しまっちゃおうね?/片付け/ノルニル

     行き交う車のヘッドライトが濡れた路面に反射する。雨上がりの水たまりが所々に広がって、色づいた楓の落ち葉にまだら模様の染みを作る。仕事終わりの飲み会明けか、街角で浮かれるサラリーマンを横目に路地へと入る。

     嫌なことを何でも忘れさせてくれる店がある。そう聞いたのは、季節が変わるころだった。聞いたところ黒魔術や闇の儀式のようでワクワクする気持ちはある。だが俺もさすがに馬鹿じゃない、最初は眉唾程度に考えていた。

 

     今日の夕方、人事部長に仕事を頼まれた。どうやら先日の失態に関して他の部署に申し訳を立たせる、というのが理由らしいが、その見栄を押し付けられるこっちはたまったもんじゃない。これはまあ仕事だから仕方ないとして、最近思い当たるフシはいくつかあり、結果として慢性的な疲労がある。

     同期入社の宮辻さんと「おつかれ」を交わすのだけが唯一の救いだ。だいたい部長からの頼まれごとにイヤな顔ひとつせずやってのける、彼女はすごい。いっぽう俺のほうはといえば、やっていけないわけじゃないが、時おり大声で喚きたくなるのを必死に抑えることがあって、正直すこし辛い。それで、もしや本当に、と思って残業後にこんなところまで来たわけで、ああ、やっぱり俺は馬鹿だな。

 

     ──魂の買い取り・販売 サトミ洋品店

 

     噂の店は果たして、雑居ビルの地下に居を構えていた。繁華街の中にあって、辺りを異様な雰囲気が覆っている。薄暗い階段を降り、ドアに向かい合う。すこし躊躇いがあったが、心を決めてドアを開いた。

「いらっしゃい。……と言っても、もう店じまいですが」

     店内に入るやいなや、椅子に腰かけた店主らしき人物に声をかけられた。瘦せぎすで背が低く、腰が曲がっているものの顔はそう老けては見えない。年齢不詳、という感じだった。

「お客さん、『しまい』に来たのかい?」

     さらに言葉を投げかけられる。ニガヨモギにも似た、香の甘い香りが鼻につく。アンティーク調の調度品の中に、動物のホルマリン漬けや拷問の器具、怪しげな洋書、昆虫の標本、花が咲いたサボテンに民族の仮面が並ぶ。ひとしきり視線を巡らせ、俺はようやく店主へと向き直った。

「しまう、というか、イヤなことを忘れさせてくれる、と聞いて来たんだが」

「それはそれは、よくぞいらっしゃいました。ではさっそくご説明します。コチラをお手にとってみてください」

     店主はそう言うと、人形を手渡してきた。小さな頭と四肢が、これまた小さな胴体に無造作に縫い付けられたものだ。

「それはブゥードゥー教の儀式で使われるものでして、その司祭は一切の雑念を捨てるために人形に煩悩を託すと言われています。実際、モノは小さいですが、効果はテキメン!ですよ」

     いつの間に近寄ってきたのか、店主が興奮気味に耳元でささやきかけてくる。その目は血走り、上目遣いなのに妙な威圧感がある。

「いじめっ子のグループに入っていじめをやめさせた自分に感じた偽善者っぷりも、クラブの先輩に体操服をアクリル絵の具で染められた記憶もアナタ自身の親御さんのことも何なら恋の悩みだって、ぜんぶイヤなことだけ忘れられます。どうしますか?」

     なぜ知っているのか問おうとして、やめた。重要なのは原理やからくりじゃなく、本当に忘れられるかどうかだ。もはや怪しさしかないが、ここまで来ればもう後には退けない。俺は黙って頷いた。

 

「深く腰かけて、目を閉じてください」

     拘束具のついた椅子に縛り付けられ、言われた通りに目を瞑る。目の前は真っ暗なのに、むしろ視覚は研ぎ澄まされるかのようだ。

「さあ大きく息を吐いて、そのまま記憶を遡ってイメージを大きく羽ばたかせて。そこで形になったらぎゅっと押し固める!……そう、それがアナタの苦しみ。アナタの不幸のもとなのです」

     いくつもの後悔が、形を得て結びつく。記憶は輪郭を失い、ぼんやりとした靄へと姿を変える。

「最後にひとつ忠告です。たとえ思い出したくなっても、決して自分では思い出すことはできません。それでもいいですね?」

「ああ。構わない」

     俺は迷いなく答えた。店主はなおも尋ねる。

「しまっちゃおうね?」

     俺は人形を握りしめた。店主が何やら呪文を唱えた。

「結構。これでもう済みました。効果は一晩明けたあたりで現れるはずです。さ、人形はこちらにいただいて。さて。お代ですが、一件につき5千円。しめて2万5千円いただきます」

     意外に呆気ないものだ。魔法陣とか悪魔召喚とか、そういうのを期待していなかったといえば嘘になる。代金を渡すと気味の悪い手つきで札束を数え、確かにいただきました、とニヤニヤ呟いて店主は続けた。

「実はここ、質屋もやってまして。アナタの辛いこと苦しいこと、売りに出すこともできますがいかがいたしましょう」

「他人の苦しみなんて、いったい誰がわざわざそんなもの望んで買うんだ」

「まま、そこはモノ好きな方もいらっしゃるということで。どうします?」

「いいよ、好きにしてくれ。どうせもう二度と思い出したくもない記憶だ」

「わかりました。もし売れたら、ご連絡を差し上げます」

お客さんの秘密は守りますから、そういう店主の言葉を尻目に俺は店を出た。

 

     夢を見た。子供のころの夢。絵本、レゴ、ひとりぼっちの人生ゲーム。夢中になって遊んでいるところに、母親がやってきて「しまっちゃおうね?」と片付けをはじめた。いやだ、あと少し、もう少しだけ遊ばせて。伸ばした手はやはり、届かない。たいせつなものを手放すのにはいつも後悔がつきまとう。

 

     夜が明けた。目を覚ますと、目元が涙で濡れていた。店に行った記憶は残っている、だが何が嫌だったのか、それだけが思い出せない。

     会社に着いてすぐ、頼まれた仕事に取りかかった。いつもに比べて妙に集中できて、一週間かけてやろうと思っていたのが2日で終わった。

     仕事ができるようになると最初は褒められ、それがうれしかった。できることが増えるとだんだん褒められなくなり、失敗したときだけ怒られるようになった。一見損な役回りにも思えるが、それは「できて当たり前」という最高の評価をはじめにもらっている、という風に思えるようになった。そんなある日のこと。

     繁華街で宮辻さんを見つけた。考えてみれば、仕事に精を出してから、彼女と話す機会はほとんどなかった。あまり飲み会にも顔を出さず、終業後はすぐ帰り支度をはじめる彼女が、遅くにこんなところに一人でいるのは妙だ。悪いとは思ったが、気になったので後をつけてみる。

     追いかけると、宮辻さんは『サトミ洋品店』の前で立ち往生していた。ずいぶんと悩んでいる風だったが、やがて心を決めたようで地下の店内へと向かっていった。

     目の前で見たというのに現実味がなかった。どうしてあの人が、まるで信じられなかった。近所の牛丼屋で時間を潰し、閉店間際のサトミ洋品店へ駆け込んだ。

 

「ああ、お客さんご無沙汰です。また何かイヤなことでもありましたか?」

「違う、そうじゃない。さっき女性が来ただろう。彼女の悩みを教えてほしい」

「残念ですが、それは無理な相談です。お客さんの秘密は守る、言ったでしょう?」

     むかし世話になったとき、確かに店主はそう言った。そうだ、質問を変える必要がある。考えろ、落ち着いてよく考えるんだ。

「なあ、彼女は『しまった』んだよな?だったら、彼女がしまったイヤなことを買う、というのはできるのか?」

「ほう、良いところに目をつけられましたね。先ほどのお客さんは質に入れていきましたので、それは可能です」

「買わせてくれ。今すぐ」

「わかりました。ただ、もちろんお代はいただきます。それにしても……いや」

「なんだ?言いたいことがあるなら言えよ」

「いえ、お客さんもモノ好きだなあと思いまして。せっかくイヤな思い出から逃れられたのに、わざわざ好き好んで他人の分を背負うなんて。まったく、面白いです。ああ、これは失礼」

     店主が心から可笑しそうに笑っている。俺は黙って拘束椅子に座った。

 

     かつて望んだことと真逆の目的で、俺は目を閉じる。いったい俺は彼女の苦しみを知って、それでどうするというのだろう。俺は主人公にはなれないかもしれない、それでもいい。秘密を共有できるのは今夜だけで、明日の朝になって彼女が苦しみを忘れたとしても、俺だけはずっと覚えていたいと思った。でも、ひょっとしたら。迷いだらけだったが、それを打ち消すように人形を握りしめた。

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「しまっちゃおうね?/片付け/ノルニル」への3件のフィードバック

  1. 気になるひとの自分だけしか知らないことって、なんかゾクゾクしますよね。
    自分では決して思い出せない、というところに伏線を感じてしまったのですが。。。

    続き物として見ればあれこれ想像ができそうな文章でした。

  2. 題名のイメージとはかけ離れた不気味な文章だったなあ、と。
    嫌な記憶を「しまった」あとにもう少し劇的な変化があると、もっとおもしろく読めたんじゃないかなと思います。
    宮辻さんの視点ver.もあれば読みたいです。

  3. しまったものなのに自分では決して探せないものになってしまうのは怖いし意味深なものにも取ってしまいます。
    忘れるという行為を、敢えて店主がしまうと表現するのにも何が意味があるのですか?
    宮辻さんのお話も気になりました。続きを希望したい。

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