常夏の夢のジャック/ぜんぶ雪のせいだ。/五目いなり

   まったく、冗談じゃない。
   霜が降りて真っ白に曇った窓を開ければ、ナイフの腹で撫でたみたいに、ひりひりと頬が痛んだ。ざぶん、ざぶん、といつだって聞こえていた筈の波の音も、まるで真綿に吸い込まれてしまった様に聞こえてこない。昨日までさんさんと降り注ぐ日差しの中で青い葉っぱを空いっぱいに伸ばしていたヤシの木には、まるでシュークリームに振りかけられた砂糖菓子みたいな、ふう、と息を吹きかけたら飛んでいってしまいそうなかぼそい雪が積もっている。
   少し前まで見慣れていた、けれども最近はめっきり目にすることの無かった、冬の景色。ついに、冬がここまで来てしまったのだろうか。夢にまで見た常夏に、雪が降る。しんしんと、音もなく。
   ぼくは振り返って、ジャックを睨んだ。季節外れの原っぱに降った雪みたいな白い髪がひょこっと揺れて、雪の結晶が埋め込まれたグレーの瞳が、困った様に歪んでいた。その、反省もせずに、ただ困っているだけのジャックの顔に、ぼくはどうしたっていらだちを隠せない。
   ぜんぶジャックのせいだ。母さんが眠ったまま目覚めないのも、常夏のこの街にまで雪が降ってしまったのも、ぜんぶジャックのせいだった。
「なんでジャックがここにいるのさ」
   吐き捨てるにはジャックは少し優し過ぎて、もごもごと、口ごもりながらやけっぱちで呟いた。優しいジャックは細長い体を屈ませて、ぼくの頭を撫でながら「嫌かな」と笑うので、ぼくはまた嫌な気分になってしまう。
「いやだよ。こんなところでまで、ジャックの顔なんか見たくない」
「おや、ずいぶん、嫌われちゃったみたいだね」
「誰もジャックのことなんか、好きじゃないよ。ぼくも、母さんも、父さんも、街の人も、皆ジャックが嫌いなんだ」
   嫌いだと言っても、ジャックの少し寂しそうな顔を見ても、悪い気なんてしなかった。街の皆がジャックのことを嫌っているのは、ずっと前からジャックだって知っている。ジャックはぼくが生まれる前からぼくの家に居候する冬の化物で、街に冬を閉じ込めている厄介者だと、大人はみんな言っていたから。
「僕は、君と一緒に遊びたいんだけどな」
   ジャックは化物だから、ぼくの気持ちなんてきっとこれっぽっちもわからないのだ。冷たい指先が、ぼくの髪の毛をふわふわと掻き分ける。触られたところから身体が凍ってしまうんじゃないかと思い切り手を撥ね退けると、氷の息吹で、ふう、と溜息をついた。そのため息は、常夏のこの街ででさえ、真っ白だ。
「この街は夏なのに、どうしてとても寒くないかい? 早く目覚めておしまいよ」
   むに、とジャックの指が頬を摘む。ぎゅうと皮膚が吊れる感覚は分かっているのに、痛くもなくて、ただその指先が冷たいことだけが分かるのは、多分、これが夢だからだ。ぼくもまた、母さんと同じ、外の街の寒さが怖くて、眠り続ける一人だった。
「見たこともない夏の景色を作ってさ、ずっと夢ばかり見ていても、君の体は凍えてしまうだけじゃないか」
「うるさいな」
   この常夏の夢の外で、眠り続ける母さんを思い出す。父さんが居なくなってから、寂しい、寂しいと言いながら冬の街を、ジャックを罵りながら生きていた母さんを。一日たりとも降り止まない雪の冷たさと、日毎に冬の眠りについていく人々を包み込む明かりの無い建物の重みとが、ぼくの瞼をくっつけて開かない。まるで凍えてしまったようだった。
「こんなところに独りぼっちは、冬が終わらない街よりも寒いだろうに」
   目を覚ましても、誰もストーブに薪を入れない。誰もスープを温めない。僕が眠るまで僕の傍にいてくれる母さんも目覚めない。ひとりぼっちなのは、夢でも、現実でも、変わらない。
「……寒い冬の街で一人よりも、寒くない夏で独りぼっちの方が、ずっといい」
   寒いのは、いやだった。冷たい空気は、寂しい音をずっと鋭く、早く、響かせるような気がしたから。
   常夏にうっすら積もった雪が僕の夢を崩してしまわない様に、ジャックの体を遠ざける。けれどもジャックは突き飛ばした僕の手を強く握って、それから思いついた様に、大きな声で叫んだ。「そうだ!」大きく見開かれた雪色の瞳には、きらきらと星が瞬いている。「雪遊びをしよう!」
「え?」
「スノーマンを作ったり、雪玉をぶつけ合ったり……あとは、そりで遊ぶのもいいね。分厚い毛糸のセーターを着て雪の中を走り回ったらさ、きっと寒さなんて分からないよ」
   ジャックに掴まれたままの手、視線、心臓が、一瞬だけ熱くなる。カッと顔に血が上っていくのが分かって思わず視線をそらせても、ジャックはぼくの手を放してなんてくれなくて、心臓だけが、どくん、強く脈打つ音が、雪の中に吸い込まれずに響いている。冷たいと思っていたジャックの手は驚くほどに熱くて、でもそれはぼくの手が冷たかったせいなんだと気付いてからは、雪解けの水が小川をかけていくように、全身を温かいものが巡っていった。
   見たこともない冬の終わりは、案外なんでもないようなことみたいに訪れるのかもしれない。夢の狭間、ぼうっとした頭で考えながらジャックを仰ぐと、ジャックはぼくの腕を握ったまま、常夏の夢の中、ぼくの部屋の扉の外へと歩きだした。いつもなら跳ね退けるジャックの手に引かれているのに、ぼくはそれを払いのけようとは思わない。ただ温かいジャックの手が心地よくて、そのまま、足を踏み出してみる。
「ほら、起きて。一緒に雪遊びをしようよ。もう、寒くないから」

   ―――……目が覚めると、そこにはいつも通りの冬と、ぼくを見つめるジャックがいた。
   常夏の欠片はどこにもない、ただ大粒の雪を降らせる分厚い雲の切れ間からは、一筋の朝日が顔をちょこんと覗かせている。冷えた空気を取り込む窓と、微笑みを浮かべたジャックの顔を見比べて体を起こすと、ジャックはぼくの頭をぽすんと撫でた。温かかった。
「今日はずいぶんと、長く寝ていたみたいじゃないか。ほら、お母さんも起こしておいで。お寝坊さんだねって、言っておやり」
「う、うん……」
   いつもなら夢の続きを見るために返事もせずに布団にもぐっていたのだけれど、今日はどんな夢を見たのかも、余り覚えていないから、二度寝をする気分にもあまりならない。
   寝ぼけた頭で返事を返すと、ジャックは満足げにぼくの部屋から出ていった。まるで雪の様に音を立てずに去っていったジャックの姿は、夢の中に出てきたような気がしたけれども、それもまた、雪の様に溶けて、さらさらとどこかへ消えてしまったようだった。
   なんだか、ずいぶん長い間、寝ていた気がする。伸びをしてから部屋を出ると、キッチンからはジャックが包丁で、とんとん、鍋で、ことこと、何かを作っている音が耳を抜け、温かいコンソメの匂いが鼻をくすぐっていく。ぼくはそのまま、熱いコンソメスープの香りに後押しされるように、母さんの寝室へと向かった。
「……」
   寝返りを打つこともなく眠り続ける母さんに、もう今更、言葉をかけようとも思わない。けれども今日はなんだか少し天気が良いから、ぼくは久々に、母さんの手を握ってみた。雪みたいに、母さんの手は、冷たい。きっと寂しいんだろうと、何故だかぼくは、長く、長く眠っている母さんの気持ちが良く分かった。
握っても握り返してくれない朝は、決まって凍えてしまいそうになるけれど、どうしてだろう、もう、その寒さは感じない。きっと、ぜんぶジャックのせいだろう。なんたって、冬に起こることはぜんぶ、ジャックのせいなのだから。
「おはよう、母さん」ぼくの手の温かさを分ける様に、母さんの手を優しく握る。おはよう、という言葉に、母さんの瞼が少しだけ動いたような気がした。母さんは、寒さに耐えるように両目をきつく閉じている。母さんの寝顔に、ストーブには後でぼくが薪を入れよう、とふと思った。温かいスープは、今、ジャックが作ってくれているから、母さん、何も心配しないでいいんだ。ぼくは教えてあげることにした。
「もう、寒くないよ」

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「常夏の夢のジャック/ぜんぶ雪のせいだ。/五目いなり」への1件のフィードバック

  1. 登場するものが関連し合って物語を動かしていくのが上手だなと思いました。
    ジャックは結局誰なんだ…

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