風聞と/プロット交換/なべしま&リョウコ

/共作/なべしま

大学生の頃、夕日が沈むのはもっと早かった。そんな懐かしいモラトリアムは、つい二年前だというのに。午後五時に至る時間の長いこと。鏡に映る顔、剥がれかけの化粧、仕事終わりのやつれた私の姿を見たら彼は幻滅するだろうか。私と過ごした数年間、大学生の拙いメイクに見慣れてしまっただろう、気づかないかもしれない。そう思うと一層、ファンデーションを丁寧に塗り込んでしまう。
 静かなメイク室は超然とした雰囲気を持ち、だから背後の更衣室から怜悧な美人が顔を覗かせた時は思わず目を奪われた。鏡に映る彼女は、その姿を虚像の中にのみ留めているのではないか。一つ飛ばして右隣に陣取り、さっきまで私がやっていた、その倍ほども細やかな手つきで目元に色を乗せる。小さな眼にコンプレックスでもあるのか随分と慎重である。しかしその眼は、つまんだように高い鼻を嫌味なく飾り、顔を見事な配置に落ち着けていた。薄い唇、柳眉、しかし思わず目を奪われるのはその眼であった。薄っすらと浮いた隈、まっすぐな眉をわずかに寄せてまなじりは下がり、その幾分やつれたような様子が数回り重ねられた年齢を思わせる。年月の累積は決して損害ではない。熟れ、それでいて最後には首を切って落ちる椿のように、完成された美を誇ったまま誰かに喰われるのを待つのだろう。この部屋に漂い始めた甘い芳香、化粧のためか、大きく肌蹴させた胸元、胸の肉に埋もれたティファニーのオープンハートの優雅な曲線。すべては完成しかけた彼女の熟れかけた蜜を振りまいていた。
 そういえば一度、彼女の声を聞いたことがあった。
「君って派遣社員だったの?」
とは彼女の上司だろうか。
「ハイ。あのう、何か?」
というものの不安気な言葉とは裏腹で、きちっと彼女は上司を見つめている。ほんの、たったそれだけの会話、それだけしか聞き取れなかったが、高いというほど高くもなく、含むところのあるように感じられる彼女の声を記憶に留めるには十分だった。
気づいてみれば彼女は社内では有名らしく、水を向けるとつらつらと、中でも高卒であって、前職は風俗であったことは特に脂ぎった興味とともに語られた。言われれば彼女は年齢の割にしっとりと引き締まり、服の上からも柔らかくも無駄のない肉を持っていることをうかがわせる。肉体は彼女が営業部の部長と不倫関係にある、という風聞に現実味を持たせていた。見知らぬ営業部の部長は、果たして肉を味わったのかどうか。
 雑念、アイラインがぶれる。
その失敗は私のせいだけではなかったようで、椅子に何かがコツンと当ったのに気付いた。シンプルな口紅だった。
「すいません」
あの時聞いたのと同じ声で謝罪を口にした彼女は、私の足元にしゃがみ込んできた。いいえ、と反射のように口にしたところで彼女の完璧に見えた容姿に一点、鳶色のその髪の付
け根が黒々としているのを発見した。同時に彼女に対して憐れみにも似た同情の念を覚えた。口さがなく語られる噂話の、いくらほどに真実が含まれているのだろう。私もまた俗物同様、肉としての価値をのみ彼女に見ていたのではあるまいか。
普段ならば化粧室など利用せずに即座に帰宅している。今日は彼とデートをする。そのための化粧であった。だがこの化粧を彼女の為に消費するのはどうだろう。
「あの」
「え?」
「今日、このあと飲みに行きませんか?」
「いいですけれど」と言って少し意地の悪い顔で、眼を細めて微笑んだ。
「いいですけれど、あんまり人のことを見すぎです」

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「風聞と/プロット交換/なべしま&リョウコ」への3件のフィードバック

  1. 時代錯誤、今勝手に付けたお二方へのキャプションです。なべしまがファンデとかティファニーとかオフィスラブとかこれは夢か!共作ありがとうございます。
    プロット段階のものもぜひ読みたい。

  2. ありがとうございます。そしてありがとうございます!!!
    どーしても先輩の文で百合か薔薇が読みたくて、本当は図書室の薔薇が読み勝ったのですが、ありがちなのしか思いつけなかったのでこうなりました…。
    プロットはめちゃめちゃ細かく書き込むタイプなので、たくさん指定してすみません…すごくすきでした…満足…。

  3. プロット交換するにおいて何か決まりとか、ちょっとした縛りを付けたりされたりしたのか知りたくなりました。

    やっぱりなべしまさんの秀逸な表現が好みであります。「彼女」視点からの語りも読んでみたいと思いました!

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