遺書を書こう/遺書/竹

高校のとき、すごく明るい先生がいた。その先生には1年生のときの担任、そして3年間の国語の授業でお世話になった。いつもハキハキしていて、授業もすごく楽しい。誰にでも平等に接してくれて、本当に大好きな先生だった。

しかし、そんな性格とは正反対に、先生の体はガリガリに痩せていた。ある日のホームルームで、先生は過去に患った病気の話をしてくれた。先生は10年前に、すい臓がんになっていた。すい臓がんの生存率は、ステージⅠでもほかのがんより低い。先生が教壇に立っていることは、奇跡に近いことだったのだ。

先生はときどき、体調を崩して早退したり、入院したりすることがあった。センター試験のちょうど一週間前。国語の授業の最中、ちょっと体調が悪いから保健室で寝てくるね、と言って先生は教室を出た。そのあと先生は病院に搬送され、一か月以上入院していた。

 

今、自分は重い病気にかかっていない。生死をさまようような事態に陥ったこともない。明日テロに巻き込まれて死ぬとも思えない。自分にとって死は、まったく身近なものではないのだ。

死を身近に感じない私は、常に悩んでいる。友達が少ないとか、自分をさらけ出せないとか、彼氏がいないとか。いろんなことをこじらせている。悩むということは一見、心に余裕がないことだと思うかもしれない。

でも私は、悩むことができるということは、むしろ余裕があると思う。生きられる時間が自分にはまだあると感じるからこそ、悩むことができる。生に対する潜在的な安心感が、悩みのエネルギー源だ。

悩んでいる瞬間って、意外と楽しい。何かを模索していると、時間を忘れてしまう。鬱蒼とした思考の森に自分はいて、迷いながらも何かに向かって進んでいく。その過程に快感を感じる。

では、先生はどうだっただろう。いつ体調を崩すか、がんが転移してしまうか分からない。そんな状況で、くよくよ悩んでいる暇はきっとない。悩むんだったら、明るく生きたほうがマシ。そんな風に思っていたに違いない。

 

遺書を書いて、死を身近に感じられれば、生きる活力が生まれるかもしれない。この文章を書くときに、自分だったらどういう遺書を書くだろうかと考えた。

もっと〇〇したかった、もっと〇〇な人間になりたかった。いざ遺書を書こうとして思いついたのは、生きる目標だった。

遺書を書くことは、暗いことじゃない。がんばって生きよう、もっとこうしよう。遺書は生きる目標をくれる、魔法の紙。

 

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