったのだろう。必死に走りながら思考の導火線に火をつける。私はただ生きたかっただけなんだ。知りたかっただけなんだ。世界の秘密を。周りの人達は生きていない。死んでいるんだ。みな肩書きやレッテルを求めている。内に閉じこもって自分が何であるかを思索せず、作為による虚構の繋がりやキャラクタにすがりついている。そんな人たちに私は失望するし、そして無性に悲しくなってしまう。もう、そんな、みっともないことはどうかやめてくれ。名前だけの関係に依らないでくれ。私は、懇願し、祈り、走る。駆ける。翔る。名前のある関係がとにかく鬱陶しくてしょうがなかった。そこに名前が無かったら、一体に何が残るというのだろう。残るのは虚無だけだ。名前じゃないんだ。大事なのは名前じゃないんだよ。誰もが持つ生の渇きを、名前という麻薬で満たすのは間違っているんだよ。涙がこぼれるのを感じつつも、堪えながらひたすら走る。早く夜になってくれ。感動な夕暮れなんかもう見たくない。しかし、世界はどうもおかしくて、何故か夜はやってこない。ずっと夕暮れのままだ。一体世界に何が起きたのか。何故こんなにも渇くのか、一体私はいつどこを走っているのか、一体私は何なのか。いや本当は分かっているんだ。自分は自分でしかなくて、この世界も自分自身なんだって分かっていて、だがどうしても認めたくなくて、結局私には借り物の言葉しか持ち合わせていなくて、私唯一の感性なんてものは一切無くて、とにかく目を背けたくて、私の意志を無視して世界が簡単に革命されてゆくのがひたすらもどかしくて、私はもう走るしかなかったんだ。立ち止まりたいけれど、立ち止まれず、焦燥に身を委ねひたすら走る。そして気が付くと、なぜか私は海にいた。

空はもう夜だった。波は重苦しくゆらぎ、泣いているように音を立てる。空には雲一つなく、黄色く眩い三日月がさみしそうにひっそりと浮かんでいた。ああ、私が見たかったのは、これなのかもしれない。閑静で深い海のずっとずっと上を、想像を絶する孤独を背負いながら浮かぶ三日月。気高く高潔な精神を、私は見たかったんだ。心が少し穏やかになっていくのを感じた。どうかこのまま静まってくれ。しかし、またふつふつとむしゃくしゃが沸いてきた。ああもう、と苛立ちながら、また走り出そうと思ったが、砂浜に足をとられ、転んでしまった。どうにか起き上がろうとしても、起き上がれない。もう、なんでもいいや。疲れきった私は、諦めて、ゆっくりと、目を閉じた。

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「もや/夕方/みかん」への4件のフィードバック

  1. 初回からこのレベルで書けるのは純粋にすごいと思います。
    気になったところは、「~た」っていう表現でリズム感が損なわれているような気がするところがあること。あともう少し文体に合わない表現(「むしゃくしゃ」とか)をなるべく合った表現に変えていければよくなるんじゃないかと思います。

  2. 走り抜けていく文章で、重たさが好きでした。段落がないのはわざとなのかな?なんとなく文字が頭を埋めてきて読みづらい気もしなくもなかったです。この文章を読んだところ、書ききってそのまんま提出したのかな?ってなりました。少し削ったり表現を変えるともっと愛しい文章になりそうな気がします。偉そうにごめんなさい。

  3. かぼちゃみたい、でしょうか?誤字脱字を気にする人はあまりいませんが、勿体無いので。こういう熱量のある文章は大好きです。最後のゆっくりと、でいきなりテンポが落ちる感じがあるので、ここはそのまま突っ切っても良かったかなと思います。

  4. 情景描写の表現が豊富で、頭の中に綺麗に浮かんできました。全体的に勢いがあって、心の荒ぶりや乱れがよく伝わってきました。

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