夢はお話を書くことです。
この夢のお葬式を開いてすぱっと諦めようとした時期もありました。
1*したためる
どうしても何かになりたくて、そのために正当な手順を踏めるほどの情熱も度胸も才能もなくて、だけど必死になってしまう。端から見たらきっとすごくみっともなく、壁にぶつかったら必ず右に曲がるダンゴムシみたいに、のたうちまわっている自覚はあるのだけど、どうにもならない。無駄に声がでかいからその視野狭窄を他人に押し付けずいぶん迷惑をかけたことでしょう。ごめんなさい、私は私のことしか考えてないから辛かったら離れていってね。でもこう、やっぱり人間出来ることとできないことがあってね、非効率的だと思ったらたすけてくれてもいいんだよ。たすけてくれよ。
とまあ、挫折を繰り返したところでプライドもクソもなくなりました。それももう終わり。成果があったかは不明ですが、身が削げた気がします。課題も反省も解決されることなく積もってゆくばかりですが、手に入ったものと目に届く範囲の山を見つめてなんとかやっていきます。
2*階段をのぼる
すきだなあ、いいなあって思ったもの。辛かったこと苦しかったこと。他人にとって小さなことが、自分にとっては大きなことで「すごかったんだよ!」っていつだって誰かに泣きながら訴えたくてずっとやり方を探している。
三年生にしては珍しい、日がまだてっぺんには昇りきらないはがね色の朝、あのキャベツ畑を上っていて、橋の終わりの手前の三角スペース。そこにまるで絵本に出てくるような、もしくは美麗なコンピューターグラフィックのような森の入り口があるんですよ。
映画のセット的『森の入り口』がこじんまりと。奥まった角には葉を広げた大きな木があって、根元には草が茂っている。それが朝露なのか葉の表面に光が照り返してるのかわからないけど、鬱蒼としたなかで音もたてずしずかにきらきらひかっていて、こんなにきれいなものを私は忘れてしまうのかと思うと、いっとう悲しい。
たとえば絵が描けたなら、映画が作れたのなら、綺麗だと思ったものそのまま残しておけるけど。わたしは何も持ってないから、あわてて言葉を使うしかない。不完全な語彙で不完全な言い回しでそれをつなぎ留めておくしかない。
それがたぶん物語のはじまり。
だから、夢はひとまず、なんにもなれないのだとしても、みっともなくお話を書き続けることになりました。本当になんにもしないままでいたらいつか大切なものを忘れてしまうのが怖いから、休んでる暇なんてないですね。すくわれないさびしさも、お話になると思えば圧倒的にしあわせだから、大丈夫。いいものが出来なくたって手を動かして。書き続けること。物語のことなんて好きじゃなきゃよかったのに、いっしょうお前に苦しめられることにしてやったよ。恨むね。でもまあ、なんとかなってくれ。子どもの頃の夢で終われたらよかったのに。
3*屋上にて
有権者に訴えたいことは~~! あなたが大事だと思うことを書き続けてほしいと言うことで~~す! おせっかいかもしれませんが~~、どうかいいものを書きたいと思うのなら~~、青臭いとか言ってくるしたり顔のやつにもめげず中指を立てて一心不乱に走ってくださあ~~い。隙あらば殺せ~~! いや、マジで、三年間上手くいくもんじゃねえぞ~~。がんばれ~~。
以上、それではさようなら。
どぼん!
4*中空にて
もうちょっとちゃんと書きたかった!
エーオーさんの書く文章の雰囲気が好きなので、今後も物語を書き続けていかれるということをなんとなく嬉しく感じます。
夢を子どもの頃の夢として終わらせない覚悟を決めたこと、まだまだ迷いが多い私から見たらとてもかっこよく映りますし、心から尊敬します。
前半の文体もとても好みなのですが、他者に向けた最後の部分で文章の雰囲気が少し緩めに変化することで内容が素直に入ってきました。こういう切り替えの仕方、見習いたいです…