闘いの火蓋は突然に/夢の対決/ばたこ

それは足音一つ立てずにやって来た。

深夜、誰もいない部屋で、一人ミルクティーをすする。至福の一時だ。誰にも邪魔される事などなく、優雅に浅いまどろみに漂う。永遠にこんな時間が続けば良い。永遠なんて言葉が儚い事は知っていても、今だけは信じていたいなんて、そんな、淡い夢うつつをジャズなんぞと共に満喫していた。

刹那、それは訪れた。うっ、と多少の呻き声を漏らし、直前まで握っていたマグなどには目もくれず個室に駆け込む。理由を考えたが、思い当たる節はただの一つもない。思考に反し、全くもって理不尽に、胃の表と裏とがひっくり返される。先ほどまで優雅にまどろみを与えていたミルクティーは、いたずらにこの身を傷付ける害悪と成り果てていた。

気付けば突き刺すような悪寒。身体を小刻みに震わせど、それは離れてはくれない。いつ?どこで?膨れ上がる疑問をよそに、身体はその震えを増していく。このままではいけないと、咄嗟にガスコンロを取りに行き個室にて火を点した。

暖をとり、束の間の休息を得る。が、次がやって来た。ただ一つの痛みも予兆もなく、今度は腸から物が逃げていこうとする。すんでのところでそれを制止し、体勢を変える。間に合った。抑えていた衝動を開け放ち、流れに身を委ねる。電車でふとした時に訪れることなど、こいつは元来気まぐれなのだ。だが今回はお遊びが過ぎる。どんなに酷く調子を崩したとはいえ、痛みの一つもなくやってくるのは筋が違う。しかもほとんど液体。これでは何が起きたのか、判別さえつけることが出来ない。

リビングに戻ればジャズが聞こえた。先ほどまでは優雅に流れていたそれは、今ではその姿を変え、けたたましくこの身を震わす。音楽を止めようとすれば次の波がやってきて、コンロで酸欠になった個室へ駆け戻る。この繰り返しの中で、とうに脳は理解を諦めていた。理解なんざ溝に捨てちまえ。いつか聞いた台詞が頭をよぎる。

上と下から水分を吸いとられ、口の中が渇ききっている事に気付く。兎に角身体を潤さねばと口に含むが、それは間もなく入ってきたときと同じ道を通り身体から逃げていく。気が狂いそうだった。こんな苦しみが続くのであれば、命などは惜しくない。嘘も冗談もなく、そう考えていた。

四時間ほどこれを繰り返し、ようやっと眠個室とリビングの往復から抜け出し布団に入った。暖房を最大火力で焚いても悪寒は止むことが無かったが、寝ていなければ渇きに耐えられそうも無かった。胃が下へ下へと下っていき、腸が上へ上へと上っていく感覚。その衝突が睡眠を阻害する。精神が磨耗し、限界を感じた時、いつの間にか眠りに入れていた。

目を覚ませば症状は大分収まっていた。なんとか水分を口に含んでも戻さずに済んだ。鏡の前に立ち、自分の顔を眺める。身体中から水分が取り除かれた上に暖房にやられ、肌は幾らか剥げ落ちていた。

最悪の瞬間は突如訪れる。それに向けて準備を整えることは、不可欠だろう。この文を読んだ皆には是非忘れないで頂きたい。

ノロウイルスの恐ろしさを。

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「闘いの火蓋は突然に/夢の対決/ばたこ」への2件のフィードバック

  1. 絶対かかりたくないと思わせる文章力が圧巻です。夢は夢でも悪夢ですね。どうぞお大事に。

  2. うわあ大変ですね…突然感がすごく出ていました。そんなにいきなりくるものなんですね。お大事にしてください。

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