【冬休みの課題】秋学期WS課題⑩ 共同制作

年明け1/12のWS、課題は「共同制作」。

・「2人でしかできない共同作業」をテーマに選ぶこと(例:シーソー、結婚、etc)

・互いに添削してもいいし、協力してひとつ作ってもOK。相方とよく話し合うこと

・提出期限は1/11(水)のお昼12時。グループに関しては要検討

以上です。みなさんよいお年をお迎えください。

こういうのにかぎって/自分大好き/なご

いままで散々自分語りしかしてこなかった私であるが、こういうテーマに限ってなにも思いつかないし書く気も起きない。これまで書いてきた文章を読めば私が自分大好きということは嫌というほどわかるので、わざわざテーマにされたら何も書けないということが判明してちょっと面白くなってしまった。

これもすべて私自身の力量不足であるし、なんなら日本語もおかしい。秋学期に入ってからの無気力状態を何とかしたいものである。そもそも高校3年生、要は受験生になったあたりから無気力が続いている気がする。自分が無気力でも周りに迷惑がかからないと思ってはいるが、現にスタジオの課題は遅れて迷惑だし、ゼミにも迷惑をかけてしまっている。

あぁ消えてしまいたい。

自殺願望ないわけじゃないけど結局しねてないという事実があるから本当に我が身が可愛くてしょうがないんだろうなと思う。でもちょっと客観的に考えてみると、自分のことを好きってかなり自信が無いと言えないことの様な気がする。最初に自分で言っといてなんだって話だけど確固たる根拠みたいなものが存在しないよね、自分大好きって。だから人って誰かを好きになるし、誰かに好きになってもらいたいだと思う。

そろそろ読めてきた頃だと思うので今回の話のオチ。あの子に好きになってもらえたら、自分も自分を愛せるのかな。

「私」がゲシュタルト崩壊して何言いたいのかわからないですね。ハイ。

低温な/自分大好き/ねおき

 

「無気力そうだよね」

 

って大学に入ってからよく言われるようになった。悪いとこ指摘されてるようにしか聞こえないけど、たしかに自分でも分かる。みんなが談笑してるなかでひとり真顔でスンってしてるときとか、眠そうにだらーんて歩いてたりするところを見られてるんだと思う。基本のテンションも低いし。でも、別に気力が無いわけではないのです。たとえパンケーキ食べた感想が棒読みだとしても、心では感動で元気に踊り狂っている。もっと指先まで神経を行き渡らせたいと思ってるし、猫背も治したい。各方面へやる気しかないね。

 

でもそれとは反対に、治そうと行動する気がまったくない私もいる。無気力そうにしてるほうが、相手もコミュニケーションをとろうとか気張らなくていいんじゃないか。隣の人間の温度が低いんなら無理して上げる必要はない。楽だろうな。私としても、人といるときの態度に困って無気力そうにしてるときがよくあるから、それならちゃんと対策できている。なんだかんだ都合がいい。気の赴くままに感が出て、気持ちに余裕があるという錯覚もできる。

無気力なところが好きだよって言ってくれる友達もいる。変わってるなあ。でも嬉しい、素直に嬉しい。やっぱこんな自分が好き、このままでいいのかなんて思ってしまう。ちなみにこういう風にすぐ調子に乗る自分も分かりやすすぎて嫌いじゃない。

 

アイデンティティにまでなりそうな私の特徴を出したつもりだけど、これはたぶん捻り出した後付けのようなものでしかなくて、結局はわけもなく自分が大好きだって思ってるんだ。でも素直に大好きだとは言い切りたくない自分もいて、その葛藤のうちに迷走してしまう。私には私しかいないわけだし、向き合って嫌いなとこばっか見ないで、こんな私をもっと愛して生きよう。

 

私とランドセル/自分大好き/どみの

優しいよね
真面目だよね
いい子だよね

いろんな言葉を今までに言われ、家族や先生はエピソードを交えて私を褒めてくれる。

みんなに親切で、物を大事にして、人に感謝を忘れないそんないい子のレッテルは私は嫌いではないし、そう見られるようになんとか取り繕っている。
もっと言うと、実際にはそんなに真面目じゃないし、賢いわけでもない。結局楽したいというのがいつも常に心の中にあって、自分に非常に甘く生きているのが現状だ。

今までにそれなりに生きてきた中で、私の人柄を表すと言っても過言ではない、親が時々話題にあげるエピソードがある。それは、他人にとっては私を最大限に褒めてくれようとしている、そんなエピソード。

みんなが平等に1つは持っている、持っていたランドセル。赤黒だけではなく、カーラーバリエーションも増え、天使だとかキラキラチャームだとか様々な種類も発売されている今、ハリウッドのファッションでも注目され始めているという。そんな日本特有の小学生の象徴であるランドセルを15年ほど前、小学校には入る時、私はお姉ちゃんのお下がりを使い始めた。これ本当の話。もちろん、ランドセルが買えないぐらい貧乏だったとかではなく、その当時の私は新しいのではなくお姉ちゃんのがいいと言い張ったそうだ。そして6年間それを使い続けた。ここでつけ足したいのが姉が10歳ほど離れているということ、ランドセルの保存状態が悪く、綺麗なドーム型ではなく潰れた形だったということ。そんな不恰好なランドセルを6年間大切に使い続けた。この話は素敵な美談となる、私が姉を大切にし、物を大切にする話である。

しかしこれが私が私として誇らしい話と言いたいところだがそれは正しくない。その話が上がるたびに苦い思い出が駆け巡り、自分から決して話をしたくないものとなっているのが現状である。今も息苦しい。新しいものに変えたいと思ったこともあるし、でも中途半端な時期にピカピカのランドセルを使い始める方が違和感があると毎回思いとどまった。変な意地とプライドと、それを守るためだけに6年間使い続けた思い出は決していい思い出なんかではない。
なぜあの時新しいものを買ってもらわなかったのか、いろいろ、「たられば」だけが駆け巡り、今も思い出すと原因不明の涙が出るときもある。

このエピソードが自分の中でうまく消化され、自己アピールポイントにつながればいいが、当分は難しそうである。

冷静さ/自分大好き/猫背脱却物語

 他人を観察するのが好きだ。どんなことを言いがちなのか、どんな身振りが出るのか、そんんなことを見ていると自然とそれを通してその人がどういう考えで何を言いそうかまでわかる。気がする。ものまね芸人が御本人の入ったことのない言葉までそれらしく真似できるのに近いのかもしれない。

 あと、人より自分との距離が遠い気がする。自分のことが好きなんだけれど、どこか別の立場から、それこそ他人を見るかのようにしか自分の立場やふるまい言葉を理解できなかったりする。それは言っちゃダメだろうと思ったら黙ったり、逆に言わなきゃダメだと思ったから言ってやったり。

 こんな性分をまとめ上げると、つまり私はすごく自分のことを冷静に見ることができるのである。感情的になっているように見えても、ここがおさえどころだってところをわきまえているから、おそらく客観的に見て収まりがいい。大人っぽいとか冷静とか、しっかりしてるって言われがちである。えっへん。

 ただその分、とにかく自分を見ていることが多い。自意識が強い。今の自分はどう見られてんだ、こういう時にはどこまで振舞って大丈夫かと、監視カメラのように私が私を見ている。それってつまり自分が大好きなんだけど、それだからこそ、例えば悩んでる時とかに自分を甘やかすことができない。悩む私は素敵じゃないことが何となくわかる。でもって、そこから抜け出せない自分もわかる。その両者の中、甘やかしたい自分より、こうあった方がもっと素敵だよと言って、頑張らせてしまう自分が強かったりする。今までそうやって、飄々と切り抜けてきたつもりだ。

 でもなんか、最近はその頑張りに限界がきたらどうしようと気になったりする。老後の心配みたいである。遠い先かも分からなければ、明日なのかもしれない。いっそ鬼よ笑ってくれ。

 誰より自分が自分に甘くなければ。自分を大切にしているとは言えない。自分で勝手に叱咤激励して、自分がそれで苦しんで、寿命が縮んでたらどうする。長期的で計画的な殺人になりかねない。犯人は俺。

 自分が大好きだ。だからこそ、色々な自分を愛さないといけない。弱い時に寄り添ってくれるのも、時に叱咤激励してくれるのも自分。人のことを一面的に見ちゃいけないように、自分だって色んな視点から見てなんなきゃダメだと思う。だから、長所である冷静さゆえに悩む自分に厳しくできるけど、あえて甘くもしてみたい。よくよく考えたら、運動部に入ってないから、忍耐とか精神力みたいなものは備わっていない。

 それでもここまでブワーッとやってのけてきたけど、まあ一つギアを落とす事も覚えなきゃならぬかもしれない。お腹がへったら外食をして、歩き疲れたらタクシーに乗る。行きたくなければブッチでもする。そんな緩さを持とうかしら。このWSを、インターンで休んでしまうあたり、皮肉なもんなのだけれど。
 

死にたい/自分大好き/ヒロ

自分は好きじゃない。むしろ嫌いだ。
いつも自分の行動にはうんざりさせさせられるし、腹が立つことも多い。こんなやつに生きてる価値なんてあるのかとはよく考えることだ。
でも結局はそんな自分を直すこともせず、嫌いな行動を取り続けている。
もしかしたらそれはそんな自分を好きなのからかもしれない。

なんてことしか自分大好きと言われても思いつかない。
正直辛い。やっぱり私は自分が嫌いだ。

WS共同制作 タッグ決め

とりあえず学年違いで編成しました。男女比などは考えていません。

以下、タッグ一覧:

 

ちきん - waku
どみの – YDK
フチ子 – きりん
エーオー – θn
なご – ほのほ
猫背脱却物語 – ととのえ
峠野颯太 – ふとん
三水 – 露子
なべしま – リョウコ
五目いなり – 生野菜
ばたこ – T
オレオ – 縦槍ごめんね
仄塵 – いせ
ノルニル – rascal
mdegonth – ねおき
ネズミ – 杏仁
JBoy – ピエロ
Gioru – 印度
温帯魚 – 竹
さくら – 奴川
みくじ – 味噌の
ヒロ – やきさば – あおいろ

 

さくら

ありがち/自分大好き/YDK

あるところに、1人の女の子がいました。周りの人からとても好かれていて、将来を期待されていました。ただ彼女には1つ問題がありました、

それは、自分のことを好きではないということです。

周りからどれだけ好かれても期待されても、自分が自分を認められないせいで、自分を認める他人のことを認めることができないでいました。しかし本人は他人のことを好きだと言います。それは他人のことが好きなのではなくて、自分のことよりは好き、というだけなのに。そのせいかはわかりませんが、彼女は自分のことを大切にすることができません。イライラしても心を病んでもその矛先は自分へと向かいます。物を壊したり大声を出したりするのではなく、腕を切ったり髪を毟ったりしてしまうのでした。

そんな彼女は不思議な授業を履修しています。毎週決まったテーマに沿ってある程度の文字数の文章を書き、みんなに批評してもらう、という授業です。テーマは様々だけど、彼女は基本的に自分のことしか書けないので、事実をぱたぱたと織り交ぜながら文を綴るのでした。嘘をつけない彼女のことですから、やっぱり病みがちな文章になります。周りの評価にはあんまり興味がないので、なにを言われても気にしません。書きたいことを書いているだけみたいです。

暇なとき、ふいに自分が過去に書いた文章を読み返すことがありました。本当になんとなく。高校生の頃も、自分が毎年書いていた遺書やちょっとした愚痴を書いたメモとかを見直していたらしいです。どうしてなのでしょう。自分のことを嫌いな人間が、他人のことを好きな人間が、どうして過去の自分の行いを振り返ることをするのでしょうか。

それはきっと、自分のことを嫌いな自分を誰よりも愛しているからでした。

自分のことを嫌いでいれば、何かあった時も冷めた顔でやり過ごすことができる。失敗しても、こんなものか、と。自分への期待値も欲望もないから、他人からの要求には過剰に答えてしまう。他人の評価が、自分の評価に直結してしまう。自分を評価できるのは自分だけだというのに。自分のやりたいことと他人が自分に求めることが同じになってしまう。他人のために働くことが自分のやりたいことだと勘違いしてしまう。

いや、ちがう。

勘違いなんかしていない。とうの昔に、他人に応えることが自分のしたいことなわけではないなんて気づいていた。でも自分が嫌いだから自分のしたいこともするべきこともわからない。それにわからないと言っていれば、人生のぬるま湯に浸っていられる。わからないんじゃなくてわかろうとしないだけのくせに。

自分を嫌いな自分を好きな自分を嫌いで好きで嫌いで大好き。物分かりの悪い人間になりたかった。

自分の好きなもののことが大好きな/自分大好き/露子

わたし、自分のこと、相対的にはあんま好きじゃないし自信ない!(石原さとみに生まれたかったし佐々木希に生まれたかったし、荒木飛呂彦にもなりたかった)

けど、自分の好きなもののことはしゅきしゅきだいしゅき~~~!!それらを選んだ自分のこともしゅきしゅきだいしゅき~~~!!!優勝!!!!!人生に勝った!!!!!て感じなので、「自分の好きなもののことが大好きな自分大好き」な文を書いていきます!


実家の本棚の奥の方に眠っていた、竹宮惠子先生の『風と木の詩』を発掘し夜通し読み耽って以来、私の心は昭和少女まんがの情熱溢れる物語表現にすっかり魅了されてしまっているんですわ。

母が少女時代から大切にとっておいた池田理代子作品、少女漫画の神様である萩尾望都作品、竹宮惠子の他の作品…お金が許す限り集めて読んでいる(まだまだ全然足りない)んだけど、読むたびに自分の中で新しい感覚器官が開発されているような気がする…とにかくみんな違ってみんな良い。

絵ももちろん美しくて怖くてすごいんだけど、なんてったって台詞がすごいんだよな。

憎しみで人が殺せたら!

ーーージルベール『風と木の詩』

私だけを一生涯愛しぬくと誓うか!

ーーーオスカル『ベルサイユのばら』

いやア、強烈!でもこんな、熱量の高すぎる、日常生活では絶対に口にすることのないような言葉に、その物語に没頭していると共感できるというかまるで自分の言葉かのように感じちゃうんだよなあ!あ〜〜〜!!!

一つ一つについて語っていたらキリがないので、三原順という漫画家の紹介に残りの文字数を捧げます。

1995年に42歳の若さで亡くなった、70年代から少女漫画界で活動していた漫画家さんです。代表作は『はみだしっ子』『Sons』など。

この人の特徴としては、まず文字の密度がハンパない、そして言ってることの重さもハンパない、絵もやたらと濃い。

2015年に行われた「三原順復活祭」のポスターに使われた『Sons』の一コマ。

愛とか優しさといったプラスのイメージで受け取られているものを疑い、その裏にある人のエゴや弱さの気持ち悪さから目を逸らさない。

徹底的に理性的に生きようとするんだけど、そうすることで殺した感情が余計増幅してしまう…こういったフラストレーションがしつこいほど丁寧に描かれています。

Twitterで紹介され、3.9万リツイートされた『はみだしっ子』の一コマ。平等とゎ。。。

社会の矛盾や理不尽を鋭い視点から批判する作品も多くあります。『Die Energie 5.2☆11.8』という、1982年に発表された原子力発電に伴う環境問題を話の軸においた作品は3.11後に再発見され、原発に対する三原順の先見の明が評価されたりしました。

どの作品もあまりにも文字が多くて話も重いので、読んでてほんとめんどくさくなります。漫画でここまで人のめんどくさを表現できるんだ…て感じです。だからこそ、どの作品も不完全燃焼で終わってる感は否めない。でも、明らかに、世の中の他の漫画作品が到達していないところに三原順作品は到達していると私は思います!私は思います!!

勧めたいけど勧めたくない!誰かに読んで欲しいけど自分だけのものにしておきたい!ううー!!と相反する気持ちが共存しておりますが、やっぱり誰かとこの感動を共有してみたいので、万が一興味をお持ちになった方がいらっしゃいましたら話しかけてくださいませ…たぶん超はしゃぎますので……

 

こういうのって恥ずかしいでしょ!/自分大好き/峠野颯太

え、自分語りをして欲しいと。
マジかー。そういうの、ちょっと照れません?
え、課題だから仕方ないって?やだなあ、課題、なんて建前なんでしょ?本当はあたしのこと知りたくてたまらんくせに。
…ハイハイ。すいませんね。所詮戯言ですよーだ。

何から話したらいいん?生まれた瞬間?えー!記憶ないんだよなー!
…ごめんって、突っ込むのめんどくさいとか言わんといて。ちゃんと話すで。

昔からこんな感じですよ。ええ。マジマジ。あたしが嘘ついたことある?……ありますよ。
あーでも、小学校低学年までは大人しかったんよね。それもマジ。なんつーの、人見知り今より激しくて、全然友達に話せんかったんだわ。だから、大人しい子っつーレッテル貼られててさあ。通知表にも「先生とばかり話さないで、お友達とも話せるといいですね」みたいなこと毎回書かれてて。そんなんだからちょっとした虐めにもあったよ。オイオイ!やめろやめろ、哀れむな!ネタ的消費をしてくれ!そんなつもりで話してねえから!

だけど、まあ一人の友人との出会いで、今の路線に入ったというか、明るく生きるようになって。だから、正直言ったらあたし根暗だからね?スタートがそこだから、根本的なところではやっぱり暗いんすよ。人混み好きじゃないし、派手な人は苦手だし。インドア派だし、お洒落にもそんなに関心ないし。
それでも、皆に好かれたいっていうまあ不可能に近い欲望の元ここまで生きてきました。
人間ね、嫌われるより好かれた方がいいと思うの。なんかよくさあ、「嫌われても別に気にしない」的な、お前厨二病卒業できなかったの?みたいなやつちらほらいるけど、いやいや意地はるのやめなー、って感じしいへん?嫌われて嬉しい奴なんておらんやろ。好意を持たれるあるいは無関心の方がいい、って人の方が大半だと思うんだけど。

性格のことしか話せてないけど大丈夫?
もうちょい話すとしたらそうだなあ、あたしは、唯一無二の存在になりたいっていう、お前こそ厨二病じゃねえかって言われそうな信念のもと生きてる感じはあるかなあ。あたしみたいな人に初めて会った、って思われるように努めてる。それだと、忘れられないでしょ?あたしはなんとなくでいいから、あたしの存在を覚えていて欲しいなって思うの。忘れられるほど悲しいことってないと思う。別にあたしの好きなものとか、誕生日とか、そんな具体的なことは覚えてなくていい。あたしの存在を、峠野颯太っていたなあ、あんな奴だったっけなあ、みたいな、何かのきっかけでふんわり思い出してくれると嬉しいなって。
だから、語弊があるかもしれないけど、決して個性的になりたいわけではなくて、他には類を見ないような破壊力のある人間になれるようにしてる。

もうこんなもんでいい?
すごい恥ずかしくなってきた!黒歴史かよ!
うん!今書いたことをね、なんとなく自分の中で実感できる時ってのは、たまんないほど快感なんですわ。やっぱりあたしすげえんじゃねえ?ただの人間じゃないんじゃない?とかね、思ったりもするわけです!皆そう思う時はあると思うけど、あたしはこんな感じですかね!ハイ!もういいかな!ハイ解散!!!さよなら!!

あ、最後に言っとくけど!この話はオフレコだからね…!!!!