嫌いなもの/対談/ととのえ&猫背脱却物語

猫「何が嫌い?」
と「すぐ「鬱」とかいう言葉を使う人嫌い」
猫「結構いるけど、それまたなんで?」
と「そういう人ほど苦労してなそう」
猫「メンヘラ芸人化すれば結局そこに満足できるというか、しょうがないと言われるもんね。そういう話をWSでしてたら誰かに、こんなところでそんな大っぴらに言ってはダメだということを言われた」
と「あと化粧の濃い女の人が嫌い」
猫「俺も嫌いだけど」
と「かわいいと思ってやってるのかな。化粧の濃すぎる人とか」
猫「なんだろうね。芸能人とか、逆に大丈夫な人はいる?」
と「最近ならガッキーなんかは大丈夫」
猫「あー。ガッキー。あれ化粧してるのかな。」
と「常に自然体な感じだもんね」
猫「僕は田舎の静岡の高校だったから、大学入って「はっ」って思った。化粧に嫌悪感を感じるけど、あれなんでやってるんだろう」
と「まあ最低限はいいんですけど」
猫「でも、そういうことを誰かが言うのかもしれないけど、言われる奴に限って「別にあなたたちのために化粧しているわけではない」みたいなことを言うような気がする。何のために化粧するんだろう」
と「自己満?」
猫「そんな気はしないではないけど、自己満にしては外に顔が出るじゃん。だからそれを見せられるこっちの身にもなってくれってじゃないけど、気になるところではある。Snowもこれ何よってなる。」
と「女子同士ならいいと思うんだけど、わざわざ見せるものなのかな」
猫「発信している時点で、公共じゃないけど、SNSで見て「なんやねん」って思う。化粧のなれの果てだと思う。」
と「プリクラなんかもそうじゃないか。修正なんかすごい不自然だし」
猫「気持ち悪いよね。僕らに向いてないというのはわかっているんだけど、見えてしまう手前すごい嫌。あと夏場とか眼鏡をシャツの首のところに掛ける人いるけど、あれなんだと思う。」
と「そんなに深く考えたことないけど」
猫「まあ、そんなに大したことないことにいら立っているのもなかなかいないと思うんだけど。」
と「でもなんか細かいことにキレちゃったりしますよね。僕もなかなかキレない割にはどうでもいいところでキレちゃったりして。」
猫「紛れちゃうくらいどうでもいいことなんだけど、出てきたら出てきたで怒っちゃうんだよね。いらいらした時どうしてる?自制する?ほっとく?」
と「最近あまり感じなくなったんだけど、昔は自制していたつもり。顔に出てたりしてたかもしれないけど。」
猫「溜め込んでないで「これがありのままの私です」みたいな感じで素直に感情表現していたりするのを見てると、最終的に「私は私のままだからそれが世間が言うならメンヘラならメンヘラって言うの」みたいな感じになって、自称メンヘラ芸人が嫌いになるっていう話につながる。すぐメンヘラっぽいことを言う人にはどれくらいいらだちがあるの?具体的に何かあれば」
と「笑顔で、苦しんでいる様子もないのに言っている人はむかつく」
猫「余計ね、気丈にふるまっている私みたいなのでギャップを狙っているのかもしれないけど、気丈にふるまえてる時点で、じゃない。本当につらかったら来ないだろうし。結構そんな点では当たる節はあるけど。すぐみんな死にたいとか言うし。なんかちょっと自意識が過剰なだけだぞと言いたい。それでほんとに悩んで黙っている人のことをどう思ってるんだって感じではあるけど。」
と「割と自分は黙っているほうで、そう感じている」
猫「でもこういう場ですら言わない人もいるじゃん。今のととのえ君みたいに、出せる場所では小出しにでも出していくタイプの方が好きなんだけど、たまにいる、いつも黙っている人って何なんだろう。常にタイミング見計らっているけど言えない人がいる一方で、しれーっと「自分わかってる」みたいな雰囲気出して黙っている人いるけど、いやいや参加しろよって思っちゃう。でもそこで面と向かって言うのも体力使うもんね…」
と「言えないですよ。リスクもありますし。メンヘラ芸人であってもマジであっても受ける扱いは変わらない。それで周りからの評価、周りといざこざになったりしてしまうこともあるのでは」
猫「なるほど、それをやると、メンヘラ芸やっている人と同じ土俵に立っちゃうみたいなところあるね。そこでわざわざ出しゃばって、そいつらと同じ扱いになるのたまったもんじゃないよね。なんかなんだかんだみんな自分好きだろって思う」
〜少し議論が落ち着きまして〜
猫「いろんなものに気を遣いながら生きている気がするわ。小さいことから大きいことまで」
と「考え出すとなんでも止まらなくなりますからね」
猫「そういうタイプ?」
と「最近はマシになってきたけどそうだと思う」
猫「自分もそうかもしれない。考えておかないと気が済まなくなる。それがすごいこわい。時間の無駄って言ってしまえばそれまでだけど、そう思うと怖いよね。そういう時に自分でストップできる?」
と「深みにハマったら厳しいですね。そういうのをストップできる力を身に着けろってことですかね」
猫「でも理性強すぎる人ってそれはそれで幸せっぽく見えないじゃん。こうしなきゃ、とかで自分をストップできるのは。時々考えるんだけど、悩んじゃいけないと思って自分に言い聞かせてそういうの考えないようにしたほうが精神状態的に良いのか、それとも落ち着くまで考え抜くほうがいいのか、どっちなんだろうな」
と「でも悩んじゃいけないっていうのも真面目な風だから傾向的には似ているんじゃないか」
猫「ととのえ君はどういうタイプ?」
と「僕はなんも感じないというか、自然体のままで受け流せるのを目指している感じです」
猫「悩みがすっと消えていけばそれが一番理想的だよね。一晩寝てるくらいで全部どうでもよくなればいいんだけどね。」
と「でも最近悩みが少ないだけかも。本当にそれが悩みが重なっているときに効くのかどうか」
猫「それが重なっている時期って相当ヘビーな時期だよね。いろんなものが度重なって、一気に、全部投げ出したくなるタイプだから。その時になったらもうどうしようもない気もするよね。悩むことが多いね」

※コメント欄に対談後記あります

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「嫌いなもの/対談/ととのえ&猫背脱却物語」への2件のフィードバック

  1. 結局まとまりのない話だった気がする。少なくとも結論は出ていない。でも、いい気分になっている自分がいる。なぜだろうか。それは自分の話を聞いてもらったからだろう。自分のことや周りの人の嫌いなことについて話すのは、周りの印象を悪くする可能性をはらんだ、言わば諸刃の剣である。特に僕は、自己肯定感が低く臆病なため慎重になっていて、なかなか話ができなかった。
    その弱さを克服するため、これまでは、自分の能力を上げて人に追いつくことを主眼に置いてやってきた。しかし、それでは周囲に認められるまで心を充電することができない。でも今回色々話して思いのほか共感される部分もあり、冒頭でも述べた通り満たされたのも事実だ。自意識にとらわれない人は、形は違えどこのような「自分の楽しめる場所」を持っているのではないだろう(濃い化粧など周りに嫌悪感を与えうるものも含めて)。逆に、考えすぎるとそれが持てないようにも感じられる。それが今回の対談の落としどころなのかもしれない。
    (ととのえ)

  2. 好きなものに理由はないとよく言うけど、じゃあ嫌いなものには理由があるのか。あります。それならば。話し相手に嫌いなものの理由を話すことで、「よくわかんないけど好き!」なんかよりも遥かに分かりやすく話し手のことを理解できるかな、と思ってこのテーマにした。結果は予想通りで、自意識も他意識も過剰な二人は、いろんなことを気にしながら生きてるねえ、と思った。

    嫌いなものを少し冷めた目をして、これはああだから嫌いだなと考える時、教室の隅からクラス全体を俯瞰で眺めている気分を思い出す。自分が一番この世界を包括的に神の視点で見ているんだよ馬鹿どもがククク、みたいなちっちゃい全能感に浸っている感じ。そんな、
    自分が筋道を立てて考えて出した嫌いが少しでも共感されると、一人で考えていた時間さえ共感されているような気がして、やっぱどこか嬉しいのだ。嫌い嫌い言ってる人って、案外話してる内容が本当に嫌いなんじゃなくて、そうやって誰かに共感を求めてる可愛い(或いは可哀想な)人なのかもしれない。そう思うと、何かを嫌いと言う人も言われる人も聞く人も、そんなに気にしない方が良いのかもしれません。今回の話が刺さることあっても、あまり気にしないでくださいね。自意識過剰ですよ、やったね、お仲間ですね。
    (猫背脱却物語)

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