Tu es mon soleil/あったかい/ノルニル

 

     鼻から2回吸い、口から2回吐く。規則正しく呼吸を繋ぎながら、リズミカルに足を交互に前へと運ぶ。
     足裏に伝わるタータントラックの感覚が心地いい。手元の時計を見て、ペースを即座に計算。ここまでキロ3分越え。いい調子だ。

     ラインを越えた瞬間にスプリットボタンを押す。「有瀧ファイットーゥ!」誰かの声援が聞こえた。これで3400、残るは1600。ゴールライン脇に示されたラップ数と照らし合わせて確認。よし、大丈夫。
     そろそろペース上げるか。そう思って意識を戻すと、さっきまですぐそこで聞こえていたはずの息が、止んでいた。
     自然と視線が下を向く。目に映るのは自分の両脚ばかり。予感はしていたのだ。俺は、隣を見れなかった。ましてや、振り返るなんて決して。

 

 

 

     河川敷の風が音を立てて容赦なく吹き付ける。身を切るような向かい風に、指先の感覚はすでに消えた。手袋を通しても、12月の冷気は末梢を冷やすには十分だった。
     首を触って感覚を取り戻そうとしても、それが使えるのは最初のうちだけ。どうやら身体じゅうから体温が奪われたらしい。よく物語なんかでは「生きているからあったかいんだね」とかいうけど、現実は死ぬほどつめたい。水分を失って粘り気を含んだつばを道端へ吐き捨てると、アスファルトに黒く小さな染みが広がった。

     上流側へジョグで片道8km、往復で16km。長丁場のメニューを終え、クーリングダウンを兼ねて小走りでグランドへと戻る。
     すっかり冷えきって動かない両腕を、水道の水で無理やり刺激する。蛇口から出るのは氷水みたいな温度のはずなのに、今はまるでお湯みたいに思えて、あたたかかった。

     その日、西原が列から落ちた。あいつはペースメーカーを任されていて、今まで一度もメニューを破ったことがなかったから意外だった。
     原因を聞くと、貧血らしい。鉄分補給にいい、といってササミを取り入れた献立を教えてくれた時の笑顔が思い浮かぶ。加えて、持病の喘息がぶり返したと聞いた。

 

「地区予選の出場枠、5000mは西原と有瀧」

     グランドでの試走を終え、アイシングの合間に顧問の中重先生がメンバーを伝えにやってきた。いくらタイムが良くても、西原の他にも総体の出場歴があるやつはいるのに、自分が選ばれた理由がわからなかった。今年はインターハイにも力を入れていく、先日のミーティングでそう言われたばかりだった。

 

 

 

     そろそろ第4コーナーにさしかかる。ラスト一周、つまりあと400メートル。走っていると、全力だとなおさら、とりとめもないことを考える。足はそれでも先へ先へ、途切れず進む。

 

「有瀧、やっぱお前すごいよ」

 

     あの日、西原がぽつりとつぶやいた言葉が追いかけてくる。

 

「オレなんかさ、中学からやってるけどダメだ。才能がないんだろうな」

 

     そうじゃない。やめろ、そんなこと言わないでくれ。お前の方がずっとすごいよ。伝えたかった言葉はしかし、喉元で引っかかる。

 

     突然、後ろから猛烈な足音。荒い息遣いとともに、一気に追い越される。まさかラストスパート?いや、自分たちが先頭集団のはずだ。だから少なくともあと一周残っているはずで、でも離されまいと食らいつくと、西原だった。あいつ、まだ二周残っているはず、これじゃこの周回は良くても絶対ゴールまでに倒れてしまう。そう思ってふと気づいた。あいつは俺のために全力で走っているのかもしれない。このラスト一周オレについてこいと、そういっているのかもしれない。

     いま、俺たちは誰よりも先を走っていた。西原は黙って、風を掻き分けて進む。ああそうだよ、俺はいつもお前の背中を追いかけていた。お前はいつでも格好良かった。そして今も、お前は自分のタイムを投げ捨ててさえ、俺を導いてくれる。たとえ一緒にフィニッシュを切れなくても、今だけは二人で走っていたいと思った。この時間が永遠であればいいと、そう願った。

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「Tu es mon soleil/あったかい/ノルニル」への3件のフィードバック

  1. 描写が細かくて、特に走っている時の疾走感のようなものがうまく表現されているなと思いました。
    批判でもなんでもないんですけど、最後の部分ってきっと日本人にしかわからない感覚なんだろうなという所見です。自己犠牲のモチーフと言ったら大袈裟かもしれないけど……。扱いが難しいですね。

  2. 青春だ!というのが第一印象でした。スポーツをほとんどやったことがない身からすると、この種類のあたたかさはメチャクチャ眩しく見えます。かっこいいなあ。

  3. 硬い文体とシンプルな台詞という采配、バランスがちょうどいいと思いました。部活動は、きれいごとでない、誰かのためにが得られる場所だなと。
    内容が専門的なので、ここまで書いたら分かる・分からないの境目を探るのが難しそうですね。

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