真剣勝負/共作/サラダ寿司

手加減無用/Side1/生野菜

祖父母の家が近所だったもので、昔はよく遊びに行っていた。家に行けば、おはじきやら、トランプやら、パズルやらで遊んでいたのだが、中でも私が好んでやっていたのは将棋だった。
将棋とはいえ、きちんとした対局ができるほど、まだ頭が出来上がってなかったもので、私がやっていたのは、はさみ将棋というやつだった。

両陣の端の筋に歩兵だけを並べて、自分の番が来たら駒を上下左右のいずれか一マスずつ動かす。それから、相手の駒を自分の駒で縦か横かで挟んだら、その相手の駒を取り去る。先に駒が無くなった方が負け、無くならなかった方が勝ちという、わりと単純なゲームだ。

私がはさみ将棋の対局を頼むのは決まって祖父の方。日頃、父や祖母なんかから、「じいちゃんは将棋強いんよ」なんて聞かされていたものだから、負けず嫌いな心が黙ってられなかった。

対局はなかなかいい勝負だった。
どちらも順調に駒を取っていき、どちらが勝つとも言えぬまま、勝負が続いていく。しかし、じわじわと戦局が変わってきた。祖父の駒が逃げ始めたのだ。待てい、捕まえてやる!と言わんばかりに私は駒を動かし、祖父を追い詰める。そこからは私のフィーバータイム。一方的に私が祖父を攻めて、祖父の駒を取っていく。最後、どうしようもないまま一駒だけ残った祖父の駒を、私の駒で囲んで取り上げた。

こんなふうにして、私は毎度祖父に勝っていた。「じいちゃんは将棋強いんよ」なんて言われてた祖父を負かして、ただただ私は誇らしかった。

だけど、そうもいかなくなってきたのが、私が小学校中学年になったくらいの頃。ある程度思慮分別ができるようになって、私は気づいたのだ。祖父は、わざと私に負けている。本当は強いのに、私を勝たせるためにわざと弱くなってるんだって。
そんなの、今まで勝って喜んでいた私が馬鹿みたいじゃないか。勝たせてもらう勝負なんて嫌だ。私はじいちゃんと正々堂々真剣勝負で戦いたい。

私は祖父に手加減なしの勝負を挑んだ。いいの?と、あんまり祖父の方は進んだ感じではなかったが、意地でも真剣勝負をお願いした。

対局は祖父の攻撃一辺倒だった。
手も足も出ないまま、みるみるうちに私の駒は取られていき、結果は私の大敗。私の思ってた以上の結果に堪らなくなって泣き出した。もうじいちゃん嫌いー!なんて、身勝手なセリフを吐いて、私は父に泣きついた。じいちゃんの将棋は強い。だけど、ただただ悔しかった。

それからは、また前のように祖父にわざと勝たせてもらい、たまにだけ真剣勝負をして、こてんぱんに負かされた。誰かに泣きつくことはなくなったが、負けたらやっぱり悔しかった。

未だに祖父との真剣勝負には勝ったことがない。これからも勝つことはできない。
今もたまに祖父の話が出てきたら、決まって父に将棋の話をされる。その度、今更になって祖父の優しさを感じて、やっぱり少しだけ悔しくなる。

制限時間/Side2/五目いなり

子供達が家を出て早幾年、以前よりも広くなった私の家のほど近くに、息子一家が越してまいりました。

わんぱくだった子供たちもいつの間にかに立派に育ち、気が付けば私もじじい、子供が生まれた時の感動はいつまで経っても色褪せないものですが、孫の顔を見ると息子がまだ幼かったころや先の苦労や幸せが一度に押し寄せて、一層顔が綻んでしまうのは仕方がないことでしょう。
これもじじいの特権だ、と思いながら孫の顔を覗きこめば、キャッキャと笑うのが愛らしくて、孫にとって良い祖父で居続けようと決心したのは、忘れもしない、生まれたばかりの孫の顔を間近で見た、その時です。

家が近かったせいでしょう、孫は私のことをいい祖父だと思っていてくれていたようで、度々遊びに来てくれました。
我が家にはおはじきや札遊びといった様な遊び道具しかなく、今時の子どもが欲しがるようなゲーム機の類はなかったのですが、それでも孫はよく私と遊んでくれたものです。
中でも一等将棋を気に入っていたようで、いつの間にかに中学校の制服に身を包んだ彼女は父親に手を引かれることもなく私の家に遊びに来ては、決まって私に「将棋をしよう」というのでした。

孫娘がまだほんの小さかった頃から妻や息子が言い聞かせるように「じいちゃんは将棋がとっても強いんだぞ」なんていうものだから、きっと興味をそそられたのでしょう、小さな両手いっぱいに駒を並べて、遊ぼう遊ぼうとせがむのです。
遊び方なんて教えたって分かりっこありませんし、それに私も可愛い孫娘と遊ぶのが楽しみで勝敗やルールなんてこれっぽっちも気になんてなりませんから、その日から私と孫は、はさみ将棋をして遊ぶことが日課になりました。

それは彼女が中学校に入学してからも変わらず続いていたのですが、中学生になってからでしょうか、彼女は私に「真剣勝負をして欲しい」と頼みだすようになりました。
どうやら孫娘は私がいつも本気を出していないと思っていたらしく、手加減をされていたら勝ったって悔しいと鋭い目で言われてしまいましたが、そんな提案、いえ、挑戦を受けて、私は困り果ててしまいました。
何故って、もちろん、私はいつだって孫娘とのはさみ将棋に、真剣勝負で挑んでいたのですから。

もちろん、それは対局に本気を出すという意味ではありません。
孫娘と遊ぶとという意味において、私は常に本気だったのです。
少しでも良い祖父として、孫娘の笑顔を見るために、わざとちょっとした手加減をして、真剣勝負をしてきたつもりでした。

けれども、私の手加減は、もう孫娘に笑顔を運ばないようでした。
そのくらい、長い年月をかけて見守ってきた孫娘の顔を見れば、じじいにだって、じじいだからこそ、分かります。
赤くてふくふくした顔で泣いたり笑ったり忙しい赤ん坊だった孫娘は、いつの間にかに息子、いえ、彼女の父親の手を離れ、今では私の目の前、将棋盤の前で真剣な目をして正座をしている、その成長ぶりに、私は圧倒されたのです。
熱くなる目頭を押さえながら、「いいのかい」と問いかけると、彼女は自信と喜びにあふれた笑顔で、「お願いします」と、頭を下げたのでした。

―――……結果は、私の圧勝です。
将棋クラブでも敵無といわれる私です、たとえはさみ将棋であろうとも、孫娘に負ける実力ではありません。
私の駒に囲まれた孫娘の最後の歩兵を摘みあげ、対局は終了しました。
指先で最後の駒を持て余しながら彼女を見ると、孫娘は下瞼にぼろぼろと大きな涙の粒を幾つも湛えておりました。
驚いて歩兵を盤の上へとり落とすと孫娘は堰を切ったように泣き出しまして、慌ててそれをあやそうとすると、きっと私が自尊心を傷つけてしまったのでしょう、「じいちゃん大っ嫌い~!」とより激しく泣くものだから、一緒に来ていた息子が飛んできました。
そのあとは泣きじゃくる孫娘を苦笑いを浮かべた息子があやすのを見ながらおろおろし、大雨の様に泣いたからでしょう、泣きつかれた孫娘は意気消沈といった様な顔をして帰っていきました。

孫たちが帰った後、私は、孫に嫌われてやいないだろうか、やっぱり少し手加減をしてあげるべきだっただろうか、もう遊んではくれないのだろうか、と寂しい気持ちを隠す様に、将棋盤を押し入れの中にしまいました。
よい祖父で居たいと願っていたのにあんなに大泣きさせてしまい、その成長に感動するあまりに楽しい時間を過ごすという目的を忘れてしまったというのなら、それは私にとっての真剣勝負ではありません。
私は初めて孫との真剣勝負を全うできなかった自分自身を、酷く責めました。

もうしばらくはこの将棋盤を使うこともなくなってしまうだろうか、と私は暗い押し入れに仕舞い込まれた盤を最後にそっと撫でましたが、案外、その将棋盤は早いうちに日の目を見ることになりました。
なんと翌日、孫娘はまた私の家へやってきたのです。

泣きはらしたのか少し赤い目をした孫娘は、それでも以前と変わらない明るい顔をして私の家にやってきました。
彼女ももう中学生、半分は子供ですが、半分は大人、きっと気を使われているのだなと思いつつも迎え入れると、驚いたことに、彼女はおやつのまんじゅうを頬張ったまま、「将棋をしよう」と言ってきました。
なんと言ってよいのか分からずにまたもおろおろしていると、彼女は照れたようにそっぽを向いて、小さな声で言いました。
「今日は、楽しく遊ぼう」と。

私たちの真剣勝負は、それからも続きました。
時折孫が「今日は本気ね!」と頼んでくることもありましたので、その時は私も、もう遠慮は致しません、本気で相手をするのですが、結果はいつも私の圧勝、それは最後まで変わることはありませんでした。
以前は孫娘の悔しさをかみしめた顔に罪悪感を抱いていたものですが、時折なら、きっとこれから彼女は色々な局面で強くなっていくのだろう、という期待を込めて、その泣きそうな顔を見ることができる様になっていました。

今でも時折孫娘達は私の話をしてくれている様で、「じいちゃんは勝ち逃げでずるいよ」なんて言われますが、勝ち逃げだなんて、滅相もないことです。
私はいつも、孫娘との真剣勝負を、全力で楽しませてもらっていたのですから。

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「真剣勝負/共作/サラダ寿司」への1件のフィードバック

  1. 視点切り替え、ザッピングはこのスタジオの文章でもよく見かけますが、書き手を変えるとスタイルも当然変わるのでいいですね。よくADVとかでキャラやシナリオ別でライターが変わったりしますが、その時に感じるような新鮮さを覚えました。
    とここまで書いて、センターの英語問題とも似てるな、と今気づきました。あの形式を応用して、互いに欠けているところを埋めるのも面白いかもしれません。

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