絶対的/自分大好き/ばたこ

自分が好きだ。「~だけど、それでも何だかんだ好き」とかそんなレベルじゃない。一点の曇りなく、清々しいまでに自分が大好きなのだ。ただ、ここに不思議なことがある。

まず第一にして最大の不思議は、この自己愛に理由が無いことだ。確かに俺は頭がいい。その回転は驚くほど早いし、他人が1ヶ月考えて出す答えをものの数秒で出せる。中高は残念ながら大学にいる殆ど全ての人より遥かに上の所だろう。運動神経だって身体測定でAランクは頂いていた。

このように、良いところ、人より優れてるところは幾らでもあげられるが、自分と同じくらい頭の回る奴は何人も知ってるし、今人文に来てる以上自分の学歴がゴミほどの価値もないと理解してる。運動神経に至っては今何にも使っていない。

逆にコンプレックス位はある。どう考えても顔の骨格はおかしいし、肌は弱いし、食べてもガリガリ。性格は最悪で、人の気持ちが分からないから他人を無駄に傷つけることが多々ある。だが、これらのコンプレックスも全く自己評価にたいして影響を与えない。

つまり、俺の自己愛は決して自分の長所や短所に依存していない。なにか理由があるわけではなく、どこからわいているのか分からない自信がただ俺の頭のなかを満たしている。ただそれだけなのだ。

とすれば、この自己愛は他者に依存しているのだろうか?人と比べて優れている所を並べ上げて、優越感にひたり、そこから自己愛を育む。若しくは、他者からの評価を受け取りそれによって育まれる。

残念ながらこれも間違っているように思えてならない。まず俺は人と比べない。人の苦手なところと自分の優れたところを比べたところで醜いだけだ。人の優れたところと自分の劣った所を比べてなにが楽しい。他者と比べるのではなく、「俺スゲー」って一人で叫んでる方が遥かに楽しい。実際楽しい。

そして、俺は人から評価されない。まず評価の代表格であるGPAは未だに2.0を下回っているし、友達も少なければ彼女だって出来たことがない。人から受けとる評価がないのだから、それが自己愛を育むわけが無いだろう。

ここまで長々と話してきたのは、つまるところ何故これほどまで莫大な自己愛が形成されてしまったのか、とんと見当が付かないということだ。そしてつぎの疑問は、この自己愛が何故か生活を豊かにしているということである。

引き寄せの法則という言葉を聞いたことはあるだろうか。強い思いがそれ相応の結果を引き寄せるというあれだが、俺にはそれが働きすぎているように思える。普通これだけ奢り昂った人間は淘汰されて然るべきなのだが、その試しがない。もしかしたら今までそういうことは多々あったのかも知れないが、残念ながらそれさえも大して気にしていないのだろう。それに加えてゼロから産み出される理由なき自信。これのお陰か、自分が真に望んだものを俺は今まで逃したことがない。

俺は自分のことを絶対的楽観的ナルシシストと自称している。他者や理由に依存しないから絶対的、マイナス思考に落ち込むことがないから楽観的。そして、このような人間を俺はまだ他に見つけたためしがない。この生き方は素晴らしいと思っている。他人と比べることで落ち込む人や、他人からの評価を貰えず落ち込む人が、この世に(このスタジオにも)多く見られる気がする。そういったしがらみから1つ精神を繰り上げてみれば、楽しすぎる毎日が待っている。

0 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 50 votes, average: 0.00 out of 5 (0 投票, 平均点: 0.00,  総合点:0  |  
投票する為にはユーザ登録する必要があります。
Loading...

「絶対的/自分大好き/ばたこ」への5件のフィードバック

  1. 自分だけで何もかも完結できてしまうならなんと楽しいことでしょうか。ただ、「競う」楽しみ、みたいなものは無くなってしまいそうな気もしますが。また、それが辛くてマイナスになることもしょっちゅうですけど。
    思い込むことで案外うまくいくことって結構ありますよね。そうなろうと自分が勝手に変わっていくのかは定かではないにしても。常にそれをやってるのでしょうか。それができるなら、それはそれで楽しそうです。
    ここぞという時に使ってみようかと思います。常時は疲れそうです。

  2. 私も自分さえ満足できればそれでよくて、他者の評価は絶対になり得ないと思う質なので、こちらとしては割と共感ができる話であった。確かに誰の目も気にしないことは楽だし、幸せだから、その幸せを幸せと思えるうちは、その生き方を続けていくのが楽しいと思っている。けれど、常日頃から「友達がいない」という発言を聞いているからか、ちょっとだけ寂しい気がした。まあ、楽しいのなら友達がいなかろうがそれでいいのだろう。もう少し文章の中に他人の影があったら、読んでいて安心が出来そうだ。
    今日こないというのでいただいたコメントにここで返事をさせてもらうけど、私の人嫌いは嫌悪ではなく恐怖みたいなもので、人間の悪意とかに耐えきれないという感じの意味です。種としての人間は怖いので嫌いですけど、別に個人のことは嫌いじゃないので、よろしければ、仲良くしてやってくださいね。

  3. 最後の行の「そういったしがらみから一つ精神を繰り上げてしまえば、」という表現がとても腑に落ちました。
    悩みは悩めば堂々巡りなので八方塞がり。ならば魂のランクを一つ向上させてしまえばいいんだって私は思うので。
    まだまだその思考回路は実践中ではありますが。

  4. 悩まないことが全ての解決策だと私もいつも思っています。文章からあなたの普段の行動や言動がとても強く思い出されました。友達や彼女がいないのは、自覚なさってるように性格の悪さや自己愛を隠さないでいるからなのでしょう。いなくても、悩まなければ全く困る事はありません。だからそのままでいいと思います。
    いままでに逃したことのない、真に望んだものって、何だったのですか?彼女でも友達でも学歴でもない希望って何があるか、単純に気になりました。

    1. 友達は少ないだけでいますよ。よっともとか、授業を一緒に受けるそこそこの友達がいないだけです。僕の場合は、何かを作り上げること。演劇なり、高校までは文化祭なり。人に興味がないように映ってるようですが、それは全くもって否です。僕にとって自己愛の基準に他人が関与しないだけであって、僕にとって「自分」は、「僕自身とその手で触れられる人」のことです。その内側にいない人は全くもって興味ありませんが、その内側にいる人やその人と一緒に何かすることは大事な意味があります。普通ですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。