死にたくない/遺書/ちきん

生きるのに向いていないなとおもうことは、たまにある。あたりまえのイニシエーションを、ひとよりも特別に掛け替えのないもののように思ってしまったり、どうしても許せない傷があったり、自分の歴史はそんなに美しくは編まれないのだということを知ってしまったりするとき。

そういうときに、いつも遺書を書く。言葉にすると、なにか自分とは別の物語や教訓のように感じて救われるし、身体は空っぽになって、ただそれを眺めてうっとりする。すきなひとができると、そのひとに宛ててラブレターを書いて、でも渡しはせずに集めてとっておくと言っていたひとがいた。表しようのないきもちを、過去として自分の持ち物にしてしまうことで、折り合いをつけて生きていくところが、似ていると思った。

積み重ねた遺書は、見えないこの先をなんとか生きてゆくためのものだ。

 

無事におとなになることができたのか、そこまで感情が過多ではなくなってきたけれど、そのぶん過去に何を見て生きてきたのか、昔どんな言葉を使っていたか、どんな風にひとを愛していたのかも、気付かぬ間にたくさん忘れてしまっている。それでまた呆れてしまうくらい、自分が嘘つきで薄っぺらく感じたとき、遺書を読んで過去に立ち返り、きもちを取り戻す。

経験がふえていくごとに、刺激に強く鈍くなっていって、このままあといくつの手紙を遺せるのか。貯金を切り崩して、あと何回暖がとれるだろう。

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「死にたくない/遺書/ちきん」への1件のフィードバック

  1. 漢字と平仮名のバランスなど細かいところにまで意匠が行き届いた美しい文章でした。美しい人が書いたのだなあという感じがします。最後の一文が特に好きです。

    各トピックの順番に少し混乱したので(ラブレターの人の話など)、そこは整理しても良いのかも知れません。私は過去から逃げては忘れ後悔してを繰り返して生きてきたので、見習いたいと思います

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