呪文とファスナー/夕方/エーオー


小学生のとき、笑いたい気持ちをころす呪文をつくることにした。

 そのころ流行っていたのは好きな人がいるかどうか友達に聞いて回ることだった。人のが聞けると嬉しいけど、自分の好きな人がばれたらその後は地獄だ。でも結局「好きな人いる?」と言われたときに、どうしても我慢できずににやけてしまうから(なんでだろう?)、おまえいるんだろ! と白状するまで問い詰められる羽目になる。

 これはめちゃくちゃ理不尽だと思った。だから、次に聞かれたときのために俺は笑わない訓練をした。
 まず、笑顔をつくる。そして友達に聞かれるときの状況をシュミレーションする。「好きな人いる?」という言葉が頭の中に響いた瞬間、口角を下げて真顔をつくる。笑っては、真顔に戻る。これを何回か繰り返したら、もう「好きな人いる?」と脳内で唱えるだけで、気持ちが勝手に下降して冷静になって、笑えなくなる。
 これ、本当に効く。好きな人を聞かれたとき以外にも、たとえば笑いすぎて腹がいたくなってきたとき、この呪文を唱えるだけですっと普通の状態に戻れる。だから使いようによればかなり便利だった。そして、俺はひとつ学んだのだ。「好きな人いる?」というそれだけの言葉で、おかしくてたまらなかったはずの気持ちなんて完全に殺しきることができる。

 気持ちなんてそんなもんなのだ。それだけの、もんなのだ。
 ふと思う。じゃあ、すべての気持ちに呪文をつけたら。


「するとくまのお父さんはなきました。『ええ~ん、ええ~ん』」
「えっ、おとななのに泣くの。へんなの」
「感動したときとかはさ、うれし涙とか聞いたことあるでしょ」
「ママも泣く?」
「ママが泣いたらリコが困るでしょ」
 齢、十七才。恥ずかしながらこの年で小児科に通っている。
 泣きながら怒られている男の子がいる。読み聞かせをしている親子もいる。そんな待合室にひとり学ラン姿で立つというのは、自意識過剰な思春期の真っただ中の身にはきついものがある。
 だが、今さら別の医者に一から自分の症状を説明するのもめんどくさい。そんなわけで幼少期からずるずると通いつづけている。
 無秩序な奇声が飛び交う。兄妹もいたのでうるさいのには慣れっこだ。あまり気になる性質ではなかった。
「野上さん。野上夕さん」
 見るともなしに声のする方を見る。支払い受付に向かっていったのは水色のランドセルを背負った小さな少女だった。学校帰りらしい。まじか。俺があの年のとき、流石にひとりじゃ病院いけなかったぞ。慣れているのか少ない動作で会計は終わった。
 なんとなく、またプライドが傷つく。しばらくして名前を呼ばれ、支払いを済ませ薬局で薬をもらった。

 さて、家に着くや否や近所で不審な動きをする人物を見つけてしまった。
 その人物はまずある家の植木鉢を片っ端から持ち上げたり、ポストを探ったりした。しまいには水道管の蓋も開けてのぞく始末だったが、目的のものは得られなかったらしい。すると今度は家の周りを一周し、一階の窓に手をかけてまわっていく。
 その家の表札には野上とあった。
 あやしく動き回っているのは、他でもないあの野上夕と呼ばれていた少女である。
 なぜ彼女は自分の家を外から物色しているのだろう。まあ、見当はつく。あれだな。あいつ家の鍵を学校に持っていくの忘れて、家に入れないんだな。車庫は空だ。親は出かけているようだ。
 自室の窓からまるまる様子が見渡せた。ほうっておいても大丈夫だろう。自分も何度か同じ体験をしたが友達の家に避難するなどして切り抜けていた。雨が降る気配もないし、秋だから厳しい気候でもない。というか、小学生女児に面識のない男子高校生が話しかけるのは、ちょっとね。犯罪臭がね。
 大丈夫、大丈夫。
 まるで自分に言い聞かせるような調子。

 ところが一時間ほどたち日が傾いてきたころ、まだ少女は自分の家の玄関の前でうずくまっていた。
 風がだいぶ冷たくなってきている。日中は暖かかったからか、少女は長袖の薄手のシャツ一枚だ。さすがに寒いだろう。座ってしまって動く気配が全くない。え、なに。まさか一家全員出ていって、あの子だけ捨てられたとかないよな? 嫌な想像が膨らむ。
 なんだか、見ないふりをするのも精神力を使う。意を決して少女の家に向かった。いざとなったら交番につれていくなりなんなりすればいい。どこかで風がびゅうびゅうと、木の扉を揺らして音をたてている。

 風ではなかった。喘息の音だ。
 近づいて初めて少女が動かないわけが分かった。がらがらがらと音をたてて苦しそうに息をしている。動けないのだ。なったことがあるからわかる。喘息だ。この時期は出る。
「大丈夫? 家の人もうすぐ帰ってくる?」
 思わず背中をさすりながら尋ねる。首を振った。答えはノーだ。発作が起こっているから喋るのは無理だ。細かいことは聞けない。どうする。救急車か?
 途方に暮れて周りを見渡した。そのとき目に入ってしまった。
二回の窓、あいてる。
それは充分危険な発想だった。あとから考えればもっと別の策もあったはずだけど、そのときはパニックで阿呆になっていたのかどうか、これしかないと思ったらしい。
「家の中にさ、吸入器ある? しゅーってやつ」
 喘息患者に渡される水色の携帯用の吸入器。即効性があり、発作はすぐに治まる。俺は持っていない。使いすぎるから医者に処方されなくなった。
 少女は頷いた。答えはイエス。
 裸足になる。上着も脱いだ。家の横にある塀にも足をかけながら、なんとか窓枠にしがみついて入り込む。

 完全なる犯罪である。不法侵入である。足取りも自然忍び足になった。さっさと用を済ませよう。素早く一階に降り、食卓の上に吸入器を発見した。
 ふと、リビングから隣の部屋が見えた。懐かしい。誰もが一度は寝かされていた、ベビーベッドだ。オレンジの陽が、赤ん坊の耳たぶのように柔らかそうな白いシーツを温めていた。

 ずっと残っている一才の頃の記憶がある。
 昼寝から目を覚ますと母親の姿がなかった。家にひとりだけで、不安になって泣きわめく。窓を開けておかーさんと何度も叫んでいると、そのうちに母親が買い物から帰ってくる。
 そういうことを何度も繰り返した。何度も何度も窓を開けて泣き叫んだ。そしてある日、はたと昼寝から目覚めても泣くことはなくなった。
 たぶん、学んだのだ。母親は必ず帰ってくるということ。そして、自分が心から誰かを必要として泣きわめく瞬間に、そういう人は絶対にあらわれないこと。世の中そういうものだということ。

 閉められていた鍵を開けた。玄関を開けると少女の濡れた頬に夕陽がぺかぺかと反射してまぶしい。吸入器を渡す。それを吸い込むと少し落ち着いたようだった。


 そのとき車の向かってくる音がした。まずい。俺は道理を通さずに逃げ帰ることにした。大丈夫。犯罪者だろうか。なんとかなる。とりあえずあれだ。病院変えたい。
 部屋に戻り窓から外をのぞく。少女の家の車庫に車が収まったところだった。
 そして、朱の空の下でファスナーが開くのを聞いた。
 赤ん坊の泣き声はそういう音がした。初めはストローの蛇腹を伸ばした時のようにぷつりぷつりとひっかかりながら、突如おおきく開いて泣いた。しまいに、少女の泣き声も重なって二重奏になった。
 その調子だ、と思う。いつかママだから、パパだから、大人だから。世の中そんなものだからとか、そういう呪文で気持ちを殺さなければいけない時がくるのなら、せめて今だけは子どもの時だけは、ファスナーを全開にできる日が多くあるといい。

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「呪文とファスナー/夕方/エーオー」への3件のフィードバック

  1. 主人公の視点で場面を追うということがとてもしやすい文章でした、これ、本当にすごいと思います。
    個人的には、1が少し長いのかもしれません、オチの部分が本当に好きなのでその伏線としての1がなんとかもっと効いてくれないものか、と思いました。

  2. 呪文というと、インド映画「きっと、うまくいく」で使われるフレーズ「だーいじょうぶ(All is Well)」を思い出します。
    過去のエピソードが印象的だっただけに、現代での呪文の存在感が希薄だなと感じたのですが、そもそも「呪文」が「ファスナー」を閉じるときに使われるものでした。となると、セーブしていた気持ちが迸る後半で使われないのは当然か。とはいえ、序盤に結構な分量を割いたパートだったので、勿体無い気持ちもあります。
    第3段落なんてなかった。

  3. 最初の段落で「呪文」を前置いて、場面をガラッと変えて2が始まる、というのは「お、この話がどう呪文につながってくるんだろう??」と読んでいてわくわくしました。それだけに、オチ、というか前置きと2からの物語が接触する、文章の締めがなんか不完全燃焼な感じがしました。話自体は面白かったです。

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