夢の棺がめらめらバーニング/遺書/ノルニル

◆クランク・イン

     野菜はハリがあるものを、お肉は汁が出ていないものを。家庭科で習う、あたりまえの常識。そんなルールに歯向かうのが、近ごろ全わたしの間でちょっとしたブームだ。
     たとえばさっき仕事帰りに買った牛乳の紙パック、棚の奥を検めましたところ消費期限が二日ほど長いものが隠れてござった。でもそこであえて短いほうを選ぶ。余ったらオムレツに混ぜて火を通せばいいか、なんて考えながら、小ぶりで傷んだトマトのパックに手を伸ばす。

     見栄えも品質も、どうでもよかった。どうせ帰っても誰にみせるわけでもない。なにより、わたしが買わないことで売れ残り、捨てられてしまうかもしれない野菜やお肉、魚がなんだかかわいそうで、見ていられなかったのだ。

◆タングステン・デイライト

「やる人がいないならやるよ。私暇だし」
「まじ、助かる!いやあ、宮辻ちゃんいつもありがとね!」

     さっきまで人事部長についての愚痴で固まっていた莉央の表情がぱあっと明るくなった。浪人と留学で2年ほど年上だからか、同期のはずなのに何かと上からプレッシャーで押さえつけてくる。きょうだって結局のところ、仕事を体良く押し付けられた形だ。「もし宮辻ちゃんが困った時は任せてね」、それ何度目ですか?
     でも慣れとは恐ろしいもので、今では少しも心が動かない。もしかしたら、きょうはお店に行こうと決めていたから特に気が滅入らなかったのかも。なんにせよ諦めが肝心だと、年をとるごといやおうなしに実感させられている。

     退社する途中、ひとりデスクに向かう同期の鴻原くんを見かけた。どうやらまたお残りさせられているみたいだ。「おつかれ」と声だけかけて、返事を待たずにそのまま足を前へ運ぶ。エレベーターのドアが閉まる寸前でようやくおつかれ、と遠慮がちな山びこが肩にぶつかった。

◆クローム・ミッドナイト

     くらくらするほどに甘い香の薫りが脳を刺激する。落ち着いた内装に、グロテスクな調度品。例えようもなく異様なはずの空間は不思議と居心地がよくて、サトミ店長の趣味はわたしに合っている。その旨を伝えると店長は大きな目をさらに見開いて、それは結構、と大声をあげて、それから早口で続けた。

「お客さんにはコレを用意しておきました。なんでも、家出してきた女の子がしまっていったブツでして。若いほど感情の鮮度も高いと言いますし、オススメです」

     「いやなことを忘れさせてくれる店がある」、そんな噂がこの街ではまことしやかに囁かれていた。最初は全く興味を持てなかったが、あるとき閃いたのだ。すなわち、忘れさせることができれば逆に植え付けることもできるのでは、ということ。
     そうしてこの店を突き止め、月に数度ほど通うようになってしばらくになる。名前も意味もなくした記憶、忘れてしまいたいほどに辛い悲しみや苦しみは凝り固まったわたしの心を動かしてくれ、次第により強い刺激を求めるようになった。何にだって振り回されないほど揺るぎない、そんな絶対的な感情がほしかった。
     結局、まるでDVDでも借りるように家出少女の記憶を手に入れて、わたしは家に帰ることにした。

◆フェード・アウト

     危うい蜘蛛の糸に縋りながらの生活、当然転機は急に訪れた。自分の感情の在り処がはっきりしない。きっと悪いものでも食べたのだ。原因はわかっている、この間買った若い男性の記憶だ。それは夢を失う痛みを人形に託したものだった。自分をしっかり持ち、他人を幸せにする正義の味方になる。そんな希望に満ちた夢は、やがて現実と直面し、毒となってその身を蝕んだ。
     他人の夢を食べて生きながらえる、バクのような魔物になったわたしは、その毒をそのまま受けてしまった。なにより、この人が抱えていた痛みがわたし自身にも染み渡って、どうしてかと理由を考えたけど、きっとこれはわたしの夢だった。わたしがなくした夢だった。

     もしもこの身が他人の感情の容れ物なら、「わたし」なんていなければいい。もう無理だと悟ったその日、わたしはわたしの感情をしまった。サトミ店長の術式によって薄れゆく意識のなかで、ふと記憶の持ち主を身近に感じ、そしてわたしは、夢を追いかける痛みを失った。

◆レンズ・フレア

     きょうも会社でミスをした。莉央はなにやってんの、と言いながら残業に付き合ってくれた。申し訳ないけど、感謝の気持ちでいっぱいだ。きょうはお酒でも買って、明日お礼を言おう。そう思いスーパーに立ち寄ると、目の前でおじさんが缶チューハイを取り落とした。
     おじさんは潰れた飲み口をじっと見つめると、元あった棚に缶を戻した。同じ棚から代わりのチューハイを持って立ち去るおじさんの背中を見ながらわたしは迷う。なぜ迷うのか、何に対して迷っているのか、自分でもわからなかった。するとそこへくたびれたスーツの男の人がやってくるとへこんだ缶をつかんで、

「あ、」

     鴻原くんだった。彼はすこし驚いた顔を見せて、宮辻さんおつかれ、というとすこし寂しそうに笑った。

「あー、この缶?いや、なんかさ、このまま俺が買わなかったらこれ売れないままかもなーって。そう思ったらなんかかわいそうになっちゃって」

     なにか、大切にしていたはずのものを思い出せるような気がした。どこかから、もう自分のために戦えないから人のために生きるよと、そんな声が聞こえた。

◆リ・テイク

     夢をみた。誰のものかわからない、でもきっと自分のものではない宝物を、ずっと大事そうに抱えてわたしはひとり立っている。時が経ち、宝物はきんいろの砂になって、指の間からこぼれていく。なくすまいと必死になるけれど、みんなまっくらな底に落ちて、みえなくなってしまった。
     涙がとまらなかった。自分のものなら諦めもついた、でも違ったのだ。誰かからもらった大切なものだった。やがてどろり、となにかが落ちる音がした。それはきっと、わたしの目玉が溶け出したのにちがいなかった。

◆クランク・アップ

     わたしも鴻原くんも、きょうも今日とて残業だ。なにか変わったことがあるとすれば、お互い「おつかれ」に加えて、一言二言、三言ぐらい交わす言葉が増えたことだろうか。ふと思い立って、聞いてみた。

「鴻原くんはさ、なんか夢とかあるの?」
「ん?強いて言えば、まあ、人に認められたい、とかはあるかも。でも微妙」
「えっとね、君の本当の夢。わたし、知ってるよ」

     これでいい。もし誰かが夢を棺にしまうというのなら、いっそのこと火葬してしまえ。終わりぐらいは派手にいこうぜ、燃やせ、燃やせ。ちゃんとお別れができるように。そしてもし奇跡が起こったら、いつかまた会えるように。わたしはその輝きを、ずっと待っている。

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