まだいいかな/遺書/みくじ

昔何度も繰り返し読んだ小説の中で、「血液を探せ!」というタイトルの短編があった。
痛覚神経が無かったために身体にナイフが刺さったことに気付くのが遅れた富豪の老人の遺産をめぐり、その子どもたちが輸血用の血液パックを探すというコミカルな物語だ。
そのイメージがあるからか、遺書を何か自分の残したものの後始末についての指示書のように思っている。

遺書なんて無くても、溜め込んで使いきれなかった大金とか価値の高そうな財産が無ければ誰も困らない。

祖父は田舎の出だが造船で一攫千金して県の中心部にビルを買い、さらに株でもう一山と思ったところで大ハズレしてプラマイゼロになり、県庁のすぐそばだが車の出し入れがしにくい場所にあるボロ屋以外何も残さなかった。

祖父の死後に問題となったことなんて、本当にびっくりするくらい何も無かった事だけで、何も無かったんだから問題も無かったと考えることも出来る。
叔母づてに聞いた話では、祖父は二度結婚していたのだが、離婚した方の娘と孫がやってきた時に本当に何も無いのかと念を押されたらしいが、非常に残念ながら本当の本当に何も無かったのだ。

何年か前に一度倒れて以降は、よく笑いよく泣きよく忘れる祖父だったから、もし財産があってもちゃんと配分を考えたりはしなさそうだがまあ何はともあれ何も無かった。

私は当面死ぬ予定は無いのだが、常盤台周辺に彗星が割れて落ちてこないとも限らないし、右を見て左を見てもう一度右を見ている所に落下してきた鉄柱が私を貫かないとも限らない。

もし万が一死んでしまった場合、何が残るかというとレポート課題が残り単位が回収されないので死なずに期末を終えたいと思う。

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