山の怪~函編~/プロット交換/なべしま&リョウコ

寂れたバス停の、蔦の絡みついた古いベンチに、女が一人、腰掛けていた。
太陽が、未だ昇る気配すら見せないような時分である。項垂れた稲穂の大群に囲まれ、バス停は、萎縮するように肩をすくめて、闇の中に息を潜めている。ベンチを囲うように立てられたトタンの板たちが軋む音、歯抜けの時刻表を照らす小さな白熱灯がジリジリと埃と羽虫とを焦がす音が、喧しく聞える。
しかし、女はと言えば、怯える様子もなく、じっと手元を見つめたままである。
チカチカと不規則に明滅する、何とも心もとない灯りに照らされた女の顔は、のっぺりとした白い紙のようで、何の情も読み取れない。
ただただ、手元の小さな檜の箱を、じいっと見つめるだけであった。

このままでは死んでしまうと、思い至った時には既に、わたくしは人間として死んでいたのかも知れません。
あの人が鬼籍に入って早数年、わたくしは甲斐甲斐しく家に通って下さるあの人の妹や、なんとか励まそうとあの手この手で私をあやしてくれるわたくしの母や、いろんな方に手を引かれ、なんとか今生にとどまっておりました。
いつかは忘れる、いつかはまた別のご縁があると、幾度も、幾人もの方々から言われましたけれども、あの人が死んだその瞬間から今まで、露ほどもあの人を忘れたことなどありません。
食事もする気が起きず、吸い物と漬物をいくつかつまむ程度で、わたくし腕は見る見るうちに事切れる前のあの人のように細くなってゆきました。
脳がうまく回らなっても、胸の内にはあの人との思い出が次から次へとやってきて、わたくしの心をかき乱してゆきます。
できるならば、あの人にもう一度会いたい。
そんなことを思うよになりました。
ある日、義妹が、とある山の中に、死者を蘇らせる能力を持った人間が居るらしいと、冗談交じりに母に話している声が、朝食の味噌の香りと共に襖の間からわたくしのもとへ漂って来ました。
これこそ天啓、直ぐに支度を整えて、わたくしは、北へ向かう電車へ飛び乗ったのです。

何本電車を乗り継いだでしょうか。
そこへ辿り着いたときには、太陽がすっかり山の向こうへ消えて、空には星が瞬いていました。
降り立ったバス停から数十分歩いた所にある、某山に入った頃には、既に十六夜の月が頭のすぐ上まできておりました。
白い月明かりが照らす獣道を、ただもう兎に角山頂へ向かって歩きます。枯れ木が手やら足やらのむき出しの皮膚を切り裂き、腐りかけの木の葉たちがわたくしの足を捕まえようと纏わりついてきます。
歩き続けているのに、身体の芯が酷く冷えていて、頬ばかりが熱くなりました。酷く心細い気持ちで、それでも歩を進めようとしたそのときでした。
突然、ぐらんぐらんと視界が揺れました。
炯々と鋭い光で此方をねめつけてくる天と、木の葉と虫の死骸の匂いがする地との境が分からなくなり、立っていられなくなりました。
気分が悪くなり、倒れ込んだはずなのに、身体が宙に浮いているような気がしました。
途方もない闇に放り出された感覚。恐ろしい筈なのに、何処か心地よさを覚える、薄気味悪い感覚。
そこで、私は気を失いました。最後にざあっと、風が頬を撫でました。

気がつくと、私は山の麓に倒れておりました。
まだぐらぐらと揺れる視界を落ち着けて、ゆっくりと起き上がり、地面に尻をつけたまま、辺りを見回します。辺りは身震いするほど静かで、生き物の気配はどこにもありませんでした。ただ、ここに一つ、乱れた女の呼吸があるだけです。
そこでふと、わたくしは、自分の腿の上に見覚えのない檜の箱があるのに気が付きました。
恐る恐る触れてみると、それは骰子のような形をしていて、掌に乗るくらいの小さなものでした。
そこでふと、声がしました。
自分自身の腹の底から、声がしました。
『其処にはね、其処にはね、男の魂が入ってるんだよ。だけどね、だけどね、魂の寄り処はもうこの世にないんだ。だからね、だからね、ぜったいに、開けてはいけないよ。何がおこるか、わからないから。あけては、いけないよ』
確かにわたくしの腹から出た声なのに、わたくしの声ではありませんでした。
男のような、老婆のような、恐ろしい声でした。
わたくしは、もう何も考えることができずに、ただただ、手の中の檜の箱をじいっと見つめました。

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「山の怪~函編~/プロット交換/なべしま&リョウコ」への2件のフィードバック

  1. 十割方私の目が悪いのですが、なんでこうなまめかしいのでしょう。色気のあるリョウコさんの文章×なべしまワールド、共作本当にありがとうございます。
    製作過程をぜひとも知りたいです。WSよろしくお願い申し上げます。

  2. 冒頭とそれ以後外の、語り口調というか視点人物が変わったことがちょっとだけ気になりました。

    この世のものでは無いものが登場し、薄暗いようなミステリアスな雰囲気が感じられて、共同制作の面白みを実感させていただきますました!

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