さよならソリチュード/自分大好き/ノルニル

     久しぶりに顔を合わせた友達に最近どう、と聞くと留年するかも、と相談された。

「学校あんまり行ってなかった?でも君とよく会ったけど」
「いや、3年間ほとんど行ってなかった。お前とは本当によく会うほう」
「あー。僕、結構いろんな人と『よく会うほう』なんだよね」

 

     学校はほとんど毎日顔出してるからわかるとして、出先で知ってるひとに会う。それも尋常じゃない頻度で。おそらく、人としてずっと「幸運」の方にあたる。
     例えば川崎で映画を観た帰り道、三渓園に紅葉を撮りに行ったり、全休の日に図書館に寄ったとき、友達や先輩後輩が一人でいるのを見つけて声をかけるし、時には相手から見つけてもらう。

     それが起こるのは、大概はヒマな休日。結果、何も約束しなくても、知り合いを見ない日というのがない。
     横浜を中心とした生活圏が近いから、と言われればそれまでだけど、それでも他人と比べると遭遇率が高すぎる。

     たぶん、実のところみんなお互いに気付かなくてもすれ違ってはいるのだろう。自分はそこで、気付きやすいし気付かれやすいのだと思う。
     大勢のなかから知り合いを見つけ出すために使われる、アイコンが何なのか気になった。「この人だ」と見分けるために、何が目印になるのか。

     記憶を辿ると、自分の場合は持ち物なのかもしれなかった。目に突き刺さるカバンの色や、変わったかたちの帽子に、丈の長いコート。
     そんな、誰かにとって大切なものたちが視界の端にひっかかって、目が離せなくなる。知らない人だらけの街で、自分が相手を知っていて、相手も自分を知っている。それがうれしくて、思い切って声をかけてみる。

 

     留年する、と言ってきた友達とさよならして、そのあと連絡が届いた。

「一緒に話せて、なんか救われたわ。ありがとう」

     正直驚いた。僕は救ったつもりも感謝されるいわれもない、と一瞬引こうとした。すこし考えて、そう返すのをやめた。
     「救う」行為は存在しない。人は勝手に救われるものだ。人を助けるのにもその人の協力がいるし、結局は一人で「助かる」しかない。ただ、相手が助けられた、救われたと感じたのであれば、それを否定する必要はないのだろうと思った。

 

     この件に限らず、だいたいいつもそうだ。「傷つけた」「困らせた」「迷惑をかけた」そう勝手に自分で思い込んで、自己完結して行動する。相手が実際にどう思っているかが一番大切なのに、ひとりで先回りして悪いように考えていた。お前は何様のつもりだと言いたくなる。
     「だって自分が悪いから」、そうして片付けることは、逃げないふりをして目を背けることだ。結局自分が一番可愛いかっただけだ、他人にちゃんと目を向けることもせずに。

 

     そんな自己嫌悪と自己憐憫にはまっているとき、助けてくれるのはいつも、見知った人たちだ。気持ちが沈んだまま買ったものをレジ袋につめていると、ふと見上げて先輩のほっとするような笑顔がある。息が詰まって出かけた先で、懐かしい顔に出会って、顔から険がとれていたことに気がつく。

 

     でも、この幸運は自分がそれなりに人付き合いをしてきた結果だとも言えて、もう一人で戦わなくてもいいよと、そう言われた気がした。数学のベン図みたいに、自分の好きな人たちと自分の重なる領域を増やしていけば、僕もいつか自分のことを素直に好きになれるだろうか。もっとちゃんと人と関わってみるよ、うれしかったその言葉を、深くふかく、胸に刻みこむようにそっとささやいた。

 

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「さよならソリチュード/自分大好き/ノルニル」への3件のフィードバック

  1. 出会いを救いだと思えることも一つの才能だなと思います。
    合間の持ち物アイコンの話、よくわかるのですが流れ的には蛇足かもと。
    自分の飲み込みが浅いからなのですが、「この件に限らず~」の前後の段落の繋がりがわかりにくかったので、お話できたらと思います。

  2. ノルニルさんがこういう少し自分に触れた文章を書いているのが新鮮でした。でももっと深い芯の部分があるのではと疑ってしまうような文章はやっぱりノルニルさんらしいです。自分のことをつらつらと書いているのにつかみどころがない感じがもどかしくもあり、良くもあります。文章なんてそんなものなのかもしれませんが。

  3. 万が一自分が知り合いを学外で見かけたとしても相手からの明確なアイコンタクトと「おっ」という表情が返ってこない限り声をかけるのは至難の業だと思った。それでも積極的に話しかけられるっていうのは堤らしいと思ったし、素直に凄いと思う。誰とも親しく出来るというのも一種の才能ですな。あと、ポエミー具合がわりと絶妙だった。

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