食べたい/食べたい/リョウコ

ひと月ほど前から、一人で食事ができない。
もともと不精者で、自炊に精を出す方ではなかったから、以前もコンビニ弁当やスーパーの総菜ばかりでまともな食生活とは言えなかったが、それでも一応日に三回はきちんと何か口にしていた。
「食べたい」と「食べる」が直結していて、お腹がすいたら食事をする、という流れが特に意識しなくてもちゃんとできていたのだ。
しかし、夏季休暇が始まってから約3か月、チクチクと細い針でいちばん弱い臓器を集中攻撃されるようなストレスが毎日続いたおかげで、秋の始め、私は一人で食事ができなくなった。
最も酷かった時期は、アルコールと水と牛乳だけで胃を満たしていた。勿論、満たされる訳が無くすべて水洗トイレに吸い込まれていったけれど。
2週間の実家での療養を経て、いまでは一応三食きちんととるようになったが、それもかなり気を張らないと未だに一人では難しい。
一人でお腹いっぱい食べると、罪悪感から半分はリバースしてしまう。だから私が一人で食べられるのは腹五分目まで。今の主食はコンビニの春雨ヌードルである。
私は「食べる」ことに憧れている。
自らの意思で食事をする、それもほぼ無意識的に食事ができるというのは、凄いことだ。
身体がもう無意識で「生きてえ!」と燃料を欲している。
手垢のついた言い方ではあるけど、やはり「食べること」は「生きること」である。
生きたいという意思と、生きようとする身体がガッチリ手を繋いでいる状態が、人がうっかり忘れてしまう位には当たり前なのだ。
さて、これから木曜三限の清田スタジオに向かうべく、私は昼食をとろうと思う。
「生きたい」という私の意思と、食べることへの罪悪感を盾に食事を放棄せんとする私の胃袋。
勝敗はいかに、である。

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「食べたい/食べたい/リョウコ」への1件のフィードバック

  1. 精神的負荷によって食欲という生理的欲求が侵されるほど理性的な生物だということです。生きてることに罪悪感があるから食べることができなくなるなら、一回食べると生きるを切り離して考えてみたらどうですか。美味しいから食べる、みたいな。こういう場合、美味しいという感覚もなくなっちゃうんでしょうか。

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